第二十話 追及
今、第三会議室には、俺と矢澤、そして岩本課長の三人が机を囲むようにして立っている。
隣に立つ矢澤は、震えるほど怒りに満ちた顔をしている。自分では見えないが、きっと俺も同じ顔をしているだろう。岩本課長は、困ったなぁという表情を隠さない。これから詰問するというのに、こんな弱気な姿勢で大丈夫だろうか。
俺達が見据えているのは、椅子に腰掛けた小久保さんだ。彼女の前には、先程大谷から受け取ったスプレー塗料が置かれている。
どういう事のなのか説明してもらおうか……
「小久保さん。なぜあんな事をしたんですか?」
小久保さんは俯き、答えようとしない。頑なに口を噤んでいる。このまま何も喋らないつもりか? 答えなんて分かりきっているけどな……。
その時、ゴンと机に拳を叩き付け、黙ってちゃわからんだろ! と矢澤が怒鳴った。矢澤も相当頭に来ているな……。小久保さんはヒッと声を上げた後、助けを求めるような眼差しで俺を見つめている。だがな、俺だって堪忍袋の緒はとっくに切れているんだ。
「小久保さん、はっきり言ったらどうですか? これだけの事をしておいて、今さら言い逃れ出来るとでも思っているんですか?」
小久保さんの目が驚きで埋め尽くされる。本当に助けてもらおうと思っていたのか? いい根性しているな。この期に及んで虫が良すぎるぞ。口を半開きにして唖然としているが、このままでは全然話が進まないじゃないか。
待っていても小久保さんは何も話そうとしない。ああ、イライラする。ダンマリを決め込むつもりなら俺が話そう。
「小久保さん。あなたが言わないなら、俺が言おう――」
これまでの小久保さんの行動、それに対する俺の気持ちを、覚えている限り全て話す。勿論、小久保さんに対して一切の恋愛感情がない事を強調し、突き放すように言い切った。
小久保さんは、徐々に怒りと悲しみが入り混じった表情になっていく。話し終える頃には、目に涙を浮かべ、口がわなわな震えていた。
「今言った通り、俺はあなたに対して一切恋愛感情は無いですが、あなたは良い雰囲気になったつもりでいたのかもしれません」
小久保さんは、手で涙を拭っている。どうやら泣かせてしまったみたいだが、追及の手を緩める気は毛頭無い。
「そこへ来て四月に新人の七瀬が俺の下に付いた。あなたには、邪魔者に映ったんでしょう。事ある毎に七瀬を睨みつけ、嫌がらせをし、今日はこの有り様だ。真面目に仕事を覚えようとしている七瀬を、随分と傷め付けてくれましたね」
「それは、あの小娘が!」
初めて口を開いたと思えば、七瀬のせいにするつもりか? なんで憎しみの表情を浮かべるんだ。未だに今の自分の立場が分かっていないのか?
「何だ! 七瀬が何かしたのか? 言いたい事があるならハッキリ言ってみろよ!」
矢澤が怒鳴りながら、さらに拳を振り下ろし机を殴る。隣でそんな大きな声を出されると耳が痛い。意外と俺は冷静だな。矢澤が俺以上にブチ切れているから、かえって冷静でいられるのか……。
「それは……」
何も言えないだろう。七瀬が反撃するなど有り得ない。あの子は小久保さんを怖がっていた。そんな七瀬が、小久保さんに対して何かするなどある訳がない! ほら……結局、何も言い返せないじゃないか。
「そこへ来て先週の発言だ。あなたは、自分が何を言ったのか憶えていますか?」
俺の問い掛けに、小久保さんは俯き何も答えない。この期に及んでダンマリを決め込むつもりか? これだけ七瀬を苦しめておいて、今さら惚けるなんて絶対に許さないぞ!
「あなたは俺に『夜のドライブは楽しかったか? 私ショックでした』と言ったんだ」
小久保さんは尚も黙ったままだ。何も話す気はないみたいだな……。ならば少しカマを掛けてみるか。
「小久保さん、どうして毎週金曜の夜は、俺の家の前にいたんですか?」
「それは……片桐主任に女の影があったら困るんで」
否定はしないんだな……。白を切られたらどうしようかと思ったが、あっさり認めた。もう少し突っ込んだ質問をしてみよう。
「そもそも、どうしてあなたが俺の家を知っているですか? 個人情報でも漁ったんですか? そうだとしたら重大なプライバシーの侵害ですよ。答えてもらいましょうか」
小久保さんは頭を上げてから一旦目を瞑り、再び目を開ける。その素振りは、覚悟を決めた様に見えた。
「たまたまなんです。たまたま夕方片桐主任を見掛けて後を尾けて、それでお家の場所を知って、独身なのを知って……」
「優良物件だと思ったと」
矢澤の呟きに、小久保さんは黙ってしまった。尾行したという事か。会社で個人情報を漁ったという訳ではないみたいだな。しかし、俺が独身か。間違ってはいない……間違ってはいないがな。
「小久保さん。この際だから言いますけどね……。あなたは知らないだろうが、俺は三年前に妻を事故で亡くしているんですよ」
小久保さんの目がカッと見開かれる。この驚き様は、嘘をつける顔ではないだろう。本当に知らなかったんだな。
「突然の事でね。当時は自棄になりましたよ。後を追おうかとも考えた事もあります。それでも、励ましてくれた人、俺の席を守っていてくれた人の気持ちに報いる為に俺は生きています」
矢澤と岩本課長。二人と目を合わせながら過去を打ち明ける。俺と目が合う度に二人とも頷いてくれた。今俺がこの立場であり続けられるのは、この二人のお陰だ。
「ですが俺は、妻以外の女性とどうにかなる気なんて無い。あなたと付き合う気なんて、最初から無いんですよ」
「そんな……」
小久保さんの顔が絶望で埋め尽くされる。もう、このままトドメを刺してしまおう。
「あなたは自分が何をしたのか分かっているんですか? ロッカーを凹ませて器物損壊、社員に対する威嚇、恫喝による業務妨害、そして俺に対するストーカー行為だ。ストーカーってご存知ですよね? 最近テレビ等の報道で問題視されています。あなたはそのストーカー行為を行ったんだ」
「私、ストーカーじゃありません!」
ふざけるな! と矢澤が怒鳴る。矢澤が言ってくれなかったら、俺が怒鳴っていたところだ。本当にこの女には何を言っても通じないな……。まあ、いいさ。仕方ない。最初から、この女を更生しようなんて思っていない。
「小久保さん、もうじき総務の人間がこちらに来るでしょう。申し開きでも何でも好きにすればいいですよ。俺は、俺の部下を……七瀬を傷付けたあなたを絶対に許さない」
ちょうどその時、会議室のドアがノックされた。