その一
街に出ると、相変わらず人が沢山いる。
そこは去年か一昨年かに、めでたく人口三十万人を割り最早落ちぶれてゆく一途の、いわば斜陽のさえない地方都市であるにもかかわらず、駅前ともなれば、わらわらと本当に沢山の人がいる。
みんな一体どこから出てきたのだろうかと思うほど数多の老若男女と日々行き交いすれ違う。
やはり今日も続くコロナ対策の為に、私も含めて大概の人がマスクをして歩いている。
人の顔って不思議なものだ。
マスクをしていると何故だろうか大抵の人はシュッとして見える。男性は皆きりりと凛々しく、女性は皆目元涼しい美人に見える。
マスク効果とはこの事か、下手すると実物の三割増し位に見えたりするものだが、それは油断ならない罠であったりもする。やはり顔というものは鼻筋や口許も含めたバランスが重要なのだろう。
実際に声をかけてから、いざお茶でも飲みに行き、ウキウキしながら互いにマスクを外してみたらあれま、ガッカリなんてナンパ師も昨今は沢山いそうな気がする。
まぁ誘われた向こうもおんなじ事を思っているかも知れないが。
それはさておき、すれ違う顔の中に、ごくたまにあれ、多分前に見た顔では、という人にすれ違う。
一瞬立ち止まり、おや、あれは、いや、やはり、しかし似ている気もする…。
かなりしつこく記憶をほじくり返し考えてみるが思い出せない。
もしかしてあの人か。いや或いはこの人かも。名前はなんだっけ山田、いや、田中、いや違う。記憶のモンタージュと名前が少しも合致しない。
駄目だこりゃ。
全然ピンとこない。
やがて、まぁどうでもいいかと、人の流れに乗ってまた歩き出す。
まぁ、それは仕方ない。
流れゆく雑踏の中にぼんやり立ち尽くしている訳にもいかないであろう。
なにか、魚の小骨を歯の隙間に引っ掛けた時のようなもやもやを残しながら、首を傾げ、また群衆の一匹に紛れ込む。
なにせマスクありきの顔だから目から下ははっきりしないし、そもそも私はどうしたものか、情けない話だが人の顔だの名前だのを覚える事に関しては甚だ無能なのである。
最近会った人の顔さえ自信がない。ましてや十年も前の知人の顔や名前などに至っては曖昧なイメージは有っても最早はっきりしないのである。男か女か陽気陰気どんなだったか、精々そんなもんである。
一瞬の事であるし、わざわざ振り返り足早に追いかけて肩を叩くような事はしない。そんな人間はテレビの中だけである。実際にいたらかなり怪しい人物である。
仮に私が見知っているようないないようなあやふやな誰かに向かい、唐突に、よう、田中じゃないか、久しぶりだな、元気かい等と的外れな名字を出して話しかけられたら、話しかけられた相手は相当の不安と恐怖を覚えるであろう。
怪しい。多分うさんくさい人間であろう、きっと詐欺師の類いに違いないと思い、恐怖を押し殺して私を黙殺したまま歩き去るだろう。
そりゃそうだ。私も逆の立場ならきっとそうする。
だから私は声をかけたりはしない。
かけたりはしないけれども、そんな日は一日中、もしやの疑念が付きまとうのである。
あれは確かに昔面識があった人だと思う。
心の片隅がもやもやしてしまうのである。
そんな事は、まぁ誰にでも一度や二度は経験があると思う。
この間、まさにハッとする経験をした。
確かにあれは彼ではないか、いやしかし、という体験をしたのである。
彼といっても深い付き合いの人間ではない。ほんの数度の面識に過ぎない。
会話という会話もなかった。
けれども、仮に本当に彼なのだとしたら、私は彼になんと声をかけて良いのかわからない。もしかしたら私がきっかけで、ある事件が起きてしまったのかも知れないのだ。
つまらぬ私の人生に於て彼は、なかなか苦い記憶を伴う印象深い人物だったのだ。
すれ違ったその男を思い眠れなかった。