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935 蚊柱の兆し
蚊柱の兆しは江戸時代後期、武藤致和著の土佐藩地誌『南路志』に次のような話が記されています。
元禄年間のことである。
土佐藩高知城の城内に突如として蚊柱が立った。
この蚊柱の根本の太さは大きな柱くらい、高さは三、四尺ほどもあり、そのような巨大な蚊柱が北ノ口の藪から何本も立った。
そのとき、占いをよくする秀都という座頭がたまたま城下に滞在していた。
そこで人々が秀都に、今回の蚊柱について占わせたところ、秀都は次のように答えた。
「これは凶兆ではありません。土佐藩ご加増の兆しであります」
その後。
秀都のお告げのとおり、土佐藩は幡多三万石のご加増があったという。
この蚊柱の兆し。
吉兆のキザシたのでした。
・キザシ=兆し=来ざし
・武藤致和(むとうむねかず・1741~1813・商人、国学者)
・『南路志』(なんろし・土佐国の歴史・1815年成立)




