第一話 悪夢
「ふう、やっと書類が終わった。さて、俺の担当製品の進捗状況はどうなっているかな……」
デスクに座ったまま伸びをする。午前中ずっとPCに向かいっ放しだと、さすがに肩が凝るな……。
でも、なんとか事務仕事は片付けたぞ。午後は、自分の目で製品を確認出来そうだな。さて、工場棟に向かうとしよう。
それは突然の事。工場棟の奥にあるクリーンルームの入り口で、無塵服に着替えている時だった。
~~ 第一開発課の片桐主任、外線1番にお電話がはいっております。くりかえします。第一開発の片桐主任、外線1番にお電話です。~~
構内放送が響きわたる。呼ばれたのは俺だ。一体なんだろう? 放送で名前をよばれるなんて、入社以来はじめての事だ。
不安を感じながら近くにあった受話器をとり、【外線1】と書かれたボタンを押す。
「もしもし、片桐ですが……」
『ゆ、優太君! 落ち着いて聞いてくれ。弥生が、弥生が事故に遭って救命救急センターに運ばれたって。こっちは今向かってるんだが、優太くんもすぐ来てくれ!』
電話の相手は義父だった。あの厳格な義父が、ここまで取り乱すとは尋常じゃない。
「弥生が事故⁉ すぐに向かいます!」
営業車に乗り込み、目的地へ飛ばす。だいたい、なんで近くの救急病院じゃなくて、遠くはなれた救命救急センターなんだよ!
弥生に何があった? 交通事故って……。
救急搬送ってことは、かなりの重傷なのか?
そもそも意識はあるのか?
弥生、たのむから無事でいてくれ!
工業地帯をぬけて幹線道路にはいると、大渋滞だった。救命救急センターにつながる橋の上で、事故があったらしい。
畜生っ! なんだってこんな時に……。
病院に到着するまでに一時間以上かかってしまった。逸る気持ちをおさえて病院の駐車スペースに車を停め、正面入り口に駆け込む。
目の前に『総合受付』という表示がみえた。
「すみません! 片桐といいますが、妻は……片桐弥生はどこですか!」
「片桐弥生様ですね。少々お待ちください」
事務員が端末を確認しはじめた時、後ろから声がきこえた。
「優太君!」
大声で話していたせいか、義父が気付いて駆け寄ってきてくれたんだ。
「お義父さん! 弥生はどうなんですか? 無事なんでしょう?」
「……」
お義父さんは下を向いている。
「お義父さん?」
「優太くん。……間にあわなかったよ」
「えっ?」
な、なにを言っているんですか!
「弥生はどこですか!」
その言葉を信じられず、妻の居場所を尋ねる。
すると義父は、俺の腕を掴むと黙って歩きはじめた。
腕をひかれたまま病院内を歩き、階段をおりる。案内された先は『霊安室』だった。
う、嘘だろ!?
中に入ると、義母と俺の両親がいた。
「お義母さん……」
中には、ベッドというにはあまりにも質素な台が一つ。そこに人が寝かされている。顔の部分には白い布が被せられていた。
弥生なのか?
本当に……妻なのか?
なにかの間違いなんじゃないか?
義父さんの顔を見ると、つらそうに顔を顰め、うつむいている。義母さんも目元にハンカチをあて、すすり泣いている。俺の両親は、二人とも青ざめた顔で呆然と立ち尽くしていた。
ベットの横に立ち、恐る恐る白い布を引きさげると、そこには血の気がなく、真っ白な妻の顔があった。
「うわぁぁぁぁぁーっ!」
どうして?
なんでこんな事になったんだ。
今朝までは元気だったのに。
行ってらっしゃい、って笑顔で送り出してくれたのに……
肩を掴まれ、振り返ると、義父さんが話しはじめる。
「買い物にでも出かけていたのかな……。道路を横切ろうとして、よそ見運転のトラックに轢かれたそうだよ。私が来た時にはまだ息があったそうだが、すぐに……」
義父はうつむいたまま、壁をゴツンと叩く。
その時突然扉が開き、三人の男が入ってきた。
「すいません!!」
その内の一人が、土下座して謝りはじめた。
よく見ると両手首が縄でくくられている。
こいつが……こいつが弥生を……。
「お前かぁぁぁぁぁ!!」
握った拳を力の限り、男に叩きつける。
「返せよ! 返してくれよぉ。弥生を、俺の弥生を返せぇぇぇぇっ!」
恐らく警察関係者であろう残りの二人が、俺とその男の間に割って入る。義父さんと親父も、俺を止めに入ってきた。
「優太君、止めるんだ! そんな事したって弥生は戻ってこないんだよ」
義父に後ろから羽交い締めにされても、俺は構わずに土下座した男を蹴るが、すぐに引き離された。
「離せ! 離せよ! 離せっつってんだよぉぉっ!」
* * *
チュン、チュン
鳥のさえずりに目が覚める。
「またこの夢か……」
同じ夢をみる。
何度も何度も……。
弥生が亡くなった時の夢。
最愛の人の死は、順風満帆だった俺の人生に大きな影を落とした。
三年前、俺は妻を亡くした。一生忘れる事の出来ない、俺の胸に突き刺さった楔。
あの霊安室で、俺は気を失ったらしい。
気が付いた時には、俺は実家に寝かされていた。気を失っている内に、両親に実家まで運ばれたらしい。
意識を取り戻してすぐ、自宅に戻ると言う俺を、両親は許してくれなかった。
それでも葬儀を済ませると自宅にもどり、遺品にすがりつきながら泣き続ける日々。
妻の死を受けいれられなくて、飲めもしない酒を浴びるように飲んだ。どんなに不味くても、酔うことは出来るらしい。自暴自棄になり、いっその事、後を追おうかと考えたこともある。
それでも、見舞ってくれる友の励ましもあり、前に進まなきゃいけないと思うようになって職場復帰した。
「ふう……。今日も仕事だ」
誰も聞いてはいないが、自分を奮い立たせようと声に出す。
ベッドから下りて身支度を整え、食パンを一枚頬ばり、妻の遺影に線香をあげて手を合わせた。
「行ってきます」
玄関ドアを開けて門を通り、振り返って我が家を見上げる。
一人で暮らすには大き過ぎる家。
必死に貯金してやっとの思いで購入した、二人の愛の巣になるはずだった我が家。
この家に一家団欒の声が響く事は、未来永劫ないのだ。
「もう三年か……」
過去に囚われても仕方ない。
わかっている。
そんな事はわかっているんだ。
だが、俺はあまりにも大きなものを失った。
あれから三年。
妻の死を受けいれられた、とは思う。
でも、前には進まない。
本当は、前に進もうなんて考えてはいない。
約束も守れなかった俺が、妻を置き去りにして前に進むなどあってはならないんだ。
もう大切なものなどいらない。
失うくらいなら、最初から無くていい。
失いたくない。
俺は失うのが怖いんだ。
だから独りで生きていく。
通い慣れた道を、会社に向けて歩き続ける。
革靴が舗装された道を叩くカツン、カツンという音が路地に響く。
早朝で誰ひとり歩いていないが、満開に咲き誇る桜並木が、俺を祝福してくれている様に感じた。
冒頭のタイトルロゴは、武 頼庵(藤谷 K介)様より頂戴したものを使用しております。