2章 旅立ち(4)
船が飛び立つまであと30分足らず。
「せめてもう一人乗員がいれば少しは安心できたのだけれど」
ステーションの管制室からモニタでGalaxiaを見ながらキュリスが言った。水嶺とシャハンが頷く。
「要領は分かったから、次はもう少し上手く作れるさ」
とロスハン。そのどこか能天気とも取れる調子が、三人の地球人の神経をざらりと逆撫でした。
「だったら、その時に子供を乗せれば良かったんだ。何も今回でなくても良かった」
シャハンが怒る。
「決めたのはぼくじゃない。ぼくはちゃんと反対したよ」
どうしてぼくに怒るのさ。ロスハンがむくれる。
「ちゃんと、ねえ・・・」
キュリスがはあ、と息をついた。
「あれ以上どうしろと・・・」
抗議しかけたロスハンを水嶺がややきつい調子で止めた。
「ロスハン、悪いことは言わないから、大人しくしていた方がいいわよ。今、地球人はみんな気が立ってる。分かってる、あなたが悪いわけじゃないって。それでも、あなたは火星人でしょう」
「分かったよ」
気を遣って話を前向きに持って行こうとしたつもりだったのだけれども。ロスハンは、どうやらここは静かにしていた方がよさそうだ、と引き下がった。やはり地球人の扱いは難しい。
水嶺は、一対一の時は丁寧に対応してくれるが、他に人がいる時に下手なことを言うとつっけんどんになる。初めは戸惑ったが、今では大体の「引き時」が分かるようになった。後で時間がある時にどこに問題があったか尋ねれば、きちんと答えてくれるはずである。
「Galaxiaと上手くやれるかしら」
キュリスが言う。
「乗員が地球人で、おまけに子供だと知って大分怒っていたからなあ」
とシャハン。
「まあ、大丈夫、だよな?」
確認するように水嶺を見る。Galaxiaの思考は、いちばん彼女がよく把握している。水嶺は小さく頷いた。
「Galaxiaは、何より乗員の安全性を第一に考える。だから、その意味ではたとえGalaxiaがわかばを気に入らないとしても、問題はないわ。ただ、まあ・・・お互い、初めは苦労するかもしれないわね」
その頃、Galaxiaの中央制御室では、案の定、というのか、Galaxiaとわかばは早くももめていた。
「別に来たくて来たわけじゃない」
ふくれっ面でわかばが言った。Galaxiaも負けてはいない。
「私が来てくれと頼んだわけでもありません」
緊張が走る。と、呼び出し音が入った。
「赤いパネルに軽く触れて下さい。通信がつながります。音量はその上のツマミ。右へ回すと大きく、左へ回すと小さくなります。」
Galaxiaが教える。気乗りしない様子でわかばがパネルに手を触れると、地球連合府第一執政が映った。
「さて、わかば君、これは初の地球-火星共同プロジェクトであり、栄誉ある任務だ。カヌ=ヌアンのメッセージについては、地球も火星も皆その謎が解明されるのを心から望んでいる。しっかりとやりたまえ」
云々、云々。ほとんど向こうが言いたいことだけを言って、通信が終了する。聞いているうちにむかっ腹の立って来たわかばは腹立ち紛れにバシッと通信パネルを叩いて切った。
「そんなに力を入れなくてもきちんと作動します」
乱暴な扱いにGalaxiaが抗議する。
「うるさーい!」
わかばが叫んだ時、不意にぐらり、と船が揺れた。バランスを崩して転びそうになり、慌ててコンソール台の端をつかむ手に力を入れる。更に一瞬下へと押さえつける力が強くなったが、すぐに安定状態に戻った。
「一体何事?」
「間もなく指定時刻です。サブドライブを起動しました」
「なんでもいいけど、動くなら動くって言いなさいよ」
わかばの抗議も何のその。分かっているのかいないのか、Galaxiaは涼しい調子で言った。
「動きます」
「っ・・・!」
何か言ってやりたいと思うのに、腹が立ちすぎて言葉が出ない。全くもってかわいくない。
わかばがカッカしているところへ、Galaxiaとは別の落ち着いた機械的な声が響いた。
「間もなくドッキング解除します。乗員は着席、保護装置をセットして下さい。全計器データオールグリーン、メインドライブスタンバイ。サブドライブ稼働率50パーセント」
誰が着席なんか。すっかりへそを曲げたわかばがそのまま突っ立っていると、今度はGalaxiaが声をかけてきた。
「着席して保護装置をセットして下さい」
が、わかばは動く風もない。
「何をぼーっと突っ立っているんです。早く座って」
「イ、ヤ」
言って歯をむき出しぷいっと横を向く。
「わかば!」
Galaxiaは声を荒げた。
「ここから安定航行に入るまでがいちばん危険なんです。座らないならロボットを使って力ずくで座席に縛りつけますよ」
脅しでない印に部屋の隅にあったロボットが動きかける。わかばはしぶしぶ座席についた。
不意にガクン、と船体が揺れる。
「ドッキング解除完了。サブドライブ稼働率65パーセント、安定。火星周回軌道へ向け加速を開始します」
何がというのではないけれど、奇妙に緊張する。大体、わかばは今回のことがあるまで、地球上のドーム都市をつなぐ飛行機にすら乗ったことがなかった。乗ったことのある乗り物といえば、自転車か、せいぜい自動車くらいのものである。その自動車だって、まだ数えるほどしか乗ったことがない。わかばの住むドーム都市の人口は6千人強。せいぜい直径10キロ程度のドーム内で、自動車が必要になるようなことは、ほとんどない。
「重力場安定、周回軌道に入りました。第二次計器確認、オールグリーン。メインドライブへのエネルギー供給を開始します」
Galaxiaとは別の機械音声が細々と状況を伝えてくる。わかばは改めてこのメインコンソール群がある中央制御室を見渡し、小さく息をついた。ぱっと見て分かるのはメインスクリーンや可動カメラくらいのもの。後の細々とした機器は、そもそもそれが一体何であるのかさえ分からない。
船が全て知っているから聞けばいい、という話だったけれども。
とてもそんな雰囲気ではない。水嶺には仲良くしてやってと言われたが、到底無理そうである。
台にうつぶせる。
----絶対無理だよ----
今まで押さえ込んでいた涙が、不意にあふれ出てきた。
「旅立ったか・・・」
低い、低い声でマルス28が言う。パチ、パチと暖炉の火がはぜる。マルスと並んでそれを見つめながらロスハンはええ、と小さく頷いた。
マルスは古い時代を知る唯一の火星人である。ただ一人の生き残りと言ってもいい。地球人に比べ個体差の少ない火星人の中にあって、マルスだけは非常に異なっている----知識も、行動も、思考も。
地球人に関わってはならない。マルスは常にそう主張し続けて来た。そのままにしておくべきだ、と。
火星人たちは、マルスを大切にしてはいるが、といって彼の主張に従うかどうかは、また全く別の話である。カヌ=ヌアンへのGalaxia派遣の話が出た時も、彼は一人反対を唱えた。その反対ぶりは、かつて火星人たちが地球に降り立つことを決意した時ほどに強く、それがプロジェクト責任者たるナーナリューズの気にかかっていた。
----何らかの理由があるはずだ----
ナーナリューズは言い、ロスハンをマルスの元へと送り込んだのである。ナーナリューズ自身も2度ほど訪れて理由を尋ねたが、マルスは答えなかったのだという。
「マルス、反対する根拠を示してくれないか」
ロスハンが言う。マルスは答えない。パチ、パチ、音を立てながら、暗い室内に暖炉の光が大きく小さく二人の影を映し出す。
気候の調整されたドーム都市にあって、暖炉などという不完全な暖房設備は本来ならば必要ない。火星の中でここにだけこの不思議な暖房設備が設置されているのは、マルスがそれを望んだからに他ならない。マルスは大半の時間をこの火を見つめて過ごし、火の番をし続ける。まるでこの暖炉が彼の存在理由であるかのように。
狂った----壊れかけた火星人、ということになるのかもしれない。古い時代を知る唯一の火星人だが、彼はその古い記憶を一切語らない。誰に知らせることもしない。そのこと自体、火星人としては異常な状況である。が、それを皆は許して来た。マルスが、マルスであるが故に。
「答える気はない、か」
ナーナリューズに依頼されるまでもなく、ロスハン自身、マルスのことは気にかかっていた。マルスが何か意見を述べるのは、決まって地球人に関することであったから、地球人がらみの専識者である自分が関心を持つのは当然といえば当然かもしれない。
「では質問を変えよう。君は地球人の何を知っている?それを言ってくれなければ、私らも適切な判断を下せない」
何を尋ねても返るのは沈黙ばかり。
「マルス・・・」
時折思う。彼は、もはや正常な思考ができなくなっているのではないか、と。
「何故黙る?君は、永遠に自分の知識を自らの内のみにとどめ隠し続けるつもりなのか」
何をどう言っても、マルスは答えない。今までのデータ通りの反応である。彼が口を開くのはほとんど、会議の場で「地球人に関わってはならない」と主張する時だけである。
「君のデータがないがために、私らは何か大きな過ちを犯すかもしれない。既に犯しているのかも。話してくれないか、君が一体何を見、何を知ったのか」
重ねてロスハンが言う。
----パンドラの箱----
低い、ほとんど聞き取れないほどの声でマルスがつぶやいた。
「パンドラ?」
聞き慣れない音の連なりにロスハンが耳をそばだてる。が、マルスはそれっきり完全に口を閉ざし、何も言わなくなってしまった。