第十七話 対策会議 前編
さっきの小久保さんの言葉が気になって仕方がない。偶然見られたのか? 小久保さんは、夜のドライブは楽しかったですか? と言った。それにショックだとも。
仮に俺が一人で運転していても、あんな言い方にはならないだろう。最近、夜に車を運転したのは先週の金曜だけだ。という事は、七瀬を乗せている時に見られたと考えるのが妥当だろう。
小久保さんは、ただ俺の傍にいると言うだけで七瀬を精神的に追い詰める様な人だ。あれを見られた以上、七瀬にどんな被害が及ぶか分からない。
俺の事は別に構わない。だけど、七瀬に何か危害を加えられたら……
「……さん。片桐さん!」
肩を叩かれ、ハッとして横を向くと、矢澤が心配そうな顔で俺を覗き込んでいた。
一人で焦っていても、何も解決策が浮かんで来ない。こんな時に相談出来るのは、やはりこの男しかいない。
「矢澤……少し相談に乗ってくれないか? 出来れば第三会議室で」
「どうやら深刻な問題みたいですね。分かりました。すぐに行きましょう」
理由も聞かずに快諾してくれた。矢澤だって業務を抱えて大変だろうに……。やっぱりこいつは頼りになる。
矢澤と共に第三会議室に入る。ここは、パーテーションで仕切られただけの他の会議室とは違い、壁もしっかりしている。防音に優れた造りで、内緒の相談にはうってつけの場所だ。
向かい合って席に着くと、矢澤が足を組みながら聞いてくる。
「さて、伺いましょうか……。片桐さんが狼狽えるなんて、一体どうしました?」
「実は先週、七瀬と二人で帰りが遅くなったんだ。それで車で送って行ったんだが、さっき小久保さんに、夜のドライブは楽しかったかと言われた。どうやら七瀬を送って行った事を知られたらしい」
「七瀬を送った事は大谷から聞いていましたが、あの女に知られたとなると厄介ですね……。それで、これからどうします?」
「情けない話だが、どうして良いか分からないんだ。それで、お前に相談しているんだが……」
矢澤は少し考える素振りの後、深刻な顔をして口を開いた。
「客観的に言いますと、これはちょっと七瀬が危険ですね。業務に支障が出かねない。あの女の視線は、既に嫉妬を超えて恨みに至っていると思います。七瀬と大谷と対策会議を行うっていうのはどうでしょう?」
「会社で集まるのはリスクが大きいと思うんだが」
「そこは勿論、茜亭ですよ」
「そうか! その手があったか」
流石は矢澤だ。全然思いもよらないアイデアを出してくれる。いや、言われてみれば俺にも考え付く事だ。随分と冷静さを欠いていたようだな……。
「ですけど、すいません。今週は忙しくて金曜日しか時間が取れないんですよ。明日からの三日間は、七瀬から目を離さない様に出来ませんか?」
矢澤は申し訳なさそうに両手を胸の前で合わせる。
「いや、無理を言っているのは俺の方だから、気にしないでくれ。現状、俺一人ではどうしようもない状況だし、金曜の夕方という事で頼む。それまでは七瀬と一緒に行動する」
三日間、俺がキッチリ守ってみせる。真面目に仕事をしている七瀬を、危険な目に遭わせる訳にはいかない。
「それから……金曜ですが、七瀬と大谷は私が連れていきますよ。ここまでの話を聞く限り、どうやら片桐さんは監視されています。どのような監視なのかは分かりませんけどね。七瀬も、大谷を経由して私が誘った方が無難でしょう」
「何から何まですまない」
「気にしないで下さい。当日は、何とか尾行を捲いて茜亭まで来て下さい」
俺は小久保さんに監視されているのか? 監視とはあまりにも常軌を逸している。全く、あの人は何がしたいんだ。最近テレビで見掛けるストーカーそのものじゃないか……。
「色々すまん」
矢澤に頭を下げる。
「いいえ、これは私にとっても大切な事ですから。その代わり、今回は片桐さんの驕りっすよ」
「それは全然構わないよ。とにかく宜しく頼む」
矢澤は、ひょっとこみたいな顔をしておどけて言ったが、今は金の問題じゃない。でも、少しホッとしたよ。やはり矢澤は頼りになるな。
七瀬を守りながら、金曜の夕方を迎えた。
警戒はしていたものの拍子抜けする程に、小久保さんが接触してくる事はなかった。
十七時の終業チャイムが鳴ると、横目で小久保さんの動向を伺う。どうやらデスクの片付けをしている様だ。直に席を立つだろう。
「主任、お先に失礼します」
「ああ、お疲れ。また来週も宜しく頼む」
七瀬はペコリとお辞儀をすると、大谷が待つ事務所入り口へ歩いて行った。矢澤のデスクの方を見ると、ちょうど矢澤もこっちを向いていた。目が合うと矢澤は小さく頷き、事務所を後にした。
さてこれからが本番だ。
PCを立ち下げ、俺は事務所を後にした。