表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アスガルド・サガ(ASGARD SAGA)  作者: 扶桑かつみ
29/42

フェイズ15-2「アスガルド帝国の革新(2)」

 アスガルド帝国は、建国の頃から基本的に開拓国家であり農業国家だった。

 巨大な人口、大きな上昇曲線を描き続けた人口増加率は、豊かな北アスガルド大陸をひたすら開拓し続けたことによって達成されたものだった。

 前近代の時代に、広大な北アスガルド大陸中原を動力装置や機械力を用いずに僅か二世紀ほどでほぼ開拓し尽くしたのだから、その努力と熱意は人類史上にも残る偉業と言えるだろう。

 また、国中に行われた社会資本整備の業績を考えれば、世界最大級の土建国家でもあった。

 

 しかし、建国から150年を経過した第二次アスガルド戦争の頃、実のところ一つの転機を迎えつつあった。

 既存の技術で簡単に開拓できる場所に不足を感じるようになっていたのだ。

 

 各農村では人余りも出はじめており、余った人々が開拓するには過酷な大地が辺境には広がっていた。

 しかし西部大平原、北西部の森林地帯はいまだ多くが手つかずであり、技術の革新によって開拓地へと変化する可能性を持っていた。

 

 このためフレイディース1世は、ノルド王国に何度も自らが頭を下げ、実子を婚約という名の人質に出してまでして導入した産業の革新の中で、蒸気機関を動力源とした移動手段の開発を、国内外を問わずに学者、技術者、身分を問わず見込みのある者に行わせた。

 国内では巨額の援助金を与えて、不正が出ないよう監視まで行い、国内外双方に対しては莫大な報奨金も出した。

 技術を開発するための新たな学校も開き、民族、宗教を問わずに技術者、科学者を優遇して国内に招き、移民として迎え入れることも積極的に行われた。

 世界から招いた人々の為に、帝都の「特別区」には仏教やイスラム教、さらには天敵であるキリスト教の寺院までが特別に建設された。

 

 このためフレイディース1世の治世の間のアスガルド帝国は、「学者天国」、「技術者天国」とも言われたほどだった。

 「ブラキ賞」、「ドヴェルグ勲章」などの科学技術を称える勲章や賞は、フレイディース1世の治世の頃に設けられたものだ。

 特許制度についても、ノルド王国などと協力した上でアスガルド世界全体で通用するものを作り上げている。

 

 なお、初期の頃は、学問好きの先帝に続いて、今度は玩具好きの女帝だという陰口も多かった。

 莫大な資金を投じた上に、変化を嫌う保守派から嫌われる事が多かったからだ。

 

 しかしアスガルド帝国内で蒸気を動力とした利用した機械が広く用いられるようになると、人々の見る目も180度変わった。

 船であるにも関わらず、風と水の流れを無視して自由に移動できる有利が目に見える形で分かると、商人達を中心にして女帝の政策を絶賛するようになった。

 蒸気で動く船は、ノルド王国でも改良と開発が盛んに行われていたが、アスガルド帝国での開発は規模と予算の面で大きく上回り、開発が後発だったにも関わらず多くの成果を出していく事になる。

 

 隣接する北アスガルド各国も競争心を煽られ、積極的に技術開発を振興するようになる。

 陸上でも、蒸気を動力とした車が登場して、人々の好奇の目を集めた。

 

 そしてアスガルド歴764年、西暦1814年に人類史上で初めて登場した機械こそが、蒸気機関車だった。

 

 この発明の偉大さを即座に見抜いた女帝は、ただちに莫大な開発援助を行うと同時に、国策として大陸中に蒸気機関車が走る鉄の道、つまり鉄道の整備を精力的に開始する。

 同時に、鉄道の敷設のためには、今までとは比較にならないほど膨大な量の鉄、石炭が必要となるため、国内の鉱山開発が押し進められた。

 そしてアスガルド帝国内には、比較的容易く採掘出来る場所に当時の視点から見れば無尽蔵といえるほどの鉄と石炭が眠っており、有り余る資源を用いた世界を置き去りにするかのような帝国領内の大改造が開始される。

 

 蒸気機関車が動く様を最初に見た女帝は、「我は、これが欲しかったのだ」と絶賛したと言われている。

 

 アスガルド帝国では、すぐにも帝国鉄道と呼ばれる国営鉄道会社が設立され、広く投資を募る形で資金を集め、これに国庫からの巨額の出資を加えて、世界を置き去りにするほどの速度と熱意で帝国中の鉄道網を整備していった。

 全てを統括する鉄道省という新たな省庁が設立されたのは、早くもアスガルド歴766年(1816年)の事だった。

 

 最初の長距離鉄道が敷設されたのはアスガルド歴767年(1817年)で、771年には帝都フリズスキャールヴとミシシッピ中流の主要都市エリクソン間が開通。

 以後、帝国内で爆発的に敷設されていくようになる。

 アスガルド帝国以外では、773年にノルド王国でも隣国を見て慌てるように初めての商用路線が敷設され、まずはアスガルド世界で鉄道という革新的な交通機関が急速に広がっていく事になる。

 アスガルド世界以外に鉄道の普及が始まるのは、西暦1840年代(アスガルド歴790年代)に入ってからだった。

 どれほどの時間的優位をアスガルドの国々が得たかは、言うまでもないだろう。

 


 また蒸気機関を用いた陸上移動手段の開発は、移動手段としてばかりでなく土木作業、農作業にも応用されていった。

 代表的なのが蒸気牽引車だ。

 ラテン語の「引く」という意味を引用してトラクターと名付けられた蒸気の力で走る機械は、改良が重ねられていくに従い、引く手数多となっていく。

 

 この蒸気機械が主に引くのは、貨車や荷台ではなく重い鍬だった。

 

 巨大な鍬を地中深く食い込ませて蒸気の力で引っ張ることで、これまで開拓が不可能と考えられ放牧にしか使われていなかった西部大平原の堅い大地が、簡単に農地として開拓可能となった。

 動物とは牽引力が違うので、木の根や大きな石も容易くどかせることが出来た。

 灌漑用水路などの建設も、格段に容易になった。

 また他の地域でも、開拓の難しい場所の開墾が可能となり、そしてこの重たい機械など様々な文物は、鉄道を引いて運び込めばよかった。

 またポンプとしても蒸気機関は非常に有効で、鉱山での廃水以外にも治水事業にも大きな威力を発揮し、新たな農地の拡大に貢献した。

 他にも、蒸気を利用した土木作業機械、運搬機械が作られ、さっそく帝国領内の改造へと投入されていった。

 

 蒸気機関の開発により、帝国は世界に先駆けて根本から変るほどの革新を迎えることになる。

 

 また蒸気機関は、ノルド王国と同様に紡績業、毛織物業など様々な産業の動力としても活用され、様々機械を作るための産業も勃興し、機械式工業という大きな波がアスガルド全土を覆い尽くすようになる。

 

 そして新たな産業の勃興は大量の労働力を必要とし、それを簡単に供給できるアスガルド帝国では、産業の拠点となった都市が一気に肥大化していった。

 

 一部で既に危険視されていた余剰人口も、工場労働者もしくは新たな開拓民に変化し、それどころか人手がまったく足りない状態となった。

 高齢出産と少子化が徐々に進みつつあった農村でも、再び大きな人口増加に転じた。

 

 当時のアスガルドは海外領土、海外市場には乏しかったが、広大な国土を持ち、高度な国民を無数に抱えるため、国内市場だけで爆発的な発展が可能だった。

 


 しかしフレイディース1世は、自国での産業の革新が起きた時点でさらに先を見据えていた。

 

 つまり、新たな市場と新たな資源供給地の獲得だ。

 

 この当時アスガルド帝国は、北アスガルド大陸のほぼ6割を領有していた。

 他には、エーギル海のフィマフェング島を始めとする一部の島嶼を有していた。

 南アスガルド大陸はほとんどがノルド王国領で、ノルド王国が進出しなかった南端の気候が厳しい地域を一部有するに過ぎなかった。

 

 しかしアスガルド人の中での勢力境界線として、大東洋はアスガルド帝国の進出範囲とされていた。

 事実、アスガルド人が唯一アジアに持つ植民地のフレニアは、独立時にアスガルド帝国領となっていた。

 

 そしてフレイディース1世が重視したのが、大東洋、アジアへの進出だった。

 

 当時東アジアから大東洋の西側は、ほぼ全て日本人の勢力圏となっていた。

 しかし日本の江戸幕府は、その全てを領土や植民地としているわけではなかった。

 南半球の豪州大陸、新海諸島ではそれなりに開発が進んでいたし、東南アジアの島嶼のかなりを事実上の植民地や現地国家の保護国化を行っていたが、まだ「空き家」は多く存在していた。

 

 また日本の江戸幕府とアスガルド帝国は、基本的に友好関係を結び活発な交易活動も行っていた。

 アスガルド帝国側からはほぼ皆無だったが、相互移民の受け入れも行っていたほどだった。

 大東洋での捕鯨産業でも、それなりに対立しつつも両者の棲み分けが行われていた。

 

 加えてフレイディース1世は知日家で、日本文化への造形が深い事でも知られていた。

 現在のアスガルド帝国美術館にも彼女の収集品が数多く残され、中には日本には既に存在しない品も数多く存在しているほどだった。

 特に浮世絵の収集物が豊富で、どうやって手に入れたのか謎とも言われる大量の春画にまで収集の範囲が及んでいる。

 

 また、収集癖以外は無趣味もしくは職務が趣味といわれる女帝だが、珍しい食べ物を好んだ美食家だった。

 彼女の影響により、トルコ料理や中華料理、さらに仇敵のフランス料理など世界中の料理がこの頃のアスガルドにも広がり、彼女自身は当時熟爛期に入りつつあった日本食を、健康維持を理由として非常に好んだと言われる。

 今日、アスガルド帝国で醤油が一般的調味料として使われるのも、女帝の影響だった。

 

 そうした様々な要因もあって、安易に日本を攻めて領土を奪い取るという事は心理的にも難しかったと言われる。

 また日本人が緩やかながら産業の革新を始めていたことを加えると、物理的に侵略することも難しいのが実状だった。

 

 しかしアジアには、日本以外の国も沢山あった。

 中華世界の統合を達成していた清朝、東南アジア諸国、そしてフランスの植民地化に苦しんでいるインド地域があった。

 さらに西に進めば、イスラム世界も広がっている。

 日本人が少しずつ進んでいるように、アフリカ大陸東岸への到達も十分可能だった。

 そしてアスガルドにはフレニアという橋頭堡があり、情報収集も十分に行われていた。

 彼女の時代になると、フレニア総督府の機能も大幅に強化されている。

 

 そうした実状を踏まえて、交易のいっそうの活発化と、世界規模での探索が行われる。

 


 フレイディース1世は、国庫から莫大な予算を割き、軍人や学者などを募って探検隊を編成し、世界各地に派遣した。

 

 既に世界の多くは、ヨーロピアンか日本人に探されていたが、それでもまだ見つかっていない場所はあるし、誰も領有宣言を出していない場所もあった。

 

 アスガルド帝国は、そうしたところに片っ端から旗を立ててまわり、その足跡はアフリカ大陸東岸にまで至った。

 この中で大東洋南西部の島々が次々とアスガルド帝国に編入され、慌てた江戸幕府も大東洋の南半球側の探索と領有を各所で行ったほどだった。

 南極に近い場所にある小さな島々のかなりをアスガルド帝国が有しているのも、この頃の探索のお陰だった。

 また重要と考えられた島を奪うため、ヨーロピアンを含めて小競り合い程度の戦闘もかなり行われている。

 そうした動きは、1830年代に入ると活発化していった。

 

 もっとも、フレイディース1世が欲したのは、植民地ではなく市場だった。

 今後アスガルド帝国内で生産される大量の工業製品を売りさばける市場が欲しかった。

 また出来うるなら、資本の投下先としての次世代の植民地も望んでいた。

 市場と資本の投下先こそが、産業の革新をさらに押し進める為に必要だったからだ。

 

 しかしヨーロッパや日本と言った先進地域との全面的な争いや軋轢になれば費用対効果が悪く時間がかかるので、まずは誰もいないところへと進んでいった。

 同時に次の「獲物」の物色を進め、その準備を行っていった。

 

 そうした中でフレイディース1世が最初に目を付けた市場が、ユーラシア大陸の北東部と清朝だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ