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1章 メッセージ(3)

 わかば・メイ・セナ。ルート識別子はネナ。性別女、新暦82年生まれ、10歳、第2都市所属・・・

 送られて来たデータを見ながら、火星局局長、ヌヴェリャ・ホーファーは独り深いため息をついていた。火星局は、地球の対火星窓口であり、地球と火星の間にあって諸々の交渉・折衝の類を引き受ける機関ということになっている。が、地球人でそれを信じている人間はまずいない。火星局が設置されて後およそ50年余り。火星局は交渉窓口というよりはむしろ、火星の指示を地球へと伝える役目を担い続けて来た。火星の地球管理機関が引き上げられて後、それなりの自治は勝ち取ったものの、圧倒的な力を持つ火星を前に今もって地球は事実上「言いなり」状態にある。

 そして今回もきっとまた。

 ホーファーは今ひとつ小さく息をつき、改めて送られてきたデータを見た。

 わかば・メイ・セナ。第2都市の住人なら、恐らく、わかばが本人の名前、メイが母親の名前、セナが父親の名前だろう。

 地球人の名前は、大体このパターンが多い。ただ、ホーファーが生まれた第7都市は少し異なっている。例えば、「ヌヴェリャ・ホーファー」という名前なら、ヌヴェリャは両親が決めた名前、ホーファーは、都市コミュニティが決めた名前なのが通例である。

 ルート識別子、ネナ。ルート識別子は、その人物の「祖先」を示すもので、必ず母親から子供へと引き継がれる。現在の地球人、特にドーム都市に居住する地球人の大半は、12人の「守母」と呼ばれる女性にそのルーツをたどることができる。どの守母の血統であるかを示しているのが、このルート識別子である。ネナは、第8守母で、この血統は、一般的に「はねっかえりが多い」とよく言われる。実際には、既に全ての血統は入り交じっており、特定の識別子を持つから性質がどうだ、ということは、基本的にはない。

 とりあえず、ここまでは良い。ここまでは。

 つい最近太陽系外から送られてきた謎の電波メッセージ。火星は、最近建造されたばかりの恒星間宇宙船Galaxiaをその発信元たる惑星カヌ=ヌアンに送ろうとしている。それ自体は別に悪いことではない。

 多くの地球人も、カヌ=ヌアンからのメッセージについては、多大な感心を寄せている。一般的には、旧文明時代の電波が届いた結果なのだろうと言われているが、他方、地球上にあまた存在する伝説の「天空の船」との関連を夢見る連中も少なくない。天空を覆わんばかりの巨大な空飛ぶ船の伝説は、常に人の心をつかんで離さない。

 ホーファーは三度息をつき、額に手を当て幾度見ても変わるはずのないデータを睨んだ。

 これはいかにもまずい。まずすぎる。

 火星から送られてきたデータは、問題のメッセージ調査に当たる宇宙船Galaxiaの乗員に関するものである。どういうわけか、火星は、この恒星間航行宇宙船の乗員として地球人を指名して来ていた。

 地球人が乗り組むこと自体は、全く問題ない。

 だが----

 ホーファーは火星と地球をつなぐ通信機のスイッチに手を伸ばした。まさか、彼らが選んだ乗員----しかも、船の定員の関係上、乗り組むのは、たった一名である----が、まだ10歳の子供だとは。

 通信に応じ、画面に火星人の姿が現れる。ホーファーは素早く画面右下の名前を読み取った。

 ナーナリューズ。

 太陽系外有人宇宙探査プロジェクトの最高責任者である。

 火星人というのは、見た目が皆そっくりで地球人の目にはほとんど見分けがつかない。それで地球との通信時には必ず名前が片隅に表示されることになっている。

「Galaxiaの乗員予定者データを今確認した」

挨拶もそこそこにホーファーが本題に入る。火星人相手に遠回しなもって行き方は無意味である。

「本当にこの子を一人宇宙へ・・・」

放り出す、と危うく言いそうになってホーファーは慌てて言葉を組み直した。

「送り出すというのか」

「別に彼女が一人で探査を行うわけではない。船体の性能上、一人しか乗り組むことができないから乗員は確かに彼女一人だが、火星から専属チームがバックアップを行う」

「まだ子どもだぞ。たった10歳の」

ホーファーの抗議にもナーナリューズは動じない。

「10歳なら、必要な身体能力及び理解力は備わっているはずだ」

「身体能力や理解力があっても、基本的には、まだ訓練途中で、社会に出るだけの十分な準備ができていない」

ホーファーが更に食い下がる。が、ナーナリューズはすげなかった。

「彼女の行く先は、地球上で訓練できるような『社会』ではない。未知の世界だ。別に地球上で訓練がなされている必要はない。むしろ下手な訓練がなされているとそれに引きずられて判断を誤る可能性が高い」

ナーナリューズの言葉にホーファーは小さく唇を噛んだ。

 つまるところ、火星人たちにとって、地球人はある種の実験素材に過ぎない。一人一人の人生や幸福といったものは、彼らが種々に行う「実験」の前では欠片ほども意味を持たないのである。彼らを動かしたければ、情に訴えるのではなく、徹底してメリット・デメリットを論じ、説き伏せる他はない。

「地球は承伏しないぞ」

「承伏しないのは地球ではない、君が、だろう」

再びナーナリューズがそう指摘する。

「私が言っているのは・・・」

ホーファーは更に言いかけて、しかし口をつぐんだ。たとえどれほど市民の間で反対が起こるとしても、地球連合府が「地球」として火星からの求めに応じれば、それで地球は承伏したことになる。それをあえて「地球が」承伏しない、と表現した奥には、確かにホーファー自身の割り切れぬ感情と地球人独特のはったり(ブラフ)が潜んでいる。火星人を前に、それがどれほど空虚なものだとしても、ホーファーは、言わずにはいられなかった。

 ホーファーとて分かっている。最終的な決定権を持つのは、つまるところ地球連合府である。そして、子ども一人のことであるならば、連合議会も彼女を差し出して地球の安定を確保することを選ぶのは、ほぼ間違いない。無論、人々は騒ぐだろう。反対を訴えて各都市圏の議会や連合議会、この火星局へと押しかけることだろう。メディアはこぞって声高に批判と非難を叫ぶだろう。それでも、地球は火星に逆らえない。逆らえないのか、それとも逆らわないのか----

「別に承伏していないわけじゃあない。私だって仕事だ。責任を持って連合府へ話を回すし、説得にも当たるつもりでいる。だが、」

ホーファーは言った。

「この『要請』は大多数の地球人の猛烈な反発を招くぞ。得策だとは思えない」

Galaxiaを擁するこの共同プロジェクトは、地球と火星の協調可能性を探るのがいちばんの目的だとナーナリューズは言っていた。一般的に火星人は嘘をつくことがない。虚偽は彼らが最も嫌う行為なのである。情報を伏せることはあるが、虚偽を語ることはしない----少なくとも彼らはそう主張しているし、今までのところ、彼らの発言ではっきりと虚偽と判明したことは一度もない。

「反発を招く?」

ナーナリューズは全く理解できない様子で言った。

「何故?」

何故、と聞きたいのはこっちの方だ。ホーファーは思った。子供を宇宙に出す無謀さ、それに対する反発の強さ、こんな簡単なことが、何故分からない?

「任務が危険に過ぎるからだ」

「ますます分からないな。失うことを恐れているようだが、その個体の育成にあたりつぎ込まれた時間労力は、10歳なら18歳に比べ60パーセント強でしかない。10歳の個体を失う方が、損失は少なくて済むだろう」

ナーナリューズのとんでもない台詞に、さすがのホーファーも一瞬声を失った。

「本気で言っているのか?」

火星人は、冗談を言わない。分かってはいても確かめずにはいられなかった。ナーナリューズの方は、ホーファーの反応の方が理解しがたいらしい。

「そうだが」

ホーファーは、火星人と関わるようになって、かれこれ20年程度にはなる。火星局の局長になってからは6年。それでも、未だに彼らに不意打ちを食らう。

----局長の仕事は、一に忍耐、二に忍耐、三四がなくて、五に忍耐、だ----

前任者のルカスが言っていたのを思い出す。自分もそれなりに忍耐強いつもりではあるけれども。

 ここまで違ってしまうと、どこからどう手をつけたらいいのかすら分からない。

 ホーファーはそれで、もっと忍耐強い人間にこの問題を預けることにした。

「とにかく、ナーナリューズ。絶対に、絶対に、絶対に、その台詞を地球人に言っては駄目だ。いいか、絶対だぞ。それから、乗員の件は、悪いことは言わない、もう一度検討し直した方がいい」

ホーファーは言うと、通信を切った。

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