表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/34

第十一話 成長と失敗 後編

「何があった?」


「先程、製品の確認に行ってきたのですが、全然規格に入らないんです。私、なにか間違えたんでしょうか? もう、どうして良いかわからなくて……」


 七瀬は、オロオロしている。

 こんな姿を見るのは初めての事だ。


「製品の仕様書と条件表は?」


「こちらです」


 震える腕で書類が差し出された。


 まずは、仕様書をざっと見渡す。

 見た限り、特に異常は見当たらない。

 何かおかしい点でも有るのか?

 この製品の系列は……これは!? 


「これは……BX-50系製品じゃないか! 七瀬、製品は今どうなってる?」


「製造部の職長さんに頼んで、止めてもらっています」


 今にも泣き出しそうな、弱々しい声で答える七瀬。

 だが、今大事なのは、製品の状態だ。


「どの段階まで処理は進んでいるんだ?」


「ここです!」


 俺が持った仕様書の一部分を指差し、七瀬は答えた。


「そうか……。俺も迂闊だった。BX-50系は処理時間が違うんだ。通常製品よりも長い時間処理しないと、規格には入って来ない。まずは現物確認だ。工場へ急ぐぞ!」



 事務棟を出て、工場棟に向かう。

 不意に後ろを歩いていた筈の七瀬の足音が消えたので振り向くと、植え込みの横に七瀬は立ち止まっていた。


「七瀬、どうした?」


「あの……主任。私……クビになっちゃうんでしょうか?」


 七瀬が俯きながらぼそりと喋り始める。


「は?」


「あの製品って凄く高いんですよね? 私の給料じゃ払えない位高いって、以前言ってましたよね?」


「お前、何を言ってるんだ?」


「だって……午前中に製造課の作業員の方から、作業条件について問い合わせがあったんです。それなのに私、安易に『その条件で大丈夫です』って答えてしまって……。よく確認すれば気付けた筈なのに、完全に私のミスです。私のせいで製品が……」


「おい、七瀬、落ち着け! 製品は――」


「いや……帰りたく……ない」


 初夏だと言うのに、七瀬はまるで寒気がするかの様に縮こまり、震え出した。

 帰りたくないって、どういう事だ?


「おい、七瀬!」


「あ……いや……わ、わたし……」


 目が潤んだ次の瞬間、涙が一粒頬を伝う。それが合図であったかの様に、止めどなく涙が溢れ出てくる。

 七瀬は、ギュッと握った拳を口に当てて、声も上げずに泣き出してしまった。


 なんでこんな事で……

 ここまで取り乱す姿を初めて見た。


「七瀬……しっかりしろ!」


「いやだ……クビなんて嫌! ……ここにいたい! ……主任の傍に……いたい……」


「七瀬、大丈夫だ。不良にはならない」


「……主任。だって私……ううう、ううあぁぁぁーっ!」


 嗚咽を漏らし、さらに激しく泣き出した。


 なんで、そんな……泣く事ないだろ。

 本当はこんなにも脆い子だったのか……。

 普段の態度から、泣くような子じゃないと思い込んでいた。

 だけど今俺の目の前で、崩れて無くなってしまうのではないかと思うくらい、泣きじゃくっている。


 考えてみれば、まだ高校出たばかりの十八歳の女の子だ。それが親元から遠く離れて、今までずっと気を張っていたんだな。


「うえっ、うぇっ、ううぅぅ。ハァハァ、ハァハァ、ハァハァ……」


 七瀬の顔色は真っ青だ。

 呼吸は荒く、視点は定まっていない。

 これは、過呼吸の症状じゃなのか?


 いかん! この子は倒れる――


「七瀬!」


 思わず七瀬を抱きしめた。


「大丈夫だ。俺が必ず守るから……泣かせたりなんかしないから」


 言い終えると、七瀬の強張りが解けていくのが伝わってくる。


「……はい」


 とても小さな返事が聞こえると同時に、七瀬の腕が俺の背中に回ってきた。





 そのまま、何分くらい動かなかっただろか……。


「あの……主任」


 やっと、七瀬は落ち着いてくれたようだ。

 本当は腕を掴んで支える筈が、勢い余って抱き締めてしまった。

 つい、勢いでやってしまったが、冷静になって考えてみると、俺は今とんでもない事をしている。

 会社構内で勤務中に泣いた女の子を抱きしめるなんて……



 これはマズい。

 慌てて肩を掴んで引き離すと、七瀬は驚いた顔をしていた。


「すまん、七瀬。お前が今にも倒れてしまうと思ったら、どうしていいか分からなくて……。ごめん。俺をセクハラで訴えるか?」


「ふふっ、私、そんな事しませんよ。主任の胸、とっても暖かくって……嬉しかったです」


「もう泣かないでくれよ。せっかく綺麗な顔をしているんだから」


「しゅ、主任、何を言ってるんですか!」


七瀬の顔が急に赤くなった。良かった……。さっきは本当に倒れてしまうかと思ったが、だいぶ血色が良くなって来た。


「だいぶ落ち着いたか? あの製品はな……過去に俺が同じミスをしているんだ。だから、その時に救済したノウハウがある。大丈夫だ。俺を信じろ。不良になんてしない。必ずリカバリーしてやる」


「えっ……本当にあの製品、救えるんですか? それじゃ私、クビにならなくて済むんですか?」


 七瀬は、今日一番の驚きなのだろう。目がカッと見開かれている。


「だから大丈夫だと言ってる。大体、これくらいの事でクビになるなら、とっくに俺がなってる筈だろ? 大丈夫だから俺を信じろ! とっとと後始末を済ませるぞ!」


「はい!!」


 七瀬はニッコリ微笑んだ。




 あっ……


 まだあどけないこの少女の微笑みが、(やよい)と重なった。(やよい)とは似ても似つかないはずの七瀬の笑顔に、一瞬心を奪われた。胸が……俺の心臓が激しく鼓動している。

 一体どうしてしまったんだ、俺は……。



「主任、どうかしました?」


「あっ、いや……なんでもない。急ぐぞ!」


 動揺に気付かれまいと、俺は工場棟へ向けて歩き出した。






 全ての始末を終え、七瀬と二人で正門から出ると、時刻は既に二十一時を回っていた。外灯がポツリぽつりと照らす道を、駅方面に向けて二人で歩く。


 今日はいろいろあったな……。

 七瀬の正社員登用の事、小久保さんの事、そして……ミスの事。


 本来であれば、今日は七瀬にとって喜ばしい一日になるべきだった。だというのに、こんな事になってしまい、揚げ句には残業までさせてしまった。

 今からでも、何かしてやれる事はないだろうか……。



 そうだ!



「七瀬。この後予定あるか?」


「いえ、特に。真っ直ぐ帰るだけですけど……」


「今日は俺のミスでこんなに遅くなってしまった。お詫びに食事でもどうだ?」


「え?」


 七瀬は目を見開いたまま……固まっている。


「俺みたいなおじさんとじゃ、嫌か?」


「い、嫌じゃないです。嫌だなんて思う訳ありません。私、いま片桐主任から食事に誘われたんですよね? 行きます! 連れてって下さい!!」


 七瀬にしては珍しく、目を輝かせている。

 やっぱり、この年頃の女の子なんだな……。


「そうか……。しばらく行ってないんだが、顔見知りの店がある。帰り道からは少し逸れるがそこに行ってみようか」


「はい。でも片桐主任……」


「なんだ?」


「今日の事は、片桐主任のミスじゃなくて、私のミスです。課長の前では庇ってくれましたけど……やっぱり私の責任だと思います」


 七瀬は真剣なまなざしで、真正面からきっぱりと言った。

 指導担当なのだから当たり前じゃないか。本当に真面目なのは良いが、あまり思い詰めないで欲しいものだ。それでも、七瀬はそう考えてしまう子なんだな……。


「それじゃあ、俺達二人のミスって事にしよう。それでいいよな? だけど、同じミスは二度としないぞ!」


「はい、わかりました。以後気を付けます。あの……私、片桐さんの下で勉強出来て、とても嬉しいです。これからも厳しくご指導をお願いします!」


 そう言うと、七瀬は深く頭を下げた。


「俺も、相手が七瀬で良かったと思ってるよ。もう腹がペコペコだ。さあ、急ぐぞ!」


「はい!!」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ