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碧玉寺へようこそ!  作者: 佳景(かけい)
第二章 引きこもり
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―6―

 三週間後の日曜日。

 

 樹は朝から英知と真綾と共に、護持会総会の会場となる本堂で準備をしていた。


 檀家は四十名程いるものの、委任状の数からして今日参加するのは二十人程なので、準備は住職と寺族――住職の家族のことだ――がいれば十分だ。


 本堂はそれ程広くはなく、詰めて座っても百人も入れないだろう。


 樹は毎日五時に起きて、勤行や朝食の後に英知と手分けして寺の掃除をするのが日課なので、古びた本堂の中はいつも綺麗に保たれている。


 どこに触れても指が埃で白くなるようなことはなかった。

 

 今日の樹と英知は直綴に白衣、割截の五条袈裟を身に着けた正装で、真綾は飾り気のない黒いワンピースという格好だ。


 樹は英知と真綾と共に、庫裡の裏手にある大きな物置から折り畳み式のテーブルやパイプ椅子、ホワイトボードを運び出して、本堂に並べていく。


 樹が檀家達が座るパイプ椅子と向かい合うように置いたホワイトボードに会の次第を書いていると、真綾がホチキスで留めたプリントをテーブルに並べながら心配そうに訊いてきた。


「ねえ、お兄ちゃん……あの人本当に信用して大丈夫なの? 檀家さん達にお寺の関係者だって紹介したら、あの人が何か法律に触れることでもした時にはどうしたってこの寺の信用に関わってくるし、お兄ちゃんだって責任取らされるかも知れないんだよ?」


 護持会総会に魔王を出席させると言った時から、真綾は毎日のようにこの質問を繰り返してきた。


 まだ高校生の割に大人びた心配をするものだと樹は思うが、真綾は家事だけでなく、こうして寺のこともよく手伝っているし、それだけこの寺のことを真剣に考えてくれているのだろう。


 安心させてやりたいとは思うものの、自分自身が半信半疑といったこの状況では、なかなかそれも難しかった。だからこそ、真綾は何度も同じ質問をしてくるに違いない。

 

 樹はホワイトボード用の黒いマジックを動かしながら、できるだけ慎重に言葉を選んで言った。


「お前が心配するのもわかるよ。一応仏様でもあるらしいけど、魔王を寺に招き入れて、どうなるかなんてわかんねえしな。正直俺もまだあの人のことを量りかねてるけど、あれだけの力があるんだから、人に危害を加えるつもりがあるならわざわざ人を騙したり、利用したりなんてまどろっこしいやり方はしねえだろうし、そう心配しなくても大丈夫だと思うぞ。多分」

「多分、ね」


 含みのある言い方をする真綾に、樹は言う。


「俺だって断言できるもんなら『大丈夫』って言い切りたいんだよ。でも同じ人間の心だってわからねえのに、仏様兼魔王の心なんて、尚更わかるわけねえだろうが」

「まあ、あの人ポーカーフェイスタイプみたいだし、余計に何考えてるんだかわからないよね。そこが余計に怖いんだけど」

「前から思ってたけど、お前って年の割に子供っぽくないって言うか、下手な大人よりも慎重なところあるよな。お前くらいの年の女の子だったら、キャーキャー言ったりしなくても、あの人のこともうちょっと好意的に受け止めるもんなんじゃねえのか? あれだけ綺麗な顔してるんだし」

「それは相手が只の人間の男の人の場合でしょ? どんなに綺麗でも人間じゃないってわかってる人をちやほやできるのは、よっぽど脳天気な人だけだよ」


 と語る真綾は、ただ綺麗に整っているだけの顔にはあまり魅力を感じないらしい。


 それでも魔王レベルの美しさなら流石に心を動かされるかと思ったのだが、やはり些か個性的と言うか、見る程に味わいのあるような顔を好む上に、慎重な性格の真綾にはあまり意味がなかったようだ。


 見知らぬ相手を簡単に信用しないというのは、世の中を渡っていく中である程度必要な姿勢ではあるものの、人を遠ざけてしまうことに繋がるのではないかと、樹としては少し心配に思ったりもする。


 時と場合、相手にもよるが、魔王に対しては、自分と真綾、どちらのスタンスが正解なのだろうか。


 知らず手が止まっていた樹が再び手を動かし始めると同時に、真綾は英知に水を向けた。


「お父さんは心配じゃないの? もしかしたら、檀家さん達がみんな離れちゃうかも知れないんだよ?」


 英知はパイプ椅子を並べながら、歯切れ悪く真綾の質問に答えた。


「うーん……勿論心配は心配なんだが……」

「ちょっと、ちゃんと答えてよ。お父さん、このところいつもそんな調子じゃない。大事なことなんだから、みんなでちゃんと話し合わなきゃ」


 真綾の言う通り、英知は最近この話題を避けていると言うか、いつも曖昧な返事をするばかりで、自分の考えをはっきりと口にすることはなかった。


 実直な性格の英知にしては珍しいことで、何か理由があるのだろうと樹はこれまで敢えて触れずにおいたのだが、真綾は樹の配慮を知ってか知らずか、英知に詰め寄る。


「ちゃんとお父さんの考えを聞かせてよ。ここは私達の家なんだから、そんな他人事みたいなことじゃ困るの」


 英知は考えがまとまらないのか、視線を泳がせたが、やがて観念したかのように語り出した。


「……正直なところ、私には何とも言えんのだ。仏様でもあるというあの男の言葉が嘘でないなら、何十年と心に思い描いてきた仏様とは差があり過ぎて、どう受け止めるべきなのかわからんし……もし邪悪なだけの存在なら調伏すべきだろうが、樹が言うには私達ではとても歯が立たんそうだし、それならどうするべきかと訊かれても、さっぱりわからんのだ。それなら、とりあえず樹の思う通りにやらせてみてもいいだろう。目的はあくまで人助けだし、少なくとも今のところ、あの男は私達に危害を加えるつもりはないようだしな。樹が力を借りると決めた以上、黙っていてもいずれ檀家さんの耳には入るんだ。問い合わせが来てから説明するよりは、先に紹介しておいた方がいい」


 どうやら、英知は言うべき意見がないからこそ、何も言おうとしなかったらしい。


 あの魔王の姿や性格を知った時には、樹もそれまで抱いていたイメージとのギャップに戸惑ったものだが、僧侶として仏教に接して時間が長い分、英知の方がより戸惑いが大きいのだろう。


 自分達では絶対に倒せない相手と敵対するのは得策ではないとはいえ、魔王が邪悪な存在なら戦わないまでも遠ざけるべきではあるものの、契約を破棄したところで都合良く関係を終わらせられるとは限らなかった。


 「どうすればいいのかわからないから、とりあえず息子の言う通りにしてみよう」という英知の発想は思考の放棄もいいところだが、相手が相手だけに、樹としてはとても責める気にはなれない。

 

 真綾は英知が援護してくれるものと期待していたのだろうが、すっかり当てが外れた様子で言った。


「本当に、そんな適当なことでいいの? 後悔しない?」

「わからん。わからんが、あの男の力を借りることで苦しんでいる人が助かるかも知れないなら、それに越したことはないだろう?」


 英知も僧侶の端くれだけあって、我が身のことより人助けを優先するつもりらしい。


 そういう英知だからこそ、自分をこういう男に育ててくれたのだろうと樹が思っていると、真綾は少し考えてから言った。


「……うん、そうだね。お父さんの言う通りだよ」


 真綾は仏教にはあまり関心がないが、それでもやはり寺の娘だ。


 とりあえず真綾が納得してくれたことに安堵しつつ、樹はペンを動かし続けた。







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