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第二話 藤崎電子工業

 桜並木を抜けて路地を右に曲がり、町の中心地から遠ざかる様に歩いていく。やがて工業地帯に入り、俺の勤める会社が見えてくる。


 工業地帯の中でも最大の敷地面積を誇る、藤崎電子工業株式会社(Fujisaki electoric industrial corp.)だ。

 大手に電子部品を供給する中堅の部品メーカーで、従業員数は千五百人ほど。一部クリーンルーム化された工場棟は、二十四時間体制で製品を生産している。


 自宅を出発してちょうど十五分。正門を通ると、いつもの守衛さんが声を掛けて来た。


「おはよう! いつも早いね!」


「おはようございます。最近仕事が立て込んでいまして……」


 この人、話が長いんだよな……。


「そうかい、忙しいのは良い事だ。でも体が資本だよ。病気になったら元も子もないからね。ワシが若い頃は――」


「気を付けます。それでは!」


 まだ話し足りないといった感じの守衛さんを振り切って歩き出す。話好きのおじさんに捕まっては、それこそ元も子もない。


 植木が立ち並ぶ通路をまっすぐ進めば俺の職場である事務棟が見えてくる。



 俺は製品開発部に所属し、試作品の製造、出来栄え評価、量産条件の選定を主業務にしている。

『製品開発部第一開発課主任』が俺の肩書きだ。


 事務棟の二階、製品開発部に割り振られたエリアに入り、『第一開発課』と表示された列にある自分のデスクに鞄を置くと、早々に部長から声が掛かる。


「片桐! 片桐主任!」


「はい」


 部長は相変わらずの鋭い視線を向けてくるが、俺は気にも留めず、いつも通りの挨拶をする。


「おはようございます。大場部長」


「おはよう。資料の方は進んどるのか?」


「はい、順調です」


「頼むぞ。最初が肝心だからな」


「心得ております」


 大場部長は、昨年七月の人事異動で我が製品開発部の部長に就任された方だ。

 非常に口うるさく、ほぼ一日ガミガミと文句を言っている事も少なくない。影では鬼の大場と呼ばれている。だが、部門としての実績は上昇傾向にあり、有能な人物である事は疑う余地もない。


 その部長の鶴の一声で、来期の新人教育を行う四名の主任の内の一人に、俺が選ばれてしまった。


 これまで新人教育は、課長クラスが取り仕切っており、俺を含めた主任クラスは、必要に応じてフォローに入る程度だった。しかし、部門長としてのトップダウンである。反論の余地はない。


『自分達が行う教育の資料は、自分達で用意しろ』とは、その時の部長の言葉である。


 要するに、新人教育用資料の作成を命じられた訳だ。


 自分のデスクに戻る際、岩本課長がアタフタしているのが目に入った。

 まあ、あの人はいつもの事だからな……。

 そんな課長の挙動不審さをよそに、そのまま休憩室に向かう。



 もう十年以上愛飲しているラークマイルドを咥え、火を点ける。



「おはよう。片桐主任」


「岩本課長、おはようございます」


 俺を追い掛けて来たようだ。

 ラークの匂いに、彼のお気に入りの銘柄、ショートホープの煙が混ざる。

 岩本課長は『小市民』風の人物だ。目下、部長から雷が落ちない様、波風を立てずに行動するのが彼の処世術の様だ。


「課長も資料には目を通しておいてくださいよ。斜め読みでも良いですから、ある程度内容は把握しておいていただきませんと」


「そうだな、後で目を通しておくよ。いつものフォルダで良いんだよね?」


 相変わらず物腰柔らかと言うか、自信無さげな印象の拭えない人だ。


「はい。『新人導入教育』というフォルダ名で保存されています」


「わかった」




 さて、そろそろ始業時間だ。

 トイレに寄ってから事務所に戻る。


 朝礼とグループミーティングを済ませたら、現在管理している製品の進捗と出来栄え確認を行い、空いた時間は資料作成に充てるとするか。それから、他の主任が作成した資料の内容確認も進めないとな……。


 製品管理ソフトを立ち上げ、進捗を確認する。

 今日の日程を想定していると――


「片桐主任」


「ああ、小久保さん。おはようございます」


 話し掛けて来たのは、一月から庶務担当として当課に派遣されている小久保紀代子(こくぼ きよこ)さんだった。


「おはようございます。あの……よろしかったら、これ召し上がりませんか?」


 差し出された洋菓子の包みを受け取る。


「ああ、いつもすいません……」


「いいんですのよ。私、是非、片桐さんにも召し上がっていただきたくて……。このお菓子は私の友人がヨーロッパ旅行に――」


「あ、あの……小久保さん? もうすぐ朝礼ですから……」


「あら、私とした事が……」


 キンコンカーンコーン

 キーンコーンカーンコーン


 始業チャイムが鳴る。

 小久保さんは、そそくさと自分のデスクに戻って行った。


 なんか最近やたらとお菓子を貰うが、どういうつもりなんだろう?

 全員に配るというなら分かるが、俺だけピンポイントに来られても反応に困ってしまう。




 まさか……な。

 俺とどうにかなろうとか、思っている訳じゃないよな……。




 * * *




 今日は、一体何度工場と事務棟の行き来を繰り返したか、覚えていないくらい忙しい一日だった。

 何も起きて欲しくない時に限って、トラブルの連絡が来るものだ。その度に工場まで赴き、処置をする。なかなか予定通りに行かないのは、工場も『生き物』だからなのだろう。


 気付けば既に十九時を過ぎている。


 今の俺はここからが本番だ。

 本格的に新人教育資料の作成に取り掛かろう。


 あと四日、それが資料作成に与えられた期間だ。

 というのも、今日は三月二十八日。

 四月二日には課内プレゼンを予定しており、それまでに残り四種類の資料を作り上げなければならない。

 まあ、大掛かりなモノは粗方完成しているので、充分に余裕を持って完了出来る感じだ。

 今日はこの資料を仕上げるとしよう。




 * * *




 また一つ、資料が出来上がった。

 時計を見ると、既に時刻は二十三時近くなっている。

 四時間ほど掛かってしまったか……


 ちょっと一息つこうかな。


 事務所を出て喫煙休憩室に入り、煙草に火をつける。



 ──誰もいない休憩室。


 紫煙がゆらゆら立ち上るのを見て、俺は思う。



 弥生のいない世界で、もう三年も生きている。仕事のやり甲斐を感じない訳ではないが、どこか冷めた気持ちで自分を覗く、もう一人の自分がいる様に感じる。


 何事にも熱中出来ない。もう俺が全力で何かに取り組む事なんて、無いのかもしれないな……。


 一人でいると感傷的になっていけない。




 さぁて、もう一頑張り行くか────


 

[時間]に関しての描写に違和感を抱かれる方もいらっしゃると思いますが、24時間稼働の工場では、17時、23時の様に24時間で時刻を管理している所も多いそうです。

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