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第十九話 怒り

「ふむふむ、大体の事情は分かりました。しかし、困りましたねぇ」


 岩本課長が眉間に皺を寄せ、迷惑そうに呟く。この人は、事なかれ主義なところがあるからな……。こんなトラブルの対処など、想定もしていなかったのだろう。


 仕事に直接関係ない事で申し訳ないとは思うが、聞いていただく他に選択肢が無い。


 今俺は、矢澤と隣り合わせに座り、先週までの小久保さんの動向を報告している。俺の向かいに岩本課長、その隣には矢澤の上司である藤原課長が席に着き、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。


 ここは第三会議室だから、会話を聞かれる心配は少ない。朝礼とグループミーティングを早々に済ませ、課長二人に報告があると告げてここに入り、状況説明を終えたところだ。




 土曜の昼、休日ですまないと思いながらも矢澤に電話して、昨夜別れてからの事を伝えた。自宅近くに小久保さんらしき人物がいて、俺達に気付くと走り去った事を。矢澤は、それなら尚更早く上司に報告すべきだと言ってくれた。




「なるほど、そんな事になっていたのか」


 藤原課長も驚きを隠せないといった表情で言葉を絞り出した。この人とは挨拶を交わす程度で、これまでに直接仕事で絡んだ事は無い。いつも冷静沈着な印象を持っていた藤原課長の、こんなにも困った顔を見るのは初めての事だ。そんな二人の課長に、矢澤が更に訴える。


「私も(にわか)には信じ難いのですが、ここにいる片桐主任だけでなく、大谷も七瀬も目撃しています。大きな問題に発展する前に対処を、と思いまして」


「しかし、証拠がある訳ではないのですよね? 万が一間違いだったら……」


 岩本課長が、ポケットから取り出したハンカチで、額の汗を拭きながら答える。ここは穏便に、などと言い出しそうな雰囲気だな。


 でも、このままでは七瀬に被害が出てしまう。それだけは避けなければならない。


「課長、先週小久保さんは私に、夜のドライブは楽しかったか? と言ったんです。あのミスの後始末の日の事をですよ」


「いや、偶然見掛けたという可能性もだね……」


 藤原課長が口を挟む。偶然だったら、先週末の事はどう説明をつけるつもりなんだ? この人もトラブルから逃げ腰なんだな……。


「先週もその前の時も、既に二十二時を回っていたんです。まともに考えて、小久保さんが出歩く時間ではありません。状況からしても、自宅を監視されていた可能性が高いと思われます。私が小久保さんと……いえ、女性とどうにかなる気なんて無い事は、岩本課長はご存じでしょう?」


 視線を向けると、岩本課長が押し黙る。あんたは、三年前の俺の事を知っているだろうが。すると、俺の言葉に矢澤も同調してくれた。 


「片桐主任の事情を踏まえましても、既にまともな恋愛感情とは言えないですよね? 自由恋愛をどうこう言う気はありませんが、小久保はまるでストーカーではないですか。このままでは変な逆恨みから、七瀬に危害が加えられる事にもなりかねません。そこはご理解いただけてますよね?」



「うん、それはわかるけどね……」


 岩本課長が、相変わらず額にハンカチを当てながら答えた。課長二人に同意を得られない事には、話が前に進まない。進まなければ、七瀬を完全に守る事など出来はしない。


「私は、理不尽な攻撃から七瀬を守りたいんです。元はと言えば、優柔不断な態度をとっていた私に原因があります。しかし、現状では七瀬を守れません。情けない話だとは重々承知しておりますが、どうかお力を貸していただけないでしょうか?」


 俺の訴えに、藤原課長が反応する。


「それで、片桐くんはどうすればいいと思っているんだ?」


「それは――」







 それは……


 その時は、突然やって来た。







「片桐主任! 片桐主任、大変です!」


 第三会議室のドアが激しくノックされ、グループメンバーの仲宗根が、会議室に駆け込んできた。一体何が起こったんだ? 普段から冷静で真面目な仲宗根が珍しく慌てている。


「片桐主任、大変です! 女子更衣室で小久保さんと大谷さんが揉めてます」


 矢澤と目を見合わせる。大谷が何か掴んだのか? いや、とにかく聞いてみよう。


「仲宗根、何があった?」


「七瀬のロッカーの事で、二人が喧嘩しているんです」


 そうか、大谷が何か証拠でも掴んだんだな。


「わかった! すぐ行く。矢澤主任、俺と一緒に頼めるか?」


「了解です」


 矢澤もすぐに立ち上がった。


「課長、すみませんがこの話は一旦中断とさせてください。この件で何か進展があったと思われます。ゾロゾロ大人数で行っても、騒ぎが大きくなるだけですので、片桐主任と私の方で対応致します」


 矢澤の言葉に、課長は揃って頷いた。













『あんた、いい加減にしなさいよ! 未来(みく)のロッカーに何しようとしてたのよ!』


 女子更衣室に近付くと、大谷の怒鳴り声が聞こえてくる。


『あんたには関係ないでしょう』


 これは小久保さんだな。普段の口調とは違うが、この声は間違いない。女子更衣室の入り口付近に身を寄せて二人の会話を聞く。


『じゃあ、このスプレーは何なのよ? それと、未来のロッカーに付いたこの黒いのは何よ! あんたがやったの見てたんだからね』


『そんなの私、知らないわよ。夢でも見たんじゃないの?』


『ふざけないでよ! 未来は私の大切な友達なの。あんたが未来に危害を加えると言うなら、私がとことん戦うわよ』



 頃合いだな……。




 ドアを開けて女子更衣室に入る。


「その必要はないぞ、大谷」


「あっ、片桐主任」


「あら~、片桐主任。助けてくださいませんこと~。先程から、この小娘が私に言い掛かりばかり……」


 二人とも安堵の表情を浮かべたが、大体の話は見えた。七瀬のロッカーに悪さをしようとしていた小久保さんを大谷が見付けたといったところか……。


 更衣室の中に、何列もズラリと並んだグレーとアイボリーのロッカー。これは男子更衣室と何ら変わらない。


 その真ん中あたりで小久保さんと大谷が対峙していた。振り向いた小久保さんの後ろには、扉が異常に凹み、黒い塗料を噴き付けられたロッカーが一つある。


 少し凹みが出来た程度の騒ぎではない。何度となく叩かれ、無数の凹みが出来ている。本来ある筈のネームプレートは床に落ち、黒い塗料が吹き付けられたのか、扉が黒く染まっていた。


 こ、これは? これが七瀬のロッカーなのか? こんな仕打ちをされても、七瀬は気丈に振る舞っていたというのか……。



 これが、俺の優柔不断な態度が招いた結果だというのか!





 

 怒りで胸は熱くなり、目から涙すら浮かんでくる。自分でもわかる程、固く握りった右の拳が震えていた。



 許さん!!



「小久保さん! これはあなたがやったんですか?」


「……」


 小久保さんは俯いて答えない。何なんだ、この()(さま)は! 怒りが、止めどない怒りが胸に湧いてくる。その時、俺の隣から矢澤が一歩前に歩み出た。


「小久保さん、往生際が悪いですよ。大谷は、私の指示であなたを監視していたんです。何か申し開きでもあるんですか?」


 矢澤の追及に、小久保さんは唖然とした。大谷は、今も小久保さんを睨みつけている。ここで(しら)を切らせはしない。



「どうなんですか? 黙っていても分からないぞ。どうなんだよ! 答えろー!!」


「いえ、私は……」


「警察に通報して調べてもらうか? そうすれば直ぐに分かる事だ。警察の取り調べから逃げ切れると思うなよ! 正直に言った方が身の為だぞ! どうするんだ?」






 数秒の沈黙の後。



「……私が……やりました」


 小久保さんは震えながら、ぼそりと答えた。やっと観念したか……。震えているのは俺に怒鳴られたからか。それとも、これからの処分に恐怖しているのか。いずれにしても俺は絶対に許さない。


「そうか、今から会議室に来い! 矢澤、課長に報告を頼む。それから大谷、七瀬はこれを知っているのか?」


「いえ、今朝はこんなに酷くなかったので、まだ見ていないと思います」


 俺の言葉に大谷の表情が緩む。大谷、よくやってくれた。お前にも相談して本当に良かったよ。でも今は七瀬の事が心配だ。


「そうか、七瀬にこれを見せたくない。こんなの見たら、あの子はまた傷付いてしまう。その前に一度話をしたいんだ。七瀬を頼めるか?」


「お任せ下さ~い」


 いつもの口調に戻った大谷は、ニコッと微笑むと更衣室を出て行った。これは大谷が適任だろう。七瀬を頼むぞ。



「小久保さん、会議室だ。ついて来い!」


 ビクッと身を震わせた小久保さんから、小さな声で「はい」と返事が返って来た。



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