3章 潜むもの(3)
ただ、機器の音だけが響いている。昼間は割合騒がしい管制室も、夜はひどく静かである。無論、人はいる。ただし、それは火星人ばかりで、地球人は一人もいない。
原則として、夜の時間帯は、火星人だけが配置されている。これは地球人の健康に配慮したもので、どうしても必要な場合を除き、夜間に地球人が働くことはない。もっとも各自が部屋で何をしているかは、また別の話ではあるのだが。
呼び出されて管制室へ来た水嶺は、足早にドゥイズのところへと向かった。
「Galaxiaが、何かがついて来ている気がするが、確証が持てないと言うんだ」
ドゥイズは言った。
「今のところ機器類は全て正常に動いているようだし、データ上問題になるようなものは見当たらない。Galaxiaもそれは認めている。Galaxiaが言うには、『気のせい』のようだと」
コンピュータの「気のせい」。水嶺は、やや眉を顰めた。普通、あり得ない話である。
「分かった」
水嶺は言うと、通信装置の前に立った。
「こんばんは、Galaxia」
そう声をかける。Galaxiaも挨拶を返した。
「こんばんは」
「どんな風に気になるの?」
「それが、私自身よく分からないのです。気配がするというかなんというか・・・。何かいる、と思って精査してみるのですが、大抵目立った異変はないのです。精査して何かあるように思える場合でも、再度調べると何もなくて・・・。私はどこかおかしいのでしょうか。わかばは『お化け』だと言うのですが」
「わかばにも聞いてみたのね」
「はい。一応、その、乗員ですから」
参考にはなりませんでしたが。Galaxiaは言いたかったがやめておいた。水嶺は微かに笑った。一応、とは頭につけたものの、Galaxiaはわかばを「乗員」だと言った。Galaxiaがわかばを受け入れられるか心配したが、思いの外上手くやっているようである。
水嶺が少し考え込む。
「もう一度確認するわね。問題は、視界データで、時々異常がある。でもそれは非常に微細なもので、精査しても何も出ない。再度異常がある場合もあるが、再々調査すると特に異常は見当たらない」
「確かにその通りですが、水嶺、そのまとめ方だと、私の思い違いではない、ということになりますが」
「そうね、そう仮定して話しているわ。記録は残っているわね?そこに、あなたが異常を感じた時を追記録して、回して頂戴。精査した時のデータもよ。もし重力スキャナも使ったなら、そのデータもある方がいいわね」
「了解」
Galaxiaがすぐデータを送ってくる。ドゥイズがすぐそれを解析にかかった。
「Galaxia、多分、あなたは間違っていない」
水嶺はきっぱりと言った。
「そうでしょうか」
「ええ。何かあるのだと思う。わかばが言ったような、そうね『お化け』が。それが機器の内部にあるのか、それとも宇宙にあるのか、それが大問題だわ」
「待って下さい、お化けって・・・本当にあなたはお化けがいるとそう言うのですか?」
「そうね、想定外に出てきて姿をはっきりと捉えられない何か、という意味ではね」
「ああ、そういう意味でしたか。良かった。わかばが絶対ここでお化けに会いたくない、と言うんです。怖いみたいで」
「気持ちは分からないではないわね。こっちで調べてまた知らせるわ。ああ、もう寝ているかしら」
「それが・・・」
「どうしたの?」
「ブランケットと巨大なぬいぐるみを引っ張ってきてここで寝ているんですが」
弱り果てたようにGalaxiaが言う。ここは寝室ではないのに、と。
「心細いのよ。頼りにされているじゃない、Galaxia。好きにさせてやって」
「分かりました」
何か分かったら知らせて下さい。Galaxiaが言い、通信が切れた。
相変わらず、管制室は静かなままである。早朝5時。ドゥイズの姿はなかったが、後を引き継いだラズウェルがデータの解析結果を預かっていた。ざっと目を通した水嶺の表情が険しくなる。
「報告はもう上げてある。ナーナリューズは、問題ないと言っていた」
ラズウェルが言う。
「そう。問題ない、ね」
水嶺は棘のある声で言うと、足早に管制室を出た。
「あれ、早いね」
ナーナリューズのオフィスへ向かう途中、ロスハンが通りかかった。
「今日は、確か報告会議だろう?君もゲストで参加するって聞いた。ぼくも聞きに行くよ」
水嶺は、地球人スタッフではあるが、唯一火星が直接招喚しており、火星局に所属していない。今回の報告会議には、本来ならば出る必要はない。
「誰に聞いたの?」
水嶺が尋ねる。
「誰って、ナーナリューズが言っていたけど」
「そう」
不意に水嶺がにっこりと笑った。絶対零度の笑み。
「ありがとう、ロスハン。でも、私は、会議には参加しない。Galaxiaを放ってはおけないもの」
じゃあね。水嶺がまた足早に立ち去りかける。それをロスハンは慌てて引き留めた。
「待って、水嶺。ぼく、何か悪いことを言った?」
「どうして?」
「だって、すごく怒っている。違う?」
「安心して。あなたに怒っているわけじゃない。それとも、あなたもグル?」
「ちょっと待ってよ。何のこと?」
「グルでないならいい。ごめんなさい、急ぐの。会議頑張って」
ロスハンを振り切り、水嶺がまた足早に歩き始める。ロスハンも後を追った。
「本当に会議に出ないの?」
「火星局の会議でしょ。私が出る必要はないはずよ」
「でも、ゲスト参加の依頼が来ているんだろう?」
「だから何?出ると答えた覚えはないわ。下らない会議。航行初期にあるGalaxiaをを放り出してまでやるようなこと?」
「それは、そうだけど。でも、管制なら火星人スタッフだけでもできなくはないし、問題が起こったらすぐ連絡して動けばいいだけだから、別にいいんじゃないかな?」
「さあ、どうかしら?」
水嶺は冷ややかに言うと、ナーナリューズのオフィスの前まで来て止まった。何か考えをまとめる風でしばし俯く。そして、思い切ったように顔を上げると、強い調子で扉を叩いた。
「どうした、浮かない顔だな」
そう声をかけられ、ロスハンは声の主を振り返った。シャハンである。会議で使うつもりらしい諸々の道具を両手に一杯持って、立っている。
「ロボットにさせればいいのに」
ロスハンは苦笑しながら一部を持ち、共に歩き始めた。
「命令するのも面倒だ。自分で動いた方が早い」
「ファリスに言っておけば揃えておいてくれるよ」
「まあ、そうなんだがな」
会議室に入り、机にデータシートやペン、カップを並べる。シャハンが尋ねた。
「それで?何があった」
「何がって?」
「随分浮かない顔をしていたじゃないか」
「相変わらずよく分かるねえ」
ロスハンは感心して言った。火星人の表情変化は、地球人には捉えにくい。大半の地球人は、火星人は無表情だと思っている。そんな中で、何故かシャハンには、火星人の表情が分かるらしい。
「慣れだな。君らにも、感情変化はある。ただ、地球人ほどはっきりと表に出ないだけだ。後、そうだな、感情が動くポイントが違うから、分かりにくいのもあるかもしれない」
「恐れ入るね」
「何年君らと仕事をしていると思っている。で、どうした。水嶺と喧嘩でもしたか」
「いや。ただ、水嶺がすごく怒ってる。あんなに怒っているのを見たのは初めてだ」
「水嶺が?彼女を怒らせるって、一体何をしでかしたんだ」
水嶺は、滅多なことでは怒らない。シャハンが知る限り、怒ったように見せることはあっても、本心から怒ったところは見たことがない。そもそも、彼女が本当の意味で感情の動きを表に出すことは、あまりない。そういう意味では、ロスハンとよく似ている。ほとんどが「ふり」なのである。
「ぼくじゃないよ。多分、ナーナリューズだ」
ナーナリューズならやりかねない、と思ってしまうのは何故だろう。シャハンは、また面倒なことになっているようだ、とそう感じた。
「で、ナーナリューズは何を?」
「それが、分からないんだ」
ロスハンはどこか困った風で言った。
「水嶺と一緒に行ったんだけど、ぼくだけ追い出された」
「火星人の君を追い出して、水嶺を残したのか」
シャハンは驚いて言った。通常まずない話である。火星人は、嘘はつかないが、情報を伏せることは良くある。プロジェクトでも、地球人スタッフが外されることは少なくない。けれども、地球人を残して火星人を外すとは、一体どういうことだろう?
「そうそう、水嶺は、会議には出ないってさ」
ロスハンの言葉に、シャハンは訝しげな表情になった。
「何の話だ?」
「何って、今日と明日の会議。水嶺もゲストで参加するはずだっただろう?」
「聞いていないぞ」
今度はロスハンの方が驚く番だった。
「ぼくは、てっきり君が依頼を出したのだとばかり思っていたけど」
「水嶺は、火星局の人間じゃない。どう逆立ちしても、彼女に参加の義務はない。ゲスト依頼を出したところで、Galaxiaが出発したばかりの今の時期に、彼女がGalaxiaの側を離れるわけがないだろう。一体誰に聞いたんだ、その話」
「ナーナリューズだ」
沈黙が落ちる。ややあって、シャハンが言った。
「ナーナリューズは、一体何を考えているんだ」
水嶺もゲスト参加で会議に参加するとなれば、Galaxiaを見守る地球人は一人もいない、ということになる。不自然に押し込まれた報告会議。もしそれが、火星局や地球連合府の意志ではなく、実はナーナリューズの指示であったのだとしたら?
「駄目だ。やっぱりもう一度行って確かめてくる」
ロスハンが言う。
「ナーナリューズは君を追い出したんだろう?つまり、君に話す気はないということだと思うが?」
「それでも、ちょっと聞いてみるよ。ぼくにその情報が必要だと納得さえすれば、話してくれる」
「それはそうだろうが・・・しかし、君は地球人の専識者だろう?必要性なんかあるのか?」
普通、専識者は、自分の専門外のことには関心を持たない。
「ぼくが心配しているのは水嶺だ」
「そのくらいのことで、ナーナリューズが話すとも思えないが」
「君が思う以上に大事なことなんだ。チェスフの二の舞は避けたいから」
タブラン・チェスフ。火星人を殺して宇宙へと逃亡した----
「彼女とチェスフは全然違う。心配はないだろう」
「別に彼のように水嶺が人殺しを働くと思っているわけじゃない」
ロスハンは、これについては、あまり話したくない風で話を打ち切った。
「ただ、シャハン、多分、ナーナリューズは、君ら地球人に何かを伏せたいと思っている。ぼくを外した理由もそれだろう。ぼくは嘘がつけないから。ぼくが話を聞き出せたとしても、君に話すことはきっとできない。許して欲しい」
珍しくロスハンが真剣な様子で頼み込んでくる。シャハンは小さく笑った。
「君らも面倒に出来ているな。分かったよ。聞かない方が、精神衛生上よさそうだしな。どうせ聞いたところで何もできないと相場は決まっているし」
「ありがとう、シャハン。恩に着るよ。これで聞き出しやすくなる」
愛してるよ。ふざけた調子でキスを投げ、飛び出して行く。ぞぞぞぞ、と背筋に寒気が走り、シャハンは去って行く後ろ姿に叫んだ。
「やめろ、気色の悪い!」