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第二十一話 涙

 数回のノックの後ドアが開き、大場部長を先頭に三人の男性が入室してきた。部長の後に四十代くらいの小柄で小太りな男と、もう一人は……若いな。三十才弱って感じの短髪でキリッとしている男性が、最後に中に入りドアを閉めた。


 部長は苦々しい顔で俺を見ている。


「部長、この度は大変なご迷惑をお掛けしてしまい、申し訳ありません」


 部長の返事は無い。俺に掛ける言葉はないって事か……。すると、部長の後から入って来た、やや小太りの男が喋り始めた。


「いやあ、どうもどうも! 大変お待たせしました。私、総務部の根本と申します。この度はご迷惑をお掛けしまして……いや、本当にすいませんねぇ~」


 随分と軽いノリのおっさんだな。でもこの人、軽い喋りとは裏腹に、目が全然笑っていない。見た目通りの人物と思ったら危ないな……。総務でやっているんだ。一筋縄ではいかない人なんだろう。


 隣の男性は、差し詰め派遣会社の管理者ってところだろう。やはり若いな……目つきを見るだけで、腸が煮えくり返っているのが分かる。感情を隠し切れないんだろう。この後、怒りを爆発させそうな気がする。


 元々中にいた矢澤と俺、岩本課長に加え、大場部長を始めとする三人が入って来た事で、四畳半程の広さしかない第三会議室は、一気に手狭になった。中央の机に小久保さんだけが席に着き、六人の男性が立ったまま彼女を注視している状況だ。


 大場部長に視線をやると、ちょうど部長も俺を見据えていた。


「部長、この度はご迷惑をお掛けしまして申し訳ございません」


 部長は変わらず苦々しい顔だ。暫くの静寂の後、総務の根本と名乗った男性が喋り始める。


「いや~、片桐さん、そんなにご自分を責めないで下さい。先程、藤原課長さんから、ざっとお話を伺ったんですけどね~。今回は完全に小久保さんの一人相撲だと思いますよ。実はこうしたトラブルも、決して少なくないんですよ~。勿論(おおやけ)にはしませんけどね。まぁ、後はこちらで処理しますのでご心配なさらないで下さい。それより、七瀬さんでしたか……被害に遭われた方が心配です。その方のケアをお願い出来ますか?」


「勿論です!」


 キッパリと言い放つ。


「片桐、もういい。七瀬を頼むぞ! 矢澤も業務に戻れ」


 大場部長がやっと口を開いた。どうやらそれ程怒っている訳でもなさそうだ。相変わらず、怒っているのか心配しているのか、表情が掴めない人だ。


「はい。あの……皆様。今回は私の不徳の致すところです。大変ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした」


 もう一度、深く頭を下げる。数秒後、さあ行きましょうと矢澤に声を掛けられ、会議室を後にする。この後、中では小久保さんの処分について話し合われるのだろう。




 * * *




 会議室を後にした俺と矢澤は、どちらからともなく女子更衣室へ向けて廊下を歩く。申し合わせた訳ではないが考える事は同じなんだろう。


 歩き出して少しすると、隣を歩く矢澤の鼻を啜る音が聞こえて来た。矢澤、泣いているのか?


「矢澤、目が真っ赤だぞ。どうかしたのか?」


「……いえ、何でもないです」


 そうは言いつつも、矢澤の目尻から涙が零れている。言わなくてもわかるさ……。俺自身、こんなにも感情を剥き出しにしたのは、凄く久し振りな気がする。矢澤、俺の事を心配してくれてありがとうな。


「そんなに泣くなよ」


 矢澤の肩に手を添える。すると、矢澤は手で涙を拭い、俺の方に向き直った。


「だって……こんなに熱い片桐さんを見たのは何年ぶりでしょうか? やっぱり片桐さんはこうでないと。ちょっと言葉が荒過ぎでしたがね。でも……やっぱり俺は嬉しいですよ」


 俺より少し背の高い矢澤の肩にに腕を回し、ぐっと力を込める。お前の方が暴言を吐いていたんだけどな……。でも、本気で怒ってくれてありがとうよ。


「ちょっとやり過ぎたかな? でも矢澤、本当にありがとうな!」




 * * *



 矢澤と二人、女子更衣室前に到着した。


 大谷は上手くやってくれているだろうか? 中から大きな声が聞こえてくる。あれは大谷の声だ。


「大谷ー! いるのかー!」


 は~いと声が聞こえてから暫くして扉が開く。少し茶色がかった黒髪ロングヘアの大谷と、黒髪ボブの七瀬が姿を現した。七瀬は泣いていたのだろうか、目に涙が溜まっている。やはり、あれを見てしまったのか……。


「片桐主任、すいません。未来に見られてしまいました」


 大谷が申し訳なさそうに話す。でも、お前のせいじゃない。


「七瀬すまん! 俺のせいなんだ。本当にすまん」


 俺は誠意をもって頭を下げた。


「主任、私は大丈夫です。それより、さっき総務から連絡があって、ロッカーを交換するって言われたんです。ですから中身を出しておかないといけないんですけど、鍵が入らないんです。どうしても昼までに取り出さないといけない物がありまして……。開けてもらえませんか?」


 ロッカーの鍵が入らないだって? 一体どういう事だ?


 女子更衣室に立ち入り、七瀬から受け取った鍵をロッカーのカギ穴に差し込む。いや、入らない。これは瞬間接着剤でも注入されたのか? またしてもあの女か!


「片桐さん、これを!」 


 矢澤が事務所から持って来たバールで、ロッカーの扉を力づくでこじ開ける。矢澤と二人ががりで力を込め、えいっという掛け声とともに、遂にロッカーの扉は開いた。


「やった~! 開いた~」


 大谷が飛び跳ねて喜び、俺は矢澤とハイタッチする。ありがとうございますと言った七瀬が、ロッカーの中身を取り出し始める。そして七瀬は俺の前に立つと、見覚えのあるハンカチで包まれた箱を差し出した。


「七瀬、これは?」


「お弁当です。主任は相変わらずお昼を召し上がらないから私、心配になっちゃうんです。それと、先週のお礼も兼ねています」


 そう言って七瀬はニコッと微笑み、俺が受け取るのを待っている。この子はそんなにも俺の事を心配してくれているのか……。自分が酷い目に遭っているというのに。


 弁当を受け取り七瀬の顔を見る。七瀬は優しい微笑みで俺を見つめていた。胸に熱いものが込み上げてくる。


「七瀬、すまん! 本当にすまん!」


 七瀬に向かって頭を下げる。気丈に振る舞っていても、こんな嫌がらせをされてショックを受けていない筈がない。申し訳ない気持ちばかりが(あふ)れてくる。


「主任、やめて下さい。私、主任のせいだなんて思ってません。主任はずっと私を守ってくれました。本当に感謝しています。……あれっ? 主任、もしかして泣いてらっしゃるのですか?」


 俺が泣く? 馬鹿な、そんな事がある訳ないだろう。俺の涙はとっくに……三年前に枯れているんだから。そんな筈はないと(まばた)きをした途端、俺の頬を熱いものが(つた)った。


 あっ! という声と共に、七瀬はポケットに手を突っ込み何かを取りだすと、(おもむろ)に俺の頬に当てた。その瞬間、ふわっと花の香りに包まれる。


 七瀬がハンカチで、流れ続ける俺の涙を拭ってくれている。




 今、俺は泣いているんだ……。




 ハンカチが離れると、七瀬の優しい笑顔が見えた。そうだ……七瀬の笑顔は、どこか弥生と似ている。だからなのか、こんなにもこの子の事が気になって、心配になるのは。


「主任、大変でしたね。本当にお疲れ様でした」


 七瀬がニコッと笑う。その時、七瀬の細めた目尻から、キラキラと輝きながら頬を伝うものがあった。俺はまた、七瀬を泣かせてしまったのか。


「七瀬、すまん。泣かないでくれ。君が泣くと俺は辛いんだ。お願いだから泣かないでくれよ」


「主任、何をおっしゃってるんですか? 私、悲しくて泣いてるんじゃありませんよ。これは嬉し涙です。主任がいつも私の事を気に掛けて下さって、守って下さって、それが嬉しくて泣いているんです」


 七瀬は俺を真正面から見つめている。涙のせいか目が少し赤い。この子には俺の気持ちがしっかりと伝わっていたんだ。嬉しいなぁ、本当に嬉しい。こんな温かい気持ちになったのはどれくらいぶりだろう。そう思うとまた視界がボヤけてくる。




「七瀬、……ありがとう」





「ほらほら主任、本当にもう泣かないで下さい」


 七瀬は、もう一度俺の頬にハンカチを当ててくれた。




 * * *




「七瀬は本当にいい子ですね。俺は今日、感動しました」


 休憩室でタバコを吸いながら、矢澤は、恥ずかしい事を恥ずかしげもなく言い切った。でも本当にそうだな。初めはあんなにツンとしていたのに、今はとても優しい子だと知っている。


「配属の時に大谷と入れ替えて大正解でしたね。俺と七瀬じゃ、こうはいかなかったでしょう」


 そう言えば元々は大谷が俺の下に付く予定だったんだよな……。今となっては全く想像もつかない。


「本当に良い信頼関係が出来てますね」


「いやいや、お前と大谷もなかなかのものだぞ!」


 そう言ってお互いに笑い合った。



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