表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
27/34

第二十七話 夢 其の参

 

 霧が立ちこめる中、うねうねと続く道を歩く。足元の砂利がザッザッと音を立てている。


 だいぶ暗いな。視界が悪く、五メートル先は何も見えない。霧のせいで見渡す限り真っ白だ。


 道の両脇には雑草が生えているだけで、目印になるような物は何ひとつない。



 俺はまたここに来てしまったのか。



 漠然とこの道を歩く。選択肢なんて、進むか止まるか(ある)いは来た道を戻るか、それくらいしかない。


 でも前に進まなければならないと思う気持ちが、胸の中に確かにあって、俺は歩き続けている。


 だんだん思い出してきたぞ。これは夢だ。この先には弥生が待っているんだ。



 早く弥生に会いたい!



 急げ! 早歩きはやがて小走りになり、いつしか俺は全力で走り始めた。


 弥生! 弥生!

 全力で走る。砂利を踏み込む音が響く。


 視界の悪さも構わず、無我夢中で走り続ける。おっと! 躓いたが体勢を立て直して、また走り出す。


 やがて後ろから陽光が差し込んでくる。夜明けだ。少しずつ霧が晴れ、前方にうっすらと大きな影が見えて来た。


 あれが世界樹か。まあ、俺が勝手に世界樹と呼んでいるだけなんだが……。


 はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……。


 だんだんと息が切れてきた。でも急げ! あそこで弥生が俺を待っているはずなんだ。


 息が切れる。でも俺は走り続ける。


 どれくらい走っただろう。霧は完全に晴れ、世界樹の根元に白いものが見えて来た。あれだ……あそこに弥生がいるんだ!


 さらに近付くと、世界樹の根元に立って、こちらを見ている弥生の姿が見えた。 


「弥生! やよーいーーーー!!」


 もう少しだ。もう弥生の姿は見えている。弥生に会える。弥生、待っていてくれ!


 全力で走り切り、やっと辿り着いた。疲れたなあ。ずっと走ってきたから息が苦しい。腰を折って膝に手をつき、全身で息をする。


 白い丸テーブルの横に立って、穏やかな眼差しで弥生が俺を見つめている。


 以前と同じ白いワンピースを着て、木洩れ日が髪に当たりキラキラ輝き、神々しくさえ見える。


「はぁはぁ……。弥生、逢いたかったよ」


 弥生はニッコリ微笑むと、右手を椅子に(かざ)し、俺に席を勧めてくれた。また会えたね、弥生。


 俺が席に着くと、弥生も向かいの椅子に座り、お茶の準備を始めた。前もこんな風にお茶を出してくれたんだよな……。少しずつ息が整ってきた。


 弥生がポットからティーカップにお茶を注いでいる。




 あれ? この光景……確か前にも見たぞ。

 デジャヴュなのか?




 いや、そうじゃない。本当は知っているんだ。これは夢だって事を。弥生はもう死んでしまったって事を。


 でも、今はいい。弥生に会えたのだから……。会えた事が嬉しいんだ。


 弥生はカップに注いだ紅茶を俺に前に置いた。それからテーブルの真ん中の、クッキーが盛られた皿を俺に差し出してくれた。にこやかな顔をしている。この顔を見ると、俺の心は安らぐんだ。


「ありがとう」


 皿からクッキーを一枚取り、弥生を見る。弥生はどうぞどうぞって言っているみたいだ。だけど声が聞こえない。


「それじゃ、いただくよ」


 俺の声に、弥生はニッコリ笑った。この笑顔だ。やっぱり俺は弥生の笑顔が好きなんだ。


 クッキーを一口齧る。バターの風味が口いっぱいに広がり、とても美味しい。もう一枚、クッキーを手に取る。


 弥生は、そんな俺を見て今もニコニコしている。がっつき過ぎたか? 少し恥ずかしくなってきた。


「なんだよ、弥生。俺って何か変かい?」


 弥生はハッとして俺を見つめる。目をまん丸にして驚いた表情になった。そうだ、弥生はこんな表情も出来るんだったな。


 そして弥生はプッと吹きだして笑い始めた。だから、何がそんなに可笑しいんだよ? 弥生は胸に手を当ててクスクス笑っている。


 だけど、笑い声すら聞こえない。弥生の声が一切聞こえてこない。


 これが夢という事なのだろうか……。でも不思議な感覚だ。夢だってわかっているのに、一向に醒める気配がない。



 ふと思う。

 もしかして弥生は成仏出来ないのか? 俺が頼りないから。俺が不甲斐ないせいで……。


 笑いが収まった弥生は、真面目な顔で俺を見ている。何を思っているんだろう。表情からは何も伺えない。


「弥生、俺は大丈夫だよ。ちゃんと生きていけるよ。君の事をずっと大切に思っているよ」


 その時、弥生が両手をこちらに伸ばし、俺の左の(てのひら)を握った。小さくて冷たい手だ。


「弥生……どうしたんだ? そんな心配そうな顔をしなくても俺は一人で生きて――」


 弥生は深刻な表情で俺を見つめている。どうしてそんな顔をするんだ? 君の悲しい顔は見ていて辛いよ。


 弥生は、何かを伝えたそうに口を動かしている。何だ? 何を言っているんだ?



 き・を・つ・け・て



 きをつけて



 気を付けて?


 弥生、気を付けてってどういう事だよ。そういえば前も俺に大丈夫? って言っていたよな。分からないよ。


「なあ、弥生。俺に何かよくない事でも起きるのか? もっと詳しく教えてくれよ。声を聞かせてくれよ!」


 必死の問い掛けにも、弥生は何も答えてはくれない。ただ悲しそうな顔をしたまま、俺を見つめるだけだった。




 * * *




 「夢か……」


 目が覚める。やっぱり夢だったか。


 遮光カーテンの隙間から光が差し込んでいる。もう朝なのか?


 ベッド脇のテーブルに置かれた目覚まし時計を見ると、デジタルは【5:55】と表示されている。


 朝か……。普段俺は六時に目覚ましを掛けている。最近、目覚ましが鳴る直前に目が覚める事が多いんだよな。精神的に参っているんだろうか……。


 ふぅ、起きるか。今日も仕事だ。目覚まし時計のアラームを解除し、ベッドから下りて支度を整える。


 襖を開けてリビングに入る。以前は二階を寝室にしていたが、一人で暮らすには一階だけで十分だ。だからベッドを一階におろして寝起きしている。今では殆ど二階に上がる事はない。


 弥生の遺影の前に座り、手を合わせる。


 夢の中の弥生は、俺に気を付けてと言った。以前見た夢では、大丈夫? とも言っていた。これは何を意味するんだろう。何かの警告なのか? でも俺にはあれから特に心配される様な事は起きていない。


 弥生は一体、俺に何を伝えたかったんだろう?


 深く考えていても仕方がないか……夢の中の話だけど、気を付けてという弥生の言葉だけは憶えておこう。合わせた手を解き、目を開けて写真の中の弥生を見る。弥生は何も言ってはくれない。もう死んでしまったのだから……。


 七瀬に辛く当ってしまうなんて、この数カ月俺はどうかしていた。とにかく今日から七瀬とやり直そう。茜亭で七瀬は深く追及もせず、俺を許してくれた。


 七瀬は本当にいい子だ。あの子の誠実な心を守ってあげなければいけない。もう七瀬に辛く当たったりしない。優しくしよう。


 七瀬だけじゃないな。中村や他のメンバーにも、随分心配と迷惑を掛けてしまった。今日のグループミーティングでは、まず最初にその事を謝ろう。


 俺はそう決意し、玄関の扉を開けた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ