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碧玉寺へようこそ!  作者: 佳景(かけい)
第四章 ストーカー
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―32―

 庫裡に戻った樹が台所の木戸を開けると、英知は味噌汁の椀を傾け、真綾はコンロの前で味噌汁を温めているところだった。


 樹の席は真綾と英知の右隣で、食卓の上には既に樹の分の親子丼と箸が用意されている。


 樹は席に着くと、手を合わせて言った。


「頂きます」


 樹が親子丼を口へと運ぶと、ほんのり甘い醤油と卵の優しい味が口の中に広がった。


 昔、琴音が作ってくれた親子丼の味に似ていて、懐かしい。


 料理はできる時にできる者が作っているが、まだ学生で帰りの早い真綾は必然的に料理をする機会が多くなり、この三人の中で一番料理が上手かった。

 

 樹が黙々と箸を進めていると、真綾が温めた味噌汁を樹の親子丼の横に置きながら訊いてくる。


「で、さっき私が言わされた言葉にはどんな意味があったの?」


 樹がかいつまんで説明すると、真綾は言った。


「そっか……魔王さん、心配してくれてるんだ。別に、悪い人って訳じゃないのかな……?」

「多分な。あの人、人間のことなんか何とも思ってねえ気がするけど、悪意なく接してくる相手に危害を加えない程度の良識はあると思うぞ。寺に来ねえ時もあの人が妙な真似しねえか見張れるように、自分から言い出してああしてくれた訳だし、魔王さんなりに責任感じてたりするじゃねえかなあ」


 手放しで「いい人」と言い難い気はするが、ただ契約を果たすだけなら、魔王はわざわざ被害が出ないようにする必要はなかった訳で、「悪人」とばっさり切り捨ててしまえる程非情ではないのだろう。


 魔王の前で露骨に態度に出すことこそなかったものの、随分魔王を疑っていた真綾としてはいろいろと思うところがあったらしく、しゅんとして言った。


「……疑ったりして悪いことしちゃったな。謝った方がいいよね」


 真綾の言葉に、一足先に食事を終えた英知が箸を置きながら相槌を打つ。


「謝らなければいけないのは私もだな。私達を守ってくれる礼もしないと」

「そうだね。今度一緒に謝ろう」


 樹は二人の会話を聞きながら、心の底から良かったと思った。


 面と向かっていがみ合うことがなくても、英知と真綾が腹の底で魔王に疑念を抱いたままでいい筈がない。


 人間でも檀家でも信徒でもないが、魔王もこの寺を手助けしてくれる一人なのだから。


 樹は味噌汁を飲んでから言った。


「それはそうと、これからどうするかだな。あの手の人って放って置くとエスカレートしそうだし、やっぱりこの状況が続くのは良くねえよなあ」

「お前はそう言うが、この先もストーカー行為が続くとは限らないんじゃないか? 今日はたまたま休みで時間があったのかも知れないが、あれくらいの年の女性なら仕事をしている人も多いだろう。幸い今のところ付き纏い以外の被害は出ていないようだから、あの人が今していることは芸能人の出待ちと大差ない訳で、今日一日でストーカーと判断するのは早計な気がするぞ。勿論、あの女性が魔王さんへのストーキングを続けるようなら、何らかの手を打つ必要があるとは思うがな」


 樹としては英知の方針はいささか呑気過ぎるような気がしたが、すぐに思い直した。


 事の成り行きによっては刑事事件になりかねず、人一人の人生が大きく変わってしまうかも知れないのだから、あまり神経質に騒ぎ立てるのも良くない。


 今日一日だけのことなら魔王も目を瞑ってくれるだろうし、寺としても騒動はできるだけ避けたかった。


 何よりこの寺の住職は英知なのだから、その決定には従うべきだろう。


 樹はとりあえず様子を見ることにした。






 食事の後片付けは料理をしなかった者がすることになっているので、当然樹か英知、或いは二人で一緒にすることになる。


 今日は英知が片付けを買って出てくれたので、樹は開けっ放しになっていた山門を閉めに行くことにした。


 玄関で下駄を引っ掛けたところで、何気なく格安スマートフォンをチェックすると、志奈乃からメッセージが来ている。


 樹が早速メッセージを開いてみると、無機質な文字列と申し訳なさそうな顔をした熊のスタンプが目に飛び込んできた。


「真綾ちゃんは大丈夫? 蛍原君達が帰ってくるまで待ってなくてごめんね。魔王さんはこれからのことは蛍原君の言う通りにしろって。ちょっと怖いけど、みんなのことも心配だし、次はいつも通り土曜日に行くつもりだけど、いい?」


 志奈乃が自分達を心配してくれているとわかって、いい奴だなと樹は思った。


 あの思わず殴り飛ばしたくなるような自堕落さに腹が立って、ついつい何度も駄目人間呼ばわりしてしまったが、言い過ぎだったと素直に反省する。


 今謝ろうかとも思ったが、文面が少々長くなりそうであるし、こういうことは直接顔を合わせて言うべきだろう。

 

 樹は少し考えてから、志奈乃への返信を打ち込み始めた。


「真綾のことは心配ないから、気にしなくていい。あの人は魔王さんを尾けて寺を出たし、魔王さんはあの人を撒いて帰ったから大丈夫。魔王さんへのストーキングが続くかどうかはまだわからないから、とりあえず様子を見てる。土曜日は魔王さんも来てくれることになってるし、来てくれるのは有り難いけど、こんな状況だから無理はしないでくれ」


 そう書き終えると、樹は送信前に文章を読み返してみた。

 

 志奈乃も不安だろうし、魔王のおかげであの女性に危害を加えられる恐れがなくなったことを教えられたらいいのだが、そういう訳にも行かないだろう。


 魔王が人間でないことを伏せたままでは、志奈乃が納得してくれるような説明はとてもできないし、正直に話したところで信じてもらえるとは思えなかった。

 

 樹がメッセージを送信すると、志奈乃はたまたま手が空いていたらしく、すぐに返信してくる。


「了解。蛍原君も念のため気を付けてね。おやすみ」


 樹も更に返信した。


「おやすみ」






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