第四話 新入社員研修
四月九日。
いよいよ今日から、新人導入教育が始まる。
ここは、新人導入教育の会場となる第一会議室がある事務棟四階。
エレベーターを挟んで、第一会議室とは反対側位置する休憩室に、俺を含めた主任四名が集まっている。
各々緊張のせいか、煙草の進みが早い。
先週行われた新人教育資料プレゼンでは、大場部長を始め上司からの評価も上々で、大した修正点もなく資料は無事出来上がった。プロジェクターとスクリーン、そして人数分の資料の準備も万端で、講義に必要な物は全部、会議室に運び込んである。
やれる事は全てやった。
あとは野となれ山となれ、開き直りも時には大切だ。
「片桐さん、そろそろ始業チャイムが鳴りますから会場に移動しましょうか」
矢澤が耳打ちしてくる。
左手首をに嵌めた腕時計を見ると、デジタルが【8:26】と表示されていた。
「ああ、そうだな。そろそろ行こうか」
第一会議室とプレートが貼られた扉をノックし、一呼吸置いてから中へ入る。
すると、それまでざわざわとしていた会議室内が、一気に静寂に包まれた。
新入社員達に緊張が拡がり、やがて俺達講師陣への好奇心へと移っていく。
課長は既に会議室の中にいて、大場部長も会議室の後ろ側の扉から入室してきた。
キンコンカーンコーン
キーンコーンカーンコーン
ちょうど始業チャイムが鳴った。
初日の司会進行は俺の役目だ。
一度深呼吸をして、口を開く。
「おはようございます。
皆さん、改めまして入社おめでとうございます」
新入社員達も大きな声で返事をくれるが、そのまま続ける。
「先週の人事部研修で覚える事も沢山あり、さぞお疲れの事と思います。しかしながら今週は、より実務に近い教育を行います。聞き逃さない様興味を持って、講義について来ていただきたいと思います」
皆、しっかりこちらを向いて聞いているな……。
真剣さが伝わってくる。
「申し遅れました。私、今回の講師を務めさせていただく、第一開発課主任の片桐と申します。
限られた時間ですが、これから行う教育は、皆さんの社会人生活の礎となるものです。しっかりとついて来てくださいね」
緊張のせいなのか、新人達の表情が一層固くなり、ゴクリと固唾を飲む音まで聞こえてる。みんな真面目そうじゃないか。
「それでは講師陣を紹介します。私の隣から、第二開発課主任 矢澤、第一試作評価課主任 松井、第二試作評価課主任 遠藤と、私片桐を含めた四名で務めていきます。どうぞ宜しくお願いします」
拍手が起こる。
次は出欠確認だな。机の上に置いた資料の中から新入社員名簿を取り出す。
「それでは出欠を取ります。相田洋平君!」
「はい」
返事に合わせて顔を見ると、期待と不安の籠った目つきで俺を見ている。
「加藤孝義君!」
「ハイ!!」
「加藤君は元気な声だね。その意気で頑張ろう」
「ハイ!!」
・
・
・
「大谷まどかさん」
「は~~い」
緊張感のない間延びした返事が返ってくる。茶髪のロングヘアの女の子が笑顔でこちらを見ている。その態度から緊張は感じられない。
こいつは最後までおしゃべりしていた子だな……要注意、要注意っと。
「七瀬……未来さん」
「未来です!」
時が止まったかのように、会議室がシーンと静まり返った。黒髪ボブヘアーの女の子が鋭い視線で俺を睨みつけている。
「あっ、すみません。名前を間違えるとは最低ですね。七瀬未来さん、大変失礼しました」
やっちまった。
「……いえ」
そう返事をすると、七瀬さんはプイッとそっぽを向いてしまった。名前を間違えられたんだ。不機嫌になって当然だろう。
気まずさを胸に抱えながらも、出欠確認を終える。
「続いて私達の直属の上司であります製品開発部、大場部長より開会の挨拶を頂戴します」
部長の挨拶、と言うか長話が始まる。
さて、何人が耐え切れず船を漕ぐかな……。
一時間近い部長の話を耐え抜いたのは、十四人いる新人の半数だった。あの大谷という子は、五分も経たない内に突っ伏していたし……。七瀬さんは眠そうでも、しっかり聞いていたようだ。
うむ、部長の子守り歌から半分も生還するとは大したものだ。
「ここで休憩を挟みます。今から十分間、休憩とします」
謝らないと……。七瀬さんのところに向かう。
「七瀬未来さん、先程は大変失礼を……」
「大丈夫です。よく間違えられるんで!」
不機嫌そうにツンとしている。
目も合わせてもらえなかった。
完全に俺のミスだ。よく見れば、名簿には読み仮名がしっかりと振られていたのに……。
「はぁ……」
休憩後、改めて講義を開始する。
トップバッターは俺、『工場内に於ける行動規準』だ。
「最初の講義は、『工場内での行動規準』です。工場内には、日常生活とは違ったルールがあります。
これを守らないと製品への影響だけに留まらず、工場全体に悪影響を及ぼす事態さえ起きかねません。これは基本中の基本ですから、しっかり覚えていきましょう。まず資料の一ページ────」
ひと通り、説明が終わった。重要なのは理解度だ。
「ここまでで何か質問はありますか? この内容は、本当に基本中の基本です。質問が無いようでしたらーー」
「はい!」
ん? 声の主は七瀬さんか。
「七瀬さん、質問をどうぞ」
「はい。先程の工場内での──」
なかなか鋭い質問だった。高校を卒業したばかりの女の子から、こんな質問が出るのはちょっと驚きだ。
* * *
五日間の研修を終え、新入社員達が帰っていく。
ふと視線を感じた方に目を向けると、七瀬さんがこちらを見ていた。
「七瀬さん。この五日間、勇気を出して質問してくれて俺は嬉しいよ。君のお陰で、他の者達にとっても有意義な教育になったと思う。これから頑張っていこう!」
「はい。よろしくお願いします」
そう答えると、彼女は表情一つ変えずに、ペコリとお辞儀をして帰って行った。
あんな大勢の前で名前を間違えるなんて無礼を働いたんだ。
嫌われてしまったかもしれないな……。
新人は帰れても、俺達にはまだ重要な仕事が残っている。
もう一仕事頑張るとするか……。