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アスガルド・サガ(ASGARD SAGA)  作者: 扶桑かつみ


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フェイズ15-1「アスガルド帝国の革新(1)」

 西暦1811年、アスガルド歴761年秋、アスガルド帝国は建国以来初めて対外戦争に敗北した。

 

 独立以後の戦いがスクレーリングに対する勝利だけだったとしても、帝都陥落という決定的な敗北はアスガルド帝国民の上に大きくのしかかった。

 しかも負けたのが、独立を勝ち取ったノルド王国に対してであり、その負け方が常備軍が野戦で敗れた上に帝都に入城されたという事が、感情面での敗北感を大きくしていた。

 

 そして皇帝オーラヴ二世は、アスガルド帝国史上始まって以来となる敗戦の責任を取る形で、講和会議の後に禅譲退位した。

 当然と言えば当然の事だったかもしれないが、その後継者が帝国中枢では問題とされた。

 

 新たに第八代皇帝としてフレイディース1世が帝位についたのだが、名前の通り女性でありアスガルド帝国初の女帝だったからだ。

 

(※「フレイディース」の「ディース」とは「娘」の事を表し、女性の名にしか名付けられない。この場合は「フレイの娘」となり、フレイとはラグナ教に出てくる豊穣の神を差す。)


 この時アスガルド帝国では、ノルド王国に弱みを見せない為と、講和会議後の混乱を治めるため、宮廷内で世継ぎ争いや権力闘争を長々としている暇がなかった。

 とにかく、第一子を帝位につけるより他無かったが故の、若き女帝の即位となった。

 オーラヴ二世には、妾の子(私生児)を含めて多くの実子がいたのだが、当時国内で成人を迎えていたのが長女のフレイディースしかいなかったための選択でもあった。

 それでも禅譲においては、オーラヴ二世が事前に重臣達と最低限の話し合いと根回しを行ったため、大きな混乱もなく禅譲と新帝即位が行われた。

 ノルド王国などアスガルド各国も、女帝の誕生に特に異を唱えなかった。

 ただしこれは、隣国としては女帝が立つことでアスガルド帝国が内政的に混乱することを期待しての事だった。

 

 この時フレイディース1世は満17才。

 初代皇帝シグルト一世を上回る、アスガルド帝国史上最も若い皇帝即位でもあった。

 

 一時は、オーラヴ二世と同世代の皇族男子の誰かを帝位に就けようという意見もあったが、帝国の伝統を乱すわけにはいかないという意見の方が多かった。

 またフレイディース以外のオーラヴ二世の実子のうち、男子の最高齢が11才だったため、後見人などの傀儡となる可能性がより高いとされてこちらも通らなかった。

 オーラヴ二世には子供が多かったが、最初の頃の子供は女子ばかりで、しかも長女のフレイディース以外のほぼ全員(3人)がどこかの国か大貴族に既に嫁いでいた。

 国内に残っている未婚の女子も、フレイディースよりかなり年下、つまり継承順位が低かった。

 男子は他にも何名かいたが、全員まだ成人していなかった。

 

 禅譲が5年ないし10年後ならまた話しも違っていたかも知れないが、とにかく現状での権力闘争が帝都で行われた。

 そして暗殺未遂などの血なまぐさい事件が水面下ではあったとされ、宮廷内でも相応の権力争いが実施されたと言われている。

 安定性を欠いた時の絶対君主の国家としては、致し方のない事だった。

 

 だが長子という以外のもう一つの要素が、その絶対君主国家での若い女帝の誕生を後押しした。

 

 通常ならば、女帝、若年という悪い要素が重なっていたのだが、フレイディース1世は皇女時代の成人と共に婿養子の形で結婚も行っているという利点があった。

 結婚は戦争中の事で国民の戦意昂揚の一環ではあったし、実際1810年秋に行われた美男美女による大規模な行進付きの派手やかな婚礼は、国民の士気をいくらかか高めもした。

 皇族直系と大貴族の婚姻は、国家の内政安定にも寄与した。

 そして婚礼よりも価値があったのが、結婚すぐにも懐妊して即位時には既に赤毛の男児を第一子としてもうけていた事だった。

 

 既に次の継承者がいるという事は、帝家直系の第一子であるという事を含めて極めて大きな利点だった。

 

 また夫となったヴァンヘイム大公爵(※女帝の夫はそう呼ばれることになっている)は、皇帝家の外戚に当たるレイヴソン公爵家の第一子だったエイステイン公子だった。

 レイヴソン公爵家は中南部に広大な領土を持つ古くからの大貴族で、宮廷内での影響力も極めて大きかった。

 そうした後ろ盾が、フレイディース1世を産む大きな要素ともなっていた。

 


 そしてフレイディース1世とエイステイン・ヴァンヘイム大公爵による、国家の建て直しが始まる。

 

 この若すぎる女帝による統治に対して、各大臣を始めとする重臣達、大貴族達、帝国を支えているという自負を持つ優秀な官僚団、軍は、自分たちが実質を果たさねばならないと自然に考えていた。

 そして彼らの中での問題があるとすれば、それは女帝よりも夫となったヴァンヘイム大公爵にあった。

 

 赤毛で長身の美丈夫だったヴァンヘイム大公爵は、第二次アスガルド戦争中にレイヴソン公爵家の軍の代表として、自家の軍勢を中心にかなりの規模の部隊を率いた。

 主に戦ったのは主戦場から離れた南部戦線だったが、そこで的確で勇猛な指揮を見せ実績も残していた。

 結局大勢に影響は与えなかったが、ノルド軍に対して局所的な勝利も飾っている。

 つまりは戦上手であり、年齢がまだ二十歳を超えたばかりだという事を加味しても、注意すべき要素だと考えられていた。

 ヴァンヘイム大公爵の出自が大封(大領土)を持つ裕福なレイヴソン公爵家であるという事を合わせると、女帝を傀儡とする恐れすらあるとも考えられていた。

 このため、水面下では一度ならずも暗殺未遂事件が起きていると言われる。

 

 そして全ての人に軽んじられていた女帝フレイディース1世だったが、それは半年もしないうちに多くが間違いだったことが知られるようになる。

 

 金髪碧眼を持つお人形のような美しさだけが取り柄のお飾りの女帝と思われていたのだが、その知性と洞察力、直感力は天才を称して良いほど抜きん出ていた。

 人をして「一を学んで十を知り、百を予測する」と言わしめるほどの才能だった。

 

 この事は、古くからフレイディース1世に仕えたり近くにいた人々の一部は気づいていたのだが、不可侵の帝位についたことで、それまで個人として以上で能力の発揮場所がなかった才能の使い場所を与えられることになる。

 

 しかもフレイディース1世は、先帝オーラヴ二世が学問好きだった影響を受けてか、非常に博識で向学意欲が高かった。

 オーラヴ二世が行った政策の幾つかは、皇女時代のフレイディース1世が影で献策したものだとも言われている。

 ヴァンヘイム大公爵が後世にまで残した手記にも、実質的な初対面で大きな衝撃を受けたと書き記されている。

 

 また当人と側近などが残した手記や記録などから、早くからアスガルド帝国がノルド王国に戦争で敗北する可能性が高いことを示唆していたし、自身が次代の帝国を背負うのだという自負のもとで自らの結婚を押し進めていた。

 早い子作りについても同様だった。

 才能ばかりでなく、精神的にも強く、決断も早く果断で、行動力も十人前以上を持ち合わせていた。

 

 そして自らが望んだとおりに帝位に就き、そして親政によって国家の建て直しをはかっていく事になる。

 


 帝国は、彼女がほぼ2年に一度の間隔で新たに子供を授かるたびに、大きく変わっていった。

 

 フレイディース1世の行ったことを箇条書きにすれば、順次皇帝親政を止めて啓蒙君主化する事、欽定憲法の制定、帝国議会の開設と常設化、閣僚、大臣の職務権限強化、中央教育制度の改革、産業の再編成、産業の革新(産業革命の進展)、海外貿易の活性化、外交の活発化、新たな植民地の獲得、軍制を含めた軍の再編と近代化、文化、教育の振興など、ほぼ全ての分野にわたっている。

 

 こうした中で特に注目されるのは、産業革命を進めたことと国家制度の大改革になるだろう。

 これまで絶対王政下にあったアスガルド帝国は、君主自らの手によって一気に初期型の立憲君主国家へと大きく変化し、産業の革新により国内の産業構造が一気に変化した。

 

 また、それまでも国民心理的には国民国家に近かったのを、制度面でも押し進め、軍制の改革を含めて「臣民」を「国民」とする事にも成功している。

 端的に言えば、「臣民」に「権利」を与えることで「義務」を負わせたという事になるだろう。

 ただし、彼女の時代においては民主選挙は結局実施されておらず、近代化ではあっても民主化ではなかった。

 漸進や改革ではあっても、革命ではなかった。

 それらは、次代の人々の役割だった。

 

 こうした改革に対してフレイディース1世は、一般的には皇帝としての権限を縦横にかつ強権的に使ったと思われることが多い。

 しかし実際は、勅命、勅令の数は初期以外に少ない。

 また大臣、貴族、官僚、軍人を使うのが巧く、臣下達に責任と権限の双方を均等に与え、報償と罰を合わせて制御した。

 極端に固有の人物を重用したり、増長させたりする事もなかった。

 出過ぎた者には、相応の罰を与えた。

 皇帝の権限も徐々に少なくして、官僚や大臣などへの役割分担を増やしていった。

 うまく反対を押し切って制定した欽定憲法によって、新たな体制を成文化、制度化もしていった。

 

 実際、皇帝一人で巨大な帝国の何もかもができる時代で無くなりつつあったし、そのときどきの皇帝自身の苦手な事もあるので、非常に効率的かつ合理的な判断だったと評価されている。

 

 また女帝を傀儡とするのではと一部で警戒されていた夫のヴァンヘイム大公爵だが、蓋を開けてみると女帝のよき理解者であり賛同者だった。

 彼は、実家のレイヴソン公爵家の横やりを交わしつつ、フレイディース1世と二人三脚で改革を進めた。

 

 彼が主に請け負ったのは、得意分野の軍制改革だった。

 また軍を実質的に率いるのが女帝ではなく大公爵であるという点は軍人達の受けもよく、また彼が武勇と実力を備えた人物だった事が、改革を押し進める上で大きな利点となった。

 そして大公爵自身は、そうして得た名声と権力を自らの権力強化にはほとんど使わず、皇帝の夫、帝国大元帥としての地位に自ら甘んじ続けた。

 


 なお二人の仲だが、基本的には良好だったと伝えられている。

 ただヴァンヘイム大公爵は、職務上帝都と帝宮を空けていることが多い上に美丈夫(美男子)だったためか浮き名は多く、記録に残されているだけでも私生児が数名存在している。

 残されたヴァンヘイム大公爵の手記には、フレイディース1世との夫婦喧嘩を思わせる文章や愚痴も残されている。

 

 一方のフレイディース1世は、公務の忙しさからか特に浮いた話しもなく、二人の間に双子を含め男女4名ずつ合計8名の子供をもうけている。

 16才(1811年)に最初の子供を産み、32才(1827年)に最後となる8人目を産んでいる。

 そして彼女は妊娠中もほぼ休むことなく公務をとり続けたため、玉座や執務室ではなく寝室や居間で公務を行うことが多かったと言われる。

 

 そして最後の子供を産む頃には改革も一定段階を過ぎ、内政面では政治的にも安定期に入った。

 第一子のフレイソンも無事に成人を迎え、正式に皇太子となる儀式も行われた。

 そうした頃に大きな変化を迎えていたのが、帝国の産業構造だった。


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