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碧玉寺へようこそ!  作者: 佳景(かけい)
第四章 ストーカー
33/37

―33―

 金曜日に女性が現れることはなく、穏やかな一日が過ぎて行った。

 

 そして土曜日。

 

 樹は背中と脇に襞のある改良服に、折五条と呼ばれる袈裟姿という略装で庫裡の外に出た。


 まだ朝の五時半なので、辺りは物音一つしない。何気なく空を見上げると、今日は気持ちのいい快晴だった。今は少し肌寒いくらいだが、昼頃にはきっと暖かくなるだろう。


 樹が外した閂を塀に立て掛けて、山門の扉の一方を開けると、山門の外で車のエンジンがかかる音がした。


 民家ばかりが並ぶこの土地で、こんな時間に車を動かす人間は限られている。


 きっとあの女性だろう。


 どうやら魔王へのストーキングは一日では終わらなかったようだ。


 樹はいっそ山門を閉め直そうかとも思ったが、すぐに思い直してやめた。


 閉めてしまったら、魔王はともかく志奈乃まで締め出すことになってしまう。不愉快ではあるが、とりあえず魔王のおかげで安全は保証されているのだし、そう神経質になることもなかった。

 

 樹はもう一方の扉も開けて山門に背を向けると、朝の勤行をするために本堂へ向かう。


 軽く後ろを振り返ると、見覚えのある車が山門をくぐって寺の敷地の中に入ってくるところだった。


 運転席にはあの女性の姿がある。一体いつからここで待っていたのか知らないが、あの女性が相当な早起きをしたのは間違いなかった。


 いくら魔王に付き纏ったところで、魔王があの女性を愛することはないだろうし、明らかに間違った方向に向けている努力を正しい方向に向けたら、もっと別の幸せを掴める気がするのだが。


 本堂の階段を上がった樹が脱いだ草履を揃えていると、本堂の扉が開いて英知が顔を出した。


「事態がいい方に向かってくれたらと思ったが、流石に考えが甘かったようだな」

「とりあえず九時頃には魔王さん達も来るし、どうするかみんなで話し合ってみよう。できることなんて大してねえだろうけど、こうなって来ると何もしない訳にも行かねえし」

「そうだな」


 踵を返した英知に続いて、樹も本堂の中へ入った。






 魔王は八時四十五分頃に、本堂から庫裡の方へとやって来た。


 今日の魔王はハイネックの黒いカットソーに黒いレースをあしらったベスト、上段にスリットの入った足元まである二段ロングスカートという、ゴシック調の奇抜な出で立ちだ。


 腰より長い黒髪を捩り上げ、ラインストーンの蝶がきらめく大きなヘアピンで留めている。

 

 そろそろ来る頃だろうと、本堂の方へ向かおうとしていた樹は廊下で鉢合わせした魔王に丁寧に頭を下げて挨拶した。


「おはようございます」

「ああ」

「もうすぐ雅楽も来ますので、父達も交えて今後のことを話し合いたいと思っているのですが、よろしいですか?」

「構わぬぞ」

「では、こちらへどうぞ」


 樹は踵を返すと、居間に向かって歩き出した。


 短い廊下を歩いて襖を開けると、予め座布団を敷いておいた上座に魔王を通したところで、英知と茶器や菓子の乗った盆を手にした真綾が口々に魔王に挨拶をしながら入ってくる。


 英知が魔王の向かいに、樹がその隣に腰を下ろし、真綾がそれぞれの前に蓋付きの湯吞み茶碗と最中の乗った皿を並べた。


 最後に自分の分を並べ終えた真綾が樹の隣の座布団に座ると、英知が魔王に頭を下げて口を切る。


「本題に入る前に、まずはお詫びを申し上げておきます。申し訳ありませんでした」

「私もごめんなさい」


 真綾が英知に続いて魔王に頭を下げると、魔王はほんの少し怪訝そうな面持ちで言った。


「其方等が我に詫びねばならない理由はないと思うが? むしろ我がここにいることで、其方等は少なからず迷惑を被っているのだから、我こそが其方等に詫びるべきだろう」

「いえ、あの女性のことはあなたに非がある訳ではありませんから。私達がお詫びしたいのは、あなたを疑っていたことです。あなたが邪な存在で、私達に危害を加えようとしているのかも知れないと。ですがあなたはむしろ私達を守ろうとしてくれているのだと、息子から伺いました。本当に申し訳ない」


 英知が再び魔王に頭を下げると、真綾も英知に倣って頭を下げた。


 英知達の謝罪をどう思っているのか、魔王は特に感情を見せない。


 樹も魔王に頭を垂れて言った。


「父も妹もこの通り深く反省していますし、私に免じてどうぞご容赦下さい」

「容赦も何も、我はこの程度のことで一々傷付いたりする程繊細な心は持ち合わせていないぞ。人間に邪悪な存在として扱われることには慣れているのでな」


 聞きようによっては嫌味にも取れるが、物言いが率直な魔王のことなので、多分嫌味でなく本当に慣れていて、特に他意はないのだろうと樹は思った。


 何しろ肩書きの一つが「魔王」なのだから、人間に邪悪な存在として扱われるのはそう珍しくもないことに違いない。


「そのままでは話もできぬだろう。顔を上げるがいい」


 魔王にそう言われ、頭を下げたままだった樹達は揃って顔を上げたが、英知はすぐにまた頭を下げた。


「お心遣いに感謝します。こんな私達を守って下さって、本当に何とお礼を申し上げればいいか……」


 樹が深い感謝を込めて、真綾と共に再び頭を下げると、魔王は言う。


「別に礼を言われる程のことではないぞ。仮にあの不愉快な女が其方等に危害を加えようとするなら、それを邪魔してやれば多少は溜飲が下がるというものだ」

 

 人間のことなど虫けら程度にしか思っていないであろう魔王らしい理由だが、もしかしたら多少の善意も含まれているのかも知れないと思うのは、買い被り過ぎというものだろうか。

 

 樹がそんなことを考えていると、魔王が問いかけてきた。


「揃いも揃って、いつまでそうしているつもりだ? せっかくの茶が冷めるぞ」





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