フェイズ01-1「フロンティア再び(1)」
10世紀末、赤毛のエイリーク(Eirik Raude 950年頃 - 1003年頃)として伝えられるヴァイキングとその一族など小数の人々が、グリーンランドの南東部に入植した。
だが、最も気候が温暖な場所でも、グリーンランドの自然は人が住むには厳しい場所だった。
しかしフィヨルドの奥まった日当たりの良い場所にだけ、羊の放牧を中心とした農業が可能な土地があったので、ヴァイキング達は新たな入植地を築いた。
その場所は、既に人口が飽和しつつあり自然破壊が進んでいたアイスランドよりも住み良い場所だった。
冬は厳しかったが、夏になれば牧草が一面を覆い、発見された頃は北の大地での貴重な燃料資源となる低木の柳が生い茂っていた。
また獲物も豊富で、先住者もいなかった。
海賊として知られている彼らだが、生活の基本は牧畜にあり、新たな入植地であるグリーンランドにおいても牛や羊、できれば豚の牧畜業と各種狩猟、漁業で生計を立てるようになった。
そして当時人口拡大期にあったヴァイキング達は、人口密度が過剰になり人の手による自然破壊も進んでいたアイスランドなどからも入植者が集まり、グリーンランドにも一定の社会が築かれていった。
しかしそこはヨーロッパ文明の最前線であると同時に、最も辺境に位置する場所だった。
そしてヴァイキング達は、そのすぐ先にある陸地が未知の新大陸である事も、グリーンランドを探索する際にある程度把握していた。
このためすぐにも木材資源獲得を主な目的とした探索が開始され、「ヴィン」つまりブドウが自生する土地、「ヴィンランド」を発見するに至る。
そこは新大陸に隣接する島(現在のヴィンランド島)の一部であり、その場に拠点を設けるまでにも新大陸の陸地にも上陸を果たしていた。
そうして赤毛のエイリークの息子であるレイヴ・エリークスソンは仲間達を連れ、十数隻のヴァイキング船で新大陸入植の第一歩を記した。
だがヴィンランドには、ヴァイキング達を阻む最大の障害があった。
先住民の存在だ。
ヴァイキング達は先住民とのファーストコンタクトに失敗したこともあり、自分たちの数の少なさと人や物資の補充の難しさなどのため、新たに築いた拠点を十年ほどで放棄しなければならなかった。
いっぽうグリーンランドでの入植は順調に拡大し、しばらくすると膨張への熱意が低下した事もあってより遠い場所への入植は棚上げ状態となっていった。
そうしてグリーンランドにヨーロッパ世界を発祥とする人々が住み始め、半世紀ほどの時が流れた。
ある年を始まりとしてその後数年間、グリーンランドは酷い冷害など様々な自然災害に見舞われた。
この地域特有の気象ではあったが、寒さに慣れている筈のヴァイキングの想像を超えており、遅い春の到来などのため厳しい飢饉に直面していた。
そして寒冷な気候の始まりから数年後の夏、グリーンランドにない材木などの入手のため、再びヴィンランドを訪れることになった。
そして男達は、かつてそこに住んでいた原住民たちとその痕跡が異常なほど減少している事を知る。
ヴィンランドに赴かなくても、その手前にあるマルクランド(マルクランド半島)で通常は木材の入手や大量の木材(木炭)を消費する製鉄を行うのだが、有益な文物を得ようとする挑戦がその発見をもたらした。
ヴァイキング達が理由を知ることはなかったが、その答えは新大陸にいない筈の動物である牛達が後世の研究者達に回答を教えることになる。
最初の入植実験の頃に数えるほどしか持ち込まれず、原住民との戦いの間に逃げ出したり撤退の際に放棄せざるを得なかった牛達が、その後勝手に繁殖して彼らが新大陸には存在しない強力な疫病である「天然痘」の保菌者として新大陸に存在しない細菌をはぐくんだ。
そして原住民達が、数の増えた見慣れぬ大きな獣(牛)の活用を考えようと村に連れ帰った時に、牛達が持っていた天然痘が人に感染。
その後天然痘は爆発的に地域一帯の原住民に広がり、ヴァイキング達が再び現地を訪れたちょうどその頃、原住民のほぼ全てを一度死滅させたところだった。
時期は11世紀中頃。
ヨーロッパ世界は、まだまだ中世のまどろみの中にあった。
その後、グリーンランドのヴァイキング達の一部は、かつて失敗したヴィンランドへの再度の入植を決める。
前回は原住民との争いによって失敗に追いやられたが、今度は何故か先住民がいないし当面の食料となる牛達までが自然繁殖で住むようになっているとあっては、寒冷なグリーンランドに固執するより、新天地に新たな活路と生活を求める者が大勢現れた。
当時のグリーランドの人口は、レイヴ・エリークスソンが最初にヴィンランドへの移住を試みた頃より大きく増えていた。
このため、早くも人の手による自然破壊が進んでおり、また人口が増えた事で開発できる場所は完全になくなっていた。
こうした圧力が、人々を再び新大陸へと押し出させたのだ。
だが、かつての記憶がまだ残っていたため慎重で、まずは調査隊として3隻の中型ヴァイキング船に僅か52名が乗り込んだ。
再び新天地に旅立った最初の人々の長はトール・エリークスソンというノルド系ではありきたりな名前を持った人物だった。
彼の素性ははっきりしておらず、名前でも分かるように残された系譜によれば赤毛のエイリークの傍系に属する事になっている。
そして彼に率いられた最初の52人は、鍛冶、狩猟、建築、放牧に長けた屈強な男性の若者ばかりが選ばれており、可能な限り鉄製の武器と道具を持っていたので、武装移民団や調査隊という向きが強かった。
百名以上の本格的な移民によって最初の女性が移民したのも、ヴィンランドで建造された船が戻ってきてからさらに数年経ってからだという記録が残されている。
入植地の名はかつてと同様に「レイフスブディル(レイブの町)」と呼ばれ、地域全体を表す言葉は希望を込めて「ワインの国」を意味する「ヴィンランド」が使われた。
ただし実際自生のブドウが実るのは、後にヴィンランド島と名付けられた現地の南部にごく一部、しかも温暖な気候の時期に見られただけだった。
だが新天地は、原住民さえいなければグリーンランドよりも余程住みやすい土地だった。
そうしてグリーンランドに大きく二カ所あった入植地では、その後も大きな苦境に陥ることもなく持ちこたえ、以後一世紀ほどはグリーンランドもしくはさらに東のアイスランドで溢れたヴァイキング達が、余剰人口が増えると共に豊かな大地が広がるヴィンランドを目指して入植していった。
そのヴィンランドでは、気候が他のヴァイキング生存地域に比べて温暖な事から順調な発展を遂げ、現地で増えた人々はさらに南へと向かい、その地にも新たな入植地を築いた。
しかし新たな入植地には、大きな問題があった。
ヨーロッパからあまりにも遠すぎるのだ。
特に、最も近いグリーンランドとの間の距離がありすぎた。
何しろ当時のヴァイキングの航海方法では、最長で6週間もかかった。
グリーンランドのヴィンランドの直線距離は1500キロメートル程度なのだが、沿岸が見えるように海流に沿って航海することを常とする当時のヴァイキング達にとって、新天地への航路は直線距離の約二倍もあったのだ。
これでは直接ヨーロッパに行くことは事実上不可能で、夏が短く流氷の多い年などは2年がかりで往復しなければならなかった。
当然だが、ヨーロッパからの船、商船が近づくことはなかった。
またヴァイキング達は、よそ者にヴィンランドの事は秘密にし続けていた。
故に、何か文明の文物が欲しければ、ヴィンランドの人々は自分たちでグリーンランドやアイスランド、さらにはヨーロッパの策源地であるノルウェーに行かねばならなかった。
その一方で当時のヴィンランド各地には、ヴァイキング達が必要とする全ての資源と条件が揃っていたため、彼らの側から特にヨーロッパとの連絡を保つ必要性もなかった。
特に、ヴァイキング達が必要とする木材資源と鉄(+製鉄のために必要な木材)さえ豊富にあれば、彼らの生活は拡大の一途を辿った。
何しろヴィンランドは獲物も豊富で、牧草も豊かだった。
パンやビールを造るための麦(大麦又はライ麦、オート麦)も十分に育った。
唯一必要なのはキリスト教会(特に司祭任命権を持つ司教)だが、新天地は別に神の恩寵がなくても暮らしていける場所だった。
しかも税(教会への十分の一税)を納めなければならないともなると、距離の問題もあって恩寵に対する負担も大きかった。
何より、彼らの直接の始祖となる赤毛のエイリークは生涯改宗していなかった。
そして温暖な新天地に移住した人々の間では、徐々にグリーンランドでの厳しくそしてヨーロッパ世界に傾倒しすぎた生活への反動が出るようになる。
グリーンランドは、どこかの農場に属した強固な集団生活以外で、ヴァイキング式の生存ができない過酷な場所だった。
自分たちの生活基盤の脆弱さのため、精神的にキリスト教に頼り、ヨーロッパ世界の住人であるというアイデンティティーにすがる傾向も強かった。
このためグリーンランドの人々は、生活に必要な鉄製品の輸入を削ってでも、キリスト教会に必要な貴重品を輸入し続けた。
だが一方のヴィンランドでは、強固な集団生活を選択せずとも十分生存、いや生活が可能な場所だった。
その気になれば、一人でも狩猟などで生計を立てることが可能だった。
また河川には豊富なシャケやマスが遡上するのに、それを食べない手はなかった。
そして何よりヴァイキング達の文明維持に必要な鉄資源、木材資源が豊富にあった。
なおグリーンランドの人々は、身近に多数生息する魚を食料とせず、収穫される乳製品や家畜の肉以外では、主に狩猟で得られるシンリントナカイと味の悪いアザラシの肉を食べていた。
特に貧しい人々の主食は、アザラシとなった。
だがアザラシの肉は決して美味しい肉ではなく、場所がグリーンランドなどの極北の地でなければヨーロッパ出身の人々が食べるような食料ではなかった。
これも近在のライバルである原住民を蛮族と蔑み、自分たちがヨーロピアンであるという矜持によって作られた禁忌であり習慣の一つであった。
そうして、生活、食料を始めとした様々な面での反動、またあまりにも保守的だった生活そのものへの反動が、物産の豊かな新天地で現れた。
そして新天地に最初に再移住した人々は特にその傾向が強く、グリーンランドでの多くの行いを悪弊や害悪と捉え、その責任をグリーンランドに移ってから伝わってきたキリスト教の責任に転嫁する動きが見られるようになる。
しかもヴィンランドには、司教どころか司祭すら一度も赴任してこなかった。
当然キリスト教に対する信仰は衰えていった。
そして神の名を唱えなくても、鉄の武器と防具さえあれば、ヴァイキングは数の少ない原住民に対して無敵だった。
時には、神話に出てくる軍神のごとき活躍すら可能だった。
木や石、骨しか道具のない原住民に対して、鉄の武具はそれだけの優位をヴァイキング達に与えたのだ。
そして新天地の人々は、「蛮族」との戦いに際して、十字架ではなく自分たちの神話に出てくる戦いの神にして雷神でもあるトールの象徴である鎚を意匠化した装飾品をお守りとした。
また保守的な生活への反動、豊かな新天地での新たな生活が、ヴィンランドの人々を再びヨーロピアン的な挑戦と好奇心の方向性に誘い、知恵と努力によって生活を改善し豊かにするようになる。
豊かな大地が広がる新大陸は、新しいことを始めるのにはうってつけの実験場だった。
一方で新天地のヴァイキング達は、ヨーロッパとの連絡をだんだんと疎むようになっていった。
そしてヴィンランドや、さらに南の広大な大地からグリーンランドに物資を供給する流れを作ると、グリーンランドでも教会への信仰の衰えが目立ち、古い神話が再び人々の心に根ざすようになっていく。
12世紀初頭に作られた新たな入植地では、ついに教会が建設されることが新天地に移住した人々によって否定される。
そして12世紀のある日、さらなる新天地へと旅だった人々は、新たな入植地の建設を決めた場所でノルド神話(北欧神話)を復活させ、同時にキリスト教を棄てることを宣言し、新天地を神話に出てくるヴァルハラと名付けた。
この時復活した宗教としてのノルド神話(北欧神話)を、「ラグナ教」という。
ラグナとはノルド神話で「偉大な神々」を意味する。
そしてこのような古い神話を元にした多神教の復活は、世界的に見ても非常に希な例であった。
ただし古代の神話とは違い、宗教としての側面は一部キリスト教が取り入れられており、完全に同じものではない。
本来ノルド神話の信奉されていた世界では、神殿はほとんど建設されていないので、壮麗で巨大な神殿が造られるようになったのは、間違いなくキリスト教の影響だった。
宗教建築物以外で天を目指すような高層建築が好まれたのも、キリスト教の影響だった。
神殿での階層社会も、キリスト教から取り入れられたものが数多く見られた。
なお、キリスト教とラグナ教の違いは、一神教か多神教の違いだけではなかった。
王又は現地の統治者が宗教的権威を兼ねており、支配構造が一元化されている点が大きな違いだった。
また教会はなく、それぞれの神々を祀る古代ローマのような神殿が信仰の主体だった。
そして神殿には十字架は掲げられず、僧侶、司祭は神官、神官長という形になった。
神官は権力者の下に属しており、実質的な政治的権力や領地はほとんど与えられていなかった。
こうした点は、後のキリスト教の一部が採用した国家宗教としての形態に近いと言えるかもしれない。
また、十字架の代わりとでも言える新たなシンボルとして、鳥の羽をモチーフにしたシンボルが作られている。