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第八話 報・連・相

 

「どうした? 七瀬」


「あの……」


 言おうか言うまいか、迷っているようだ。

 先週のツンとした表情とは、かけ離れている。

 今朝だってそれは変わらなかったのに、今はまるで迷子の子犬の様に不安そうな表情だ。


「どうした? 何でも言ってみろ」


「あの……実は……。いえ、やっぱりいいです。

 私の思い過ごしかもしれませんし……」


「そうか。困った事があるなら何でも言えよ」


 七瀬は俯いてしまった。


 言い(にく)そうだな。

 何に悩んでいるんだか……


 この際だから、俺もひとつ聞いてしまおうかな。




「七瀬。俺の方からも、聞いておきたい事があるんだが、良いか?」


「何ですか?」


「今でも怒っているか?」


「怒るって何をですか?」


「いや……研修の時に君の名前を間違えた事」


 七瀬はキョトンとした。


「え? 片桐さん、そんな事を気にされていたんですか? 人事研修でも間違えられましたし、子供の頃から、もう慣れっこです。全然怒ってませんよ」


「そうか。それなら良かった」


「なんで急にそんな事言い出したんですか?」


「だって……君はいつもツンとしてるし、あの時の事をずっと怒ってるんじゃないかって」


「だから怒ってませんって。むしろ忘れていたくらいです」


「ホントか?」


「本当です。主任は一週間も気にされていたんですか? そんなの気にしなくてよかったのに……」


 そう言うと七瀬は、クスッと笑った。


 話している時の七瀬の目は、嘘を吐いている様には見えなかった。きっと言葉通りに信じて良いのだろう。



「そうか、それは良かった。ずっと引っ掛かっていてな……。

 それじゃあ、工場に入るぞ。

 あ、それから、なぜ真っ先に工場に入るのか、その意義を伝えておく」


「はい」


「いいか、七瀬。工場には沢山の人が入れ替わり立ち替わり働いている。

 俺達が管理している試作品は、特殊な条件の時だけは自分達で処理を行うが、殆どの処理は量産製品と同様、製造部門に作業してもらっている。決して俺達だけで作り上げる訳ではないんだ。お世話になる事も沢山ある。だからこそ早く顔を覚えてもらった方が良いからだ。分かるな?」


「はい。分かります」


「午後になれば、ほほ全員の新人がゾロゾロと工場に入るだろう。その点、朝から入ろうなんて考える教育担当はいないと思っていたから、今がチャンスなんだ」


「はぁ、そうなんですか……」


「現に今、誰も工場に来ていないのが何よりの証拠だ。それにいい加減、机に座りっぱなしも飽きるだろ?」


「それもそうですね」


 七瀬はまた、クスッと笑った。


 それから俺達は、工場棟奥にあるクリーンルームに入室し、各ブロックリーダーに七瀬を紹介して回った。七瀬も礼儀正しく挨拶をし、手応えは上々だったと思える。




 昼休憩を挟み、午後は事務所で書類作成を教える事にした。

 七瀬は、研修の時から仲が良さそうだった大谷まどかと一緒に休憩を取っていたらしい。二人一緒に事務所に現れ、大谷は矢澤の所に戻って行った。


「主任、お待たせしました」


「まだ時間には少し早い。……大谷と仲が良いんだな」


「まどかですか? まどかとは小学生の時から一緒です。この会社に来たのも、まどかが誘ってくれたからなんです」


「そうか、幼馴染みか……。大切にしないとな」


「はい!」


 七瀬も、こんなに嬉しそうに話すんだな……。




 キンコンカーンコーン

 キーンコーンカーンコーン


「それじゃ、午後はここで、書類関係の説明をするぞ。一度で覚えられなくてもいい。どんな事をやってるのか、まずは見て知って欲しい」


 俺が普段作成している書類関係を、簡単な物から見せて、説明して、理解度を確認していった。

 やはり七瀬は、飲み込みが早い。分からない事はハッキリ「わかりません」と言うので、教える方からしても安心出来る。


「それから、俺達が行う業務は、大まかに言えば量産に向けての適切な作業条件を見付け出す事だ。その為に失敗する事もある。大事なのは、その失敗を無駄にしない事だ。失敗からも必ず得られる情報はある。

 七瀬、『報連相』って知ってるか?」


「ほうれんそう? ……野菜ですか?」


「いや、そうじゃない。

 報は報告、連は連絡、相は相談だ。

 略して『報・連・相』。

 例えば……問題が起きた時、報告は早ければ早いほど良い。被害を最小限に抑えられるからな……。逆に、報告が遅れた為に、本来取り返しがついた筈の問題が、手遅れになる事だってあるんだ。『報連相は、悪い事ほど早く』って覚えておいてくれ」



 時計を見ると、十五時をとっくに過ぎていた。

 そろそろ飽きてきたかな……


「七瀬、ちょっと休憩を挟もうか?」


「私は大丈夫ですけど……」


「すまん。正直言うと、俺が大丈夫じゃない。タバコ一本だけ、吸わせてくれ」


「わかりました。私も、お茶でも飲んできます」




 休憩室に入ると矢澤がいた。


「矢澤、お疲れ! どうだ? そっちは」


「お疲れ様です! なかなか手強いですね……」


 矢澤は、顔をしかめている。

 これは結構、手を焼いているらしいな……


「そうか、まぁ自分で進んで受け持ったんだし、頑張ってくれよ」


「分かってますよ。そちらはどうですか?」


「うん、上々だ。思ってたより全然いい子だよ。礼儀正しく、覚えも良い。何より真面目だ」


「そうですか。それは楽しみですね」


 煙を吐きながら、矢澤は答えた。


「矢澤、十七時以降は事務所にいるか?」


「そのつもりですけど、何かありました?」


「レポートの件でちょっと相談があってな」


「新人教育のレポートですか……分かりました。待ってますよ」


 そう言うと矢澤は休憩室から出て行った。



 さてと……俺も仕事に戻るか。





 事務所に戻ると、七瀬は既に席に着いていた。


「おう、お待たせ」


「あの……片桐さん。やっぱり今朝の事、相談させて下さい」


 そう切り出した七瀬は、深刻な顔をしている。


「ああ、何でもいいぞ。それなら、会議室に行こうか?」


「はい、ありがとうございます」


 ちょうど第三会議室が開いているようだ。この会議室はパーテーションで仕切られただけの第一、第二と違い、建物上の個室になっている。個人的な相談をするには都合が良い。


 ドアの表示を『空室』から『使用中』に変えて中に入り、ドアを閉める。

 七瀬に席を勧めつつ、俺も席に着いた。


 どことなく元気がない。相談とは、やはり深刻な事なんだろうか?


「七瀬。ここは他の会議室と違って、仕切りだけじゃなく、完全な部屋だ。あまり大きな声を出さない限り、外からは聞こえない。深刻な相談だって大丈夫だ」


「はい。実は……小久保さんの事で……」


 七瀬は絞り出す様に話し始めた。


「小久保さんって庶務の小久保さん? 彼女がどうかしたのか?」


「私、今朝の朝礼からずっと睨まれてます」


「気のせいじゃないのか? 新人は何かと注目されるものだ」


「いえ、違うと思います。あの目つきは興味ではなく、怒りや憎しみだと思うんです」


 小久保さんが七瀬を睨む? なんでそんな事が……。

 もしかしたら……俺のせいなのか?

 俺の事以外に、二人に接点なんて無い筈だ。



「あの……主任? 失礼ですが、小久保さんとお付き合いされているんですか?」


「いや、付き合ってないよ。俺は誰とも付き合ってない」


 そうだ。俺はもう誰とも交際する気なんてない。

 ずっと独りで生きていくと決めたのだから……。


「そうですか……。でも、今朝階段前で睨まれた時は、怖かったです」


「うん……。話はわかった。当面俺と一緒に行動するから大丈夫だとは思うが、一応気にしておこう」


「ありがとうございます」


 そう答えると、七瀬は会議室を後にした。

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