その二
これは昔、まだ私が学生だった頃、やっとガラケーが普及しつつあり、パソコンとかネットが今ほど当たり前ではなかった頃のお話しである。
あの頃を思い返すと、今でも寒々とした灰色の景色が甦る。
実際に、その年の十一月はひどく寒かった。大気もそうだが、私のか細い心そのものがひどく弱っていた。
今にも凍りついて、軒先の氷柱みたいにポキンと折れてしまいそうに冷たく吹きさらされていた。
日々、どうしようもなく虚ろでひたすらに侘びしかった。
その頃、私は狭いおんぼろアパートの片隅で丸くなって震えながら寝てばかりいた。
冬になる少し前、木々が秋らしく色付いて来た頃、本格的に孤独になってしまったのだった。
それまで二年間、大学でのたった一人唯一の、といっても大して仲良くもなかったが、まぁ辛うじて孤立を逃れるべくぼそぼそと無意味かつ不毛な会話をしていた男が姿を消してしまった。
本格的に友人と呼ぶには足りない、知人に毛の生えたような存在だった。けれど、居なきゃ居ないで都合が悪い。そんな曖昧かつ不安定な存在の、小柄なむさい男が唐突に音信不通になってしまったのだ。
やはりむさ苦しく野暮ったい私は彼の失踪によって学校で完全に孤立してしまった。
もとより授業を受けても何が何やら理解できなかったのだ。
向上心の欠片もなく、互いに傷を舐め合うような、くだらなくもその時の私には必要な関係性をもった人間。それをいきなり失って、私はやはり寂しく狼狽して途方に暮れてしまった。
一人、授業にはたまに出た。
出席はしたが、無論何も理解できなかった。
また理解しようとする肝心の根気や集中力が私からはすでに失われていた。
そんなにご立派な大学でもないのである。なのに、ちんぷんかんぷん。
私は自分のやる気のなさと無能さが日増しに浮き彫りになって行くようでひどく侘しく切なかった。
出席日数的に見ても、留年はどうにも避けられそうもない。
決して豊かではない両親にはなんと説明しよう?
完全に行き止まりである。
ちっぽけな自分の限界。
そればかりが感じられて見るもの触れるもの、何もかもが虚ろであった。
十一月も後半になり、もはや私はすでに学校に行く気力もなく、どこにも出たくなく、ただいたずらに敷きっぱなしの万年床にぐったりと横たわり、布団にくるまり目を閉じてつけっぱなしのテレビから流れてくる陽気な声をぼんやりと聞いていた。
なにもしたくない。出来ればこのまま貝になりたい。冗談でなく、そう思っていた。
それなのに、悲しいかな人は腹が減る生き物なのであった。私もその例外ではなかったのだ。
毎日夕方になるとむっくり起きて薄汚れたジャージの上下着の身着のままという訳にもいかず、ダウンジャケットを羽織ってよろよろと家を出る。
寒さと空腹に耐えかねて、歩いて五分くらいの小さなラーメン屋に行くのだ。
半分引きこもりの私みたいな人間にも優しいラーメン屋だった。
こんちは、と店に入ると愛想のよい親父も、おう、こんちは、いらっしゃいと返してくれる。
いつも座るカウンターの隅に腰かけて一寸すると、いつものやつと注文するまでもなく、親父はラーメンとライスのセットを出してくれる。
この店は安い。普通でも安いのに学生割引まであって、普通三百五十円のセットが学生は二百円だった。
セットと一緒に頼むと餃子が六個一皿百円であった。
その値段につられて元学生だった近隣の中年も通うはずで、ランチ時の店はいつも大変に混んでいる。
混んでいる時間は学生割引までは手が回らないらしく、普通の値段になってしまう。
だからランチ時は大概の学生は遠慮していかない。
開店直後の十時過ぎから十一時か繁忙期を過ぎた三時から五時くらいに行くと機嫌良く学生割引セットを出してくれるのだ。
大体私の店に行く六時前は学生もおらずサラリーマンも見当たらず、一番店の空いている時間帯だった。
余裕のできた親父は時々私に話しかけてくる。
いい天気だね。一寸冷えるね、空はどうだい、授業出てるか、またサボりだろう、顔色悪いな大丈夫かい、元気ないな、しっかりしろ、等と鍋を振るいながら語りかけてくる。
ぐったりしている私は、はぁとかううとか、目も合わせずに要領を得ない返事にもならぬ呟きを返すのみだった。
おせっかいみたいな言葉がうっとうしくも、日頃誰とも話すことのない私にはそんなおせっかいがどこか懐かしく少し嬉しかった。
街の外れの古びた小さなラーメン屋。そこが、そこだけが、当時の私の唯一の外出先であり、か細い心と空腹の唯一の拠り所であった。
なぁ、今暇かい。
ある日いつもみたいにラーメンセットを食べてお金を払い店を出ようとする背中に声をかけられた。
狼狽えながら振り向くと、親父が困ったような照れたような、どこかはにかんだ曖昧な微笑を浮かべて手招きしている。
実はさ、頼みがあるんだ。親父の話は私を更に狼狽えさせるばかりだった。
ラーメン屋の二階に住む親父の家族にも丁度私と同年代の息子がいるという。いるのはいいが、学校に通うでもなく仕事をするでもなく、母親を病気で亡くした中学生の頃からずっと何年も部屋にぐったりと引きこもり続けているという。
よければ一寸話し相手にでも、いや出来れば軽い友達にでもなってやって貰えないか。最初に見た時から兄さんなら話し相手によさそうだと思ったんだ。ラーメン割り引きするからさ、ははは。
冗談混じりに参ったよと語る親父の顔は恥ずかしそうな半ば泣きべそみたいな笑顔だった。
話によれば、ある時から私の汚い身なりやら物憂げな陰気な挙動なりを親父なりに観察していたらしい。
その結果親父なりに考えて審査した上で合格判定を下したらしい。
いつから目をつけていたのか知らないが、親父の白羽の矢は逃げる暇もなく私の頭にブスリと突き刺さった次第であった。
まぁわからなくもない。
あまりシャッキリハキハキした元気はつらつ爽やかなオロナミンCみたいな野郎をぐったりしている倅に会わせる訳にもいかねぇだろう。
親父は軽く笑うが、私は自身が世間からどう見られているのか、あけすけに言われているような気がして内心嬉しかろう訳もない。
しかし、思えば仕方のない事である。
今風の陽気なギャルやチャラチャラした男子が相手では、内気な引きこもりもますます殻の奥深くに引っ込んでしまうだろう。
私みたいな同じぐったり族に任せた方が良いかしらんと思うのはまぁまぁ自然である。
無論最初は私も拒絶した。私自身が今は誰とも会いたくなかったからである。
しかし、私はこの店を拒絶して、また一から界隈で気楽でかつ安い店を探す気にもなれなかった。
そんな気力はなかった。
無論空腹もある。
あるけれども、それよりもなによりも、完全に孤立する事を恐れていた。
一日誰とも接することのない不健全な孤独が心の内側から私自身を壊してゆくのが怖くて、汚い身なりでも平気そうな、やはり小汚い不人気そうな外見の、実際は人気店であったが、くたびれたラーメン屋をやっと見つけて、そこに通うことを私は敢えて自身に課していたのだ。
もっと言えば、その頃の私はひどく弱っていたのだ。正直、とても他所様の面倒事など請け負える心身の状態ではなかったのだ。
けれども幾度となく通った店でもあり、その話を持ちかけてきてからというもの、毎日夕方店に行く度に親父は何度となく頭を下げて頼んでくるし、また行く度に餃子とグラスビールをただでおまけしてくれるし、断りづらい環境は着々と構築されていたのだ。
やがて私は負けた。
いや正確に言えば、今のセットからラーメンも半額にするよ…という親父の悪魔的な囁きに私は折れた。貧しさと空腹と孤独とに、全くあっけなく敗北してしまったのだった。
なにか期待されても困りますよ。本当に雑談相手にもなれるかどうかわからないし、そもそも部屋に入れてくれるかどうか…。
しどろもどろな私の態度を意に介することもなく、親父はやっと息子の相手が現れたと大いに喜んで、まるで私の手を引かんとばかりに二階へ続く階段をすたすたと上ってゆく。
私も最早これまでと覚悟を決めて親父の足を追うように、薄暗く急な階段を踏みしめるように一歩ずつ上っていった。