第二十八話 大切な仲間
「片桐! なぜここに呼ばれたか、分かるか?」
今俺は、第一会議室にいる。恐る恐る席に着いた俺の向かいには、大場部長と岩本課長が並んで座っている。特に部長は相変わらずのしかめっ面で、口はへの字に結ばれている。機嫌が悪そうだな……。
俺は何かしたのか? 会議室に呼ばれて問いただされるなんて、余程の事をしてしまったのだろう。しかし、考えても思い当たる事は何もない。
「いえ、思い当たる事がございません」
部長はにやりと表情を変えた。何かを隠しているようだな……。
一方、岩本課長は、相変わらず柔らかな物腰でニコニコしている。この人は普段からこんな感じだから、かえって何を考えているのかわかりづらいな。どことなく普段よりにこやかな表情なのは、気のせいではないだろう。
しかしこの二人が並んで座ると、まるで鬼と仏だ。表情が対照的でリアクションに困る。
しかし、なんだろう? 本当に何も思い当たる事がない。
「片桐さん。七月の事なんですけどね。何か思い出しませんか?」
岩本課長は柔らかな口調だ。それでも本当に思い当たる事がない。
う~ん、七月か。
七月と言えば、まだ小久保さんがいたな……。もしかして小久保さんの事か? もう縁は切れたと思っていたのに、今更になって何かあったのか? 出来れば彼女の事は思い出したくない。
部長を見ると、どことなくニヤニヤしている様に見える。この表情から察するに、小久保さんの事ではなさそうだな。でも、本当にわからない。ミスならミスと、ハッキリ通達して欲しいんだが……。
「本当に分からんようだな。そんなに深刻な顔をしなくていいぞ。仕方ない。岩本君、教えてやれ」
そう言った部長が、岩本課長に目配せする。すると、岩本課長は持って来ていたレターケースを開き、一枚の紙を取り出すと、俺に寄越した。
受け取って内容を確認する。
ん?
『タイトル:BX-50系製品に於ける作業条件の――』
これは!
これは俺の改善提案じゃないか! あの時の……七瀬を泣かせてしまった時の、BX-50系製品の作業条件の見直しの件か。
それでこの提案がどうかしたのか? あれ? 提案用紙の欄外に赤字で何か書かれているぞ。
『想定される年間効果金額:¥10,000,000- 金賞』
何だこれは? 何だこの膨大な効果金額は? 金賞ってどういう事だ。
「はい。えーと、片桐さん。よく聞いてくださいね。七月に受け取った改善提案を、提案審査に提出しておきました。結果は金賞受賞となります。この提案ですが、当初はそこまで効果金額は高くなかったそうです。ところがこの度大量受注がありまして、効果金額は生産量に比例して跳ね上がりました。その結果の金賞受賞です。おめでとうございます」
岩本課長の説明に、大場部長も続く。
「来月の創立記念式典で社長表彰だ。わかっていると思うが非常に名誉な事だ。部門長として鼻が高いぞ。片桐、よくやってくれたな。おめでとう!」
「はぁ……ありがとうございます」
あの提案が社長表彰? 流石にそこまでの効果の大きな業務改善とは思わなかったのだが……。動揺する俺に構わず、部長は話を続ける。
「今年は全体的に質の高い提案が少なくてな。幸いBX-50系の増産が決まったこともあって、お前の提案が高く評価される結果となった。まぁ、遠慮することはない。名誉な事だし、賞金も出る。ありがたくもらってくるといいぞ」
ありがたく、と言われてもな。本当に賞に値する提案とは思えないのだが……。増産が決まっているのなら、生産数に比例して金額が上がるのは当然の事だ。しかし、一千万円とは……。反応に困っていると、隣に座った岩本課長が話し始めた。
「片桐さん、賞金はもちろん提案者のものですから、好きにするといいですよ。個人で使うもよし、メンバーでお祝いするもよし。自由です」
岩本課長の言葉に被せるように大場部長が言う。
「おお、そうだ。七瀬に何か旨いものでも食わせてやれ。元々あの提案は、七瀬のミスが切っ掛けだったんだろう? たまにはねぎらってやれ」
七瀬のミスだと? これは断固否定しておかなければならないな。あれは七瀬のミスではない。
「部長。あのミスは私の管理不行き届きです。七瀬にも随分と辛い思いをさせてしまいました」
七瀬を泣かせてしまった事は、今でも大きな後悔だ。もっとしっかり注意していれば、そもそも俺がもっと早く手を打っておけば、七瀬は泣かなくて済んだんだ。
「まあ、いいじゃないか。業務改善は進んだんだし、七瀬も立派に成長している。貰えるものは遠慮なくもらっておけばいい。そうだろ?」
部長は足を組み直して机に肘をつくと、少し体制を斜めにして俺に言った。岩本課長を見ると、うんうんと頷いている。ここはありがたくいただくとするか。
「はぁ……わかりました」
* * *
事務所に戻ると、グループメンバーが勢ぞろいしていた。ああ、もう少しで昼休憩か。会議室に呼ばれたのが十一時を回っていたからな。もうそんな時間か……。
自分のデスクに戻ると、メンバー全員が俺の方に顔を向けた。せっかくだから、みんなにも伝えておこう。
「みんな、お疲れ様。少し話を聞いてくれ。実は、俺が七月に提出したBX-50系製品の作業条件の見直しに関する改善提案が、提案審査で金賞になったと部長から通達されたんだ」
七瀬を除いて、みんな驚いている。七瀬だけは、なんの事か分からないみたいでキョトンとしている。
「片桐さん、おめでとうございます!」
中村が目を見開いて言った。本当に驚いている様で、立ちつくしたままだ。
「金賞って事は、社長表彰っスか~。凄いっスね、主任」
原田も金賞と言う言葉につられたようで一緒に喜び、手を叩いている。拍手につられて茶髪が揺れている。でも本当はこいつ、どう凄いのか解っていないよな……多分。
「あの……仲宗根先輩、金賞って何ですか?」
七瀬はよく解っていないようで、不安そうに仲宗根の腕をツンツンと突いて質問している。女性同士だから聞きやすいのか……。
「提案制度の金賞って言うのはね……その年に提出された提案の中で、最も効果が大きくて優れた提案っていう事よ。主任の提案がそれに選ばれたって事。これってすごい事なのよ。創立記念式典で社長表彰されるんだから。そっか……七瀬ちゃんは初めてだもんね。主任の晴れ舞台だよ」
仲宗根が自慢げに答えた。大筋では間違っていないが、俺の認識と若干齟齬があるな……。厳密にはもっと細かい審査基準があるんだが、今はまだそれでいいだろう。いずれ二人とも教育していかなくてはならないけどな……あと原田もな。
「へぇ、凄い事なんですね。主任、おめでとうございます!」
七瀬はニッコリ微笑み、拍手を始めた。この笑顔を見ると、思わず表情が緩みそうになる。でも、みんなの前だからな……。
「みんな、ありがとう。この提案は、俺一人で出来た事じゃない。みんながいつも支えてくれたおかげだ。誰一人欠けてもこの表彰はなかったと思うよ。本当にありがとう」
全員が俺の方を向いて微笑んでいる。あとは、七瀬に言わなければならない事がある。七瀬をジッと見つめると、気付いた七瀬も目を合わせてきた。
「それから特に七瀬、君がいなかったら、この提案は生まれなかったかもしれない。君には辛い思いをさせてしまったが、あの時の事があって、今回の提案に結び付いたんだ。ありがとう」
本当にあのときはすまなかった。泣かせてしまった事を、今でも俺は悔いているよ。
七瀬は恥ずかしそうに一旦目を逸らし、改めて俺を見た。
「いえ、そんな……私はお礼を言われる様な事は何もしていません。いつも主任には感謝しています。これからもよろしくご指導をおねがいします」
今更ながら思うが、俺は良いグループメンバーに恵まれたな……。
あの日……茜亭で七瀬に謝った翌日、俺はグループメンバーにこれまでの事を詫びた。見放されても仕方がないと覚悟していた俺を、彼らは優しく受け入れてくれた。本来なら苦言のひとつやふたつあってもいいはずだが、今も、何ひとつ文句を言わずに従ってくれている。
本当に人のつながりというのは大切だと、改めて思い知らされた。
いままでの俺は、グループメンバーの事を単なる部下としか思っていなかった。自分に能力さえあれば、部下はついてくるものだと思い込み、彼らの人柄や人としての暖かさを気にもとめていなかったんだ。
いつの間にか俺の心はすさんでいた。やはり矢澤の言う通り、俺は間違っていたんだな……。
そんな俺を、彼らは気遣ってくれているのが痛いほど伝わってくる。知らないうちに、大切な仲間がこんなにいてくれたなんて……。これからは、部下としてではなく大切な仲間、友達としてメンバーを大切にしていこう……もちろん七瀬も含めて。
「みんな、いつもありがとう。特に今年は迷惑を掛けてばかりで、すまないと思っている。俺も沢山の間違いを犯してしまったけど、見放さずについて来てくれて感謝している。みんなの真心が伝わってきて、とても嬉しかった。本当にありがとう。これからは単に部下としてだけではなく、本当の仲間として付き合っていきたい! 来年もどうかよろしく頼む」
誠意を込めて頭を下げる。みんな、今年は迷惑を掛けっ放しですまなかった。こんな俺について来てくれてありがとう。
「主任、何言ってるんですか。頼りにしてますよ。これからもよろしくお願いします」
肩を叩かれて頭を上げると、中村が涙ぐんでいた。嬉しいな……これが本当の仲間か。原田も仲宗根も、目に涙を溜めているみたいだ。七瀬はハンカチを目に当てている。泣かせてしまったか……でも悲しくて泣かせたんじゃない。
「みんな、ありがとう。創立記念式典が行われる一月十七日の夜に、祝いも兼ねて食事会を開きたいんだが、予定を開けておいてもらえるか? 賞金も出る事だし、みんなで……チームで喜びを分かち合いたいんだ」
「喜んでお供します!」
中村の大きな声が聞こえた。他のメンバーも頷いている。
「ありがとう。このメンバーと組めて本当に嬉しく思うよ。来年もよろしく頼む」
大切な仲間がいる。
友と呼べる存在がいてくれる。
俺は今、幸せを実感している。
みんな、本当にありがとう。