表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/34

第十四話 揺蕩う心

「そうか……。行き先変更だ。俺について来い!」


「えっ?」


 戸惑いの表情を浮かべる七瀬。だが俺には、こんな時間に電車で帰らせるつもりなど無い。


「いいからついて来い。俺が車で送って行くから。こんな夜中に女の子一人、暗い夜道を歩かせる訳にはいかないからな」


「あ、はい」


 外灯が照らす道をツカツカと歩き出す。ちゃんとついて来ているかな? 時々振り返ると、七瀬は不安そうな顔をしながらも、離れず俺の後ろをついて来ていた。


 スクランブル交差点から会社方向へ戻り、信号を左に曲がると、やがて細い路地の入口が見えてくる。この辺りは外灯の数も少なく、道は一層暗い。あの路地に入れば、俺の家はもうすぐだ。



 自宅前に到着し、振り返って七瀬を見る。


「七瀬、ここだ。少し待っていてくれ」


 七瀬が頷くのを見届け、(おもむろ)にシャッターを開ける。暫く乗っていないから、すんなりかかってくれれば良いが……。恐る恐るキーを(ひね)ると、エンジンはあっさりと(うな)りを上げた。よし、大丈夫だ。




 弥生……この子を乗せるけど許してくれるよな?




 苦労して貯金して、やっとの思いで買った車。

 妻との思い出が一杯詰まった、俺にとって特別な車だ。



 排気音が周囲に響き渡っている。こんな時間だから近所迷惑だ。呆気に取られている七瀬にこっちだと声を掛け、助手席に座らせる。何か言いたそうだな……。道すがら、話をすればいいか。


「すぐに出発するぞ。少し窮屈で乗り心地が悪いかもしれないが、我慢してくれ」


「はい」


 クラッチを切り、シフトレバーをLowへ。サイドブレーキを解除し、優しくクラッチを繋ぐと、俺達を乗せたG○-Rがゆっくり前に進み始める。


「七瀬、松木町だったよな?」


「はい、そうです」


 松木町は、この街に比べれば随分と長閑(のどか)な所だ。目立つランドマークも無いベッドタウンで、駅周辺から少し離れるだけで、街灯も少なく暗い所も多いだろう。


 国道に乗り、松木町へ向けて車を走らせる。こんな時間に走っているのは、トラックとタクシーばかりだ。この交通量なら、大体二十分くらいで到着出来そうだな……。


「酔ってないか? 具合悪くなったらすぐに言えよ」


「大丈夫です。私の父も、こんな羽根の付いた車に乗っていましたから……」


「そうか、それは素敵なお父さんだな」


「いえ、そんな事は……。あのっ! 私なんか乗せて良かったんですか?」


「なんでだ?」


「だって今日、小久保さんに……」


 そう言うと、七瀬は下を向いてしまった。なんだ、ずっと困った顔をしていたのはその事だったのか……。小久保さんには、本当に困ったものだ。


「ああ、あの時の……聞いてたのか。あの人をこの車に乗せる気はないよ。だけど、お前をこんな時間まで付き合わせたのは俺だ。無事に送り届ける責任があるからな」


「……ありがとうございます」


 少しの間を置いて、七瀬から控え目な言葉が返ってきた。なんとも歯切れの悪い返事だな。他にも何か困っている事でもあるんだろうか……。


 松木町に入ると、七瀬の案内で彼女の住むアパート前まで辿り着き、車を停車させる。割とお洒落なアパートだ。白い外壁に、所々赤いラインが入っている。車から降りて、七瀬をアパートの入り口まで送ると、入り口に立った七瀬がこちらに振り返った。


「主任、今日はありがとうございました!」


「いや、いいんだ」


「また、茜亭に連れて行って下さい」


「ああ、そんな事で良ければいつでも」


「約束ですからね!」


 少し茶目っ気の入った顔で、七瀬は嬉しそうに笑った。それじゃ無事に送り届けたし、帰ろうかな……。


「未来!!」


 その時大きな声が響き、大谷まどかが飛び出して来た。そう言えば、隣の部屋に住んでいるって事を、ついさっき七瀬から聞いたばかりだったな……。大谷は七瀬に抱きついて、無事を確認している。


「もう! こんな時間まで、どこに行ってたのよ~。会社に電話しても誰も出ないし……。いつまで経っても帰って来ないから、凄く心配したのよ! あれっ、片桐主任ですか?」


 大谷は、俺に気付き、驚いた顔をした。


「大谷、遅くなってしまってすまん」


 深々と頭を下げる。


「片桐主任と一緒だったんですか~。だったら安心ですね」


 大谷はにっこり笑った。二人は本当に仲が良いんだな……。


「すっかり遅くなってしまって、一人で帰らせるのも不安だから車で送って来たよ」


「未来~、片桐主任に何をご馳走になったの?」


「えっ」と言って動揺する七瀬に、笑顔の大谷はさらに続ける。


「だって~、未来から~とっても美味しそうな匂いがするもの。ねぇねぇ~、何を食べたの? 教えてよ~」


「ちょっとまどか、落ち着いてよ。あとで教えるから……」


 大谷の勢いに、七瀬もたじたじのようだ。助けを求める様に俺を見ている。でも、その顔が何とも嬉しそうに見えるのは、気のせいではないだろう。


「はははっ、二人は本当に仲が良いんだな」


「はい! 私と未来は、心友ですから」


 誇らしげに大谷が宣言する。七瀬も嬉しそうだ。


「そうか、親友か」


「あっ、主任。『しんゆう』って、親しい友ではなくて、心の友って書いて『心友』です」


「心の友か……」


 俺にも心の友はいるぞ。あいつのお陰で、今の俺がある。七瀬を受け持つ事になったのも、あいつの提案だったしな。



「それじゃ、俺はそろそろ帰るとするよ。また来週な」


「はい、送っていただいてありがとうございました!」


「片桐主任、今度私にもご飯驕ってください」


 ちゃっかりしてるな、大谷は……。まあ、矢澤も一緒にだったら構わないか。次は四人で行ってみるのも悪くないだろう。



 二人に見送られて、帰途に就く。


 再び国道に乗り、来た道を戻る。さっき迄は隣に七瀬が乗っていたが、今は俺一人だ。何となく寂しさを感じてラジオをつけると、男性DJが面白おかしく喋っている。


 そう言えば、誰かと食事をするなんて、どれくらいぶりだろう。あの笑顔……弥生とは似ても似つかない七瀬の笑顔が、一瞬重なった。


 七瀬は入社以来、クールを貫き、決して弱みを見せず振る舞ってきた。だけど本当は、ただ虚勢を張って強がっていただけだった事を、今日俺は知った。


 本当は、とても弱い十八歳の女の子。

 七瀬未来(ななせ みく)


 もう二度と泣かせたくない。

 俺がしっかり見守っていこう。





 自宅に戻り、ベッドの上で天井を見ながら、今日の出来事を振り返る。今日は色々あったな……。

 七瀬の正社員登用辞令に始まり、ミスとその後始末、そして茜亭での夕食。本当にいろいろな事があった。今日は七瀬を泣かせてしまったな……。そして、あの笑顔。弥生の微笑みと重なった、七瀬の笑顔。


 弥生に感じたのと同じ気持ちが、俺の胸に拡がったのは事実だ。倒れそうだと感じたから支えたのも嘘ではないが、本当は七瀬を――とても愛おしく感じた。


 俺は……七瀬に惹かれているのか?





 馬鹿な! 

 歳の差を考えろ!


 それに、俺はもう誰も愛さないと決めたんだ。

 あああぁ、しっかりしろ! 片桐優太。



揺蕩(たゆた)う心……心が動揺する。躊躇(ためら)い、物事を決めかねている様。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ