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碧玉寺へようこそ!  作者: 佳景(かけい)
第一章 招来
4/37

―4―

 樹が再び深く頭を下げると、英知も同じように頭を下げた。


 樹が息を詰めて魔王の返答を待っていると、魔王は小さく笑って言う。


「欲のない男だな。我がこの辺り一帯の人間に暗示をかけさえすれば、檀家の減少に頭を悩ませることはなくなるぞ?」


 樹は目を瞬かせた。


 仏だの魔王だのと呼ばれる存在だけに、その気になれば人心を操って寺を繁栄させることなど造作もないらしい。


 だが、そんなことは今まで考えたこともなかった。


 力を借りるだけならまだしも、すっかり頼り切ってしまうのは良くないだろう。

 

 樹は迷いのない口調で言った。


「これも修行ですから。勿論檀家さんが増えてくれたら嬉しいですが、それはあくまで自分の努力の結果であって欲しいです」

「悪くない心掛けだ。いいだろう。その願い、叶えてやる」

「ありがとうございます!」


 特に何が変わった気もしなかったが、これで契約は成立したのだろう。


 樹が顔を上げた丁度その時、襖の向こうから妹の真綾の控えめな声がした。


「失礼します。お話し中にごめんなさい。お茶を持って来たんだけど……」


 居間に来る前、真綾に茶を淹れてくれるように頼んでいたのだが、やっと用意ができたらしい。


 真綾は少しだけ襖を開けてから、手を滑らせて更に半分程襖を開け、手を替えて残りを開けた。


 襖に隠れていた真綾の姿が露わになる。

 

 真綾はこの春から高校二年生になる十六歳だ。


 太さの違う白と灰色と茶色のボーダー柄のカットソーに、黒のパーカー、ジーンズというラフな服装。

 

 母親の琴音に似てやや丸顔なところを気にしているようだが、それを差し引いてもなかなかの美少女だった。


 癖のないショートカットに勝ち気そうな目という、「いかにも活発です」と言わんばかりの外見の割に、スポーツにはあまり関心がなく、帰宅部だ。実際運動神経はかなり良かったりするので、非常に勿体無い話ではあるが、真綾自身にやる気がないのだから仕方がない。

 

 魔王の姿を見た真綾はぎょっとした面持ちで、小さく身じろぎした。


 悲鳴を上げたりしなかったのは、我が妹ながら偉いと樹は思う。


 先程声を掛けた時、真綾は自分の部屋にいて、木戸越しに会話をしただけだったので、魔王の姿を見るのはこれが初めてなのだ。

 

 樹は真綾に魔王を紹介した。


「こちら、仏様で魔王様だ。悪魔に見えるけど、悪い人じゃないみたいだから。ちなみに名前はないそうだから、魔王って呼んでいいって」

「そ、そうなんだ……」


 なかなか突拍子もない話だが、真綾には以前から仏を招来しようとしていることを話していたので、とりあえず納得してくれたようだ。


 茶や菓子の乗った盆と一緒に居間の中へと入った真綾は、恐る恐るといった様子ながらも、きちんとお辞儀をして魔王に言った。


「初めまして。妹の真綾です。兄がお世話になってます」

「生憎我に名乗るべき名はないが、よろしく頼むぞ。其方の兄とは長い付き合いになりそうなのでな」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 なかなか如才ない奴だ。


 まだ高校生だが、家の手伝いで檀家さんをもてなしたりもするので、そこらの高校生より余程しっかりしているだろう。


 琴音はもう何年も前に事故で亡くなっているので、家事もきちんと分担してやってくれているし。

 

 樹が素直に感心していると、真綾は人数分の茶と羊羹、楊枝を炬燵の卓の上に並べて魔王に言った。


「どうぞ、粗茶ですが」


 粗茶とは言ったが、恐らく真綾が淹れたのは客用の玉露だ。


 謙譲の美徳というやつだが、果たして魔王はそれを理解できているのだろうか。


 できれば額面通りに受け取って、「そんな物を飲ませるな!」と怒り出したりしないで欲しいとは思う。


 こちらとしては悪気は全くないので。


 会釈してそそくさと出て行く真綾を余所に、樹は魔王がどういう反応をするのか少し気掛かりだったが、魔王は思ったより日本文化を理解しているのか、特に気を悪くした風もなく言った。


「頂こう」


 魔王は左手を湯呑み茶碗に添えて、右手で手前から時計回りに蓋を開けると、きちんと雫を切ってから蓋を机に置いた。


 右手で取った湯呑み茶碗に、左手を添えて優雅に傾けるその姿は、ある意味そこらの日本人より余程日本人らしい。


 魔王がそれなりに日本文化に通じているらしいことにも驚いたが、それ以上に樹が驚いたのは、魔王の左手の薬指に銀色の指輪が嵌まっていることだった。


 人外の存在なので、結婚指輪とは限らないものの、やはりどうにも気になる。

 

 樹は思い切って尋ねてみることにした。


「あの、もしかしてその左手の指輪は結婚指輪ですか?」

「ああ、妃がいるのでな」

 

 あっさりそう肯定した魔王が、樹にはひどく意外だった。


 魔王には他者を寄せ付けないような印象を抱いていたので。


「失礼でなければ、奥様のことを伺っても構いませんか?」

「姿形は、我が先程化けた女だ」

 

 ということは、絶世の美男・美女夫婦なのだろう。


 魔王一人がいるだけでもむさ苦しい家が何やら神聖な場所に思えてくるが、魔王が妃と並んでいたらそれだけで新たな信仰が生まれそうだった。


「まさかあれが奥様の姿とは思いませんでした。とても綺麗で、優しそうな方ですね」

「確かに性格は温厚だが、あれは我に対してはなかなかに手厳しいぞ。すぐに怒るしな」


 魔王は羊羹を切り分けながらそう言った。

 

 この魔王が怒られているところが樹には全く想像できなかったが、何だかんだ言いながらもこうしてしっかり指輪を着けているところを見ると、妃を愛しているのだろう。


 少し微笑ましかった。


 しかし笑ったら後が怖そうなので、樹は敢えて表情を引き締めて言う。


「結婚指輪というのは人間だけの風習だと思っていたのですが、人ではない方々もそういった風習をお持ちなんですね」

「いや、決してそういう訳ではないのだが。以前妃とワシントンD.C.にある国立自然史博物館に行ってな、その時にあの国の文化に倣って互いに指輪を着けたのだが、あれがその習わしを気に入って、それからこうして着けているのだ」

 

 羊羹を飲み下した魔王の全く予想外の返答に、樹は少なからず面食らった。


 博物館を観光する魔王というのはどうなのだろう。


 そもそもどうやってアメリカに入国したのか。


 明らかに不法入国だとしか思えないのだが。


「……どうしてまたそんな所に?」

「我は宝石の蒐集や観賞が趣味でな、あの博物館が収蔵している品は見事なのだ」

「それは優雅なご趣味ですね」


 僧侶をしていると、いろいろな人と出会う機会があるが、宝石の蒐集や鑑賞が趣味というのは初めて聞いた。


 魔王の右手に青い石の嵌った指輪があり、服も大きさは違えど同じ石で飾っているところを見ると、恐らくは見るばかりでなく、それなりの数の宝石を所有しているのだろう。


 仏だの魔王だのと言うと、金とは無縁のイメージだったのだが、実はかなりのセレブだったりするのかも知れない。

 

 魔王の話はいろいろと興味深かったが、この調子で話を聞いているとあっという間に日が暮れそうなので、樹は事務的な用件を済ませてしまうことにした。


「ところで、お部屋はどうされますか? 恥ずかしながら我が家は狭いので、今は部屋に空きがないのですが」

「我のことは気にするな。我に睡眠は必要ないし、戻る気になれば一瞬で城に戻ることができるのでな」


 王の名に相応しく、魔王は城持ちらしい。


 やっぱりセレブなのだなあと感心しながら、樹は魔王に問いかけた。


「あの、お城に戻られている間に用事ができた場合、連絡を取る方法はあるのでしょうか?」

「用がある時には我を呼べ。其方がどこにいたとしても、我には必ず聞こえる」


 樹は正直なところ半信半疑だったが、とりあえずそういうことにしておくことにした。


 その内確かめる機会もあるだろう。


「わかりました。それでは、改めてよろしくお願い致します」


 樹は再び魔王に深く頭を下げた。






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