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碧玉寺へようこそ!  作者: 佳景(かけい)
第三章 自殺願望
23/37

―23―

 魔王は相変わらず見ているだけだったが、人手が増えると、やはり一人の時より効率が上がる。


 午前中に仏具の埃を落として本堂の床掃除をし、墓地の草むしりまで終わらせることができた。


 それはいいのだが、特に厳しいことを言うでもなく、ほとんど黙ってただそこにいるだけの魔王と違って、樹は相当に口うるさい。


 雑巾がけをすれば「気持ちが入ってねえ!」と怒鳴られ、草むしりをすれば「ダラダラ動くな!」と叱られ、志奈乃は家に帰りたくなってきたが、「魔王に対して下剋上を企む樹が、下剋上キャラの練習をしている」というBL妄想で何とか乗り切った。


 妄想の力は偉大だ。

 

 そんなこんなで昼になり、志奈乃は掃除道具を片付けると、樹と魔王と三人で庫裡に向かった。


 中に入って順に洗面所を借りてから、樹が居間の襖を開けると、中はエアコンが効いていて、適度に暖かい空気が広がる。


 机の上には英知と真綾の手によって、人数分の焼きそばや箸、湯呑み茶碗が並べられているところだった。


 先日、真綾達が寺の掃除の礼に昼食の用意を申し出てくれたので、今日の志奈乃は弁当を持って来てはいない。


 寺から給料が出ている訳ではないとはいえ、無償奉仕でない掃除の礼をされるのも罪悪感があるが、固辞するのもそれはそれで失礼というものだろう。

 

 英知は一度手を止めると、志奈乃と魔王に会釈をして言った。


「お疲れ様です」

「お疲れ様です。ご馳走になります」


 志奈乃が魔王と共に会釈を返すと、真綾が少し苦く笑って言った。


「本当にご馳走なら良かったんですけど、只の焼きそばなんかでごめんなさい」

「ううん、私麺類好きだから嬉しいよ? ありがとね」

「こちらへどうぞ」


 英知に促されるまま、志奈乃は魔王と和室の奥へ進んだ。


 魔王が窓際の一番奥に敷かれた座布団に優雅な所作で正座し、志奈乃もその隣の座布団に同じように正座する。


 程なくして卓の用意がすっかり整ったところで、英知は魔王の向かいに、樹がその隣に腰を下ろし、真綾がその斜め横の座布団に腰を落ち着けた。


 英知は手を合わせると、顔に似合わず僧侶らしい神妙な面持ちで言う。


「頂きます」


 志奈乃もきちんと手を合わせてから、右手で箸の真ん中を取り、左手を下から添えて右手を滑らすように下に添えて箸を持った。


 焼きそばは人参やピーマン、肉が入った、ごくありふれたもので、一面ソース色だ。


 麺を箸先で摘まんで口に運ぶと、ソースの濃厚な風味が口に広がる。


 不味くはないが、可もなく不可もなくといった味付けだった。


 志奈乃はきちんと焼きそばを飲み下してから、敢えて言う。


「美味しいです」

「それは良かったです。私が味付けをしたもので、あまり自信がなかったのですが……」


 英知の言葉に、志奈乃は目をぱちくりさせた。


「へえ、住職さんってお料理されるんですね」


 志奈乃がそう言うと、真綾が湯呑み茶碗を手に取りながら教えてくる。


「みんなで家事を分担してしていますから、父も一通りのことはできるんですよ。でも父は味付けはともかく、材料を細かく切るのが苦手で……私も父を手伝って半分くらい切りましたから、具の大きさがばらばらなんです」

「あー、なるほどね。言われてみれば、男の料理と女の料理のコラボレーションって感じ」


 焼きそばをよく見れば、細切りされたピーマンに混じって、大胆に乱切りされた人参が見える。


 こう大きさが違うと、大きい方は中まで火が通り切っていない可能性もあったが、志奈乃はとりあえず乱切りにされた人参を口にしてみた。


 硬いかと思いきや、きちんと柔らかい人参を咀嚼しながら何気なく魔王を見ると、魔王はやはり綺麗な箸使いで上品に焼きそばを食べている。


 この手の家庭料理がセレブの口に合うとも思えないのだが、そんな素振りを見せるでもなく、黙々と箸を進めていく辺り、上辺だけでない礼儀作法を心得た人のようだった。

 

 魔王から樹に視線を流すと、樹は丁度豚肉を口に運んでいるところで、志奈乃は少し意外に思う。


仏教に「殺生をしてはいけない」という教えがあるのは有名であるし、樹達は真面目に修行をしているようなので、てっきり肉や魚の類は一切口にしないものだと思っていたのだが。


 志奈乃は箸を動かしながら樹に問いかけた。


「ねえ、お坊さんなのにお肉食べてもいいの?」

「明治時代に『僧侶の肉食・妻帯・髪の格好は好きにしていい』っていうお触れが出てから、罰則規定はなくなったし、今時肉や魚を食わねえ坊主の方が少数派だと思うぞ。独身ならともかく、結婚とかで仏道修行してねえ人間と一緒に暮らしてると、別メニュー作るのは手間だし、こっちに合わせてもらうのも悪いしな。それに子供には成長期ってもんがあるし、野菜やきのこだけじゃなくて、バランス良く肉や魚も食っといた方がいいだろ? 俺も親父もどうしても肉や魚が食いたい訳じゃねえから、真綾が家を出たら、動物性タンパク質は摂らねえことにしようかとも思ってるけど」


 樹の話を聞きながら、食事に関する戒めを守るのは、思ったより大変なことなんだなと志奈乃は思った。


 できないということはないだろうが、毎食のことであるし、仏道修行をしていない家族がいて、尚且付き合ってくれるつもりがない場合にはどうしても負担になるだろう。


 結婚していた場合、最悪家庭内不和から離婚になるかも知れなかった。


 毎食自分の分は自分で用意するなら、特に文句も言われないだろうが。

 

 志奈乃がピーマンごと焼きそばを食べていると、今度は真綾が樹に尋ねる。


「そう言えばお兄ちゃん、『お悩み解決事業』の方は志津子さんの後、新しい依頼は来てないの?」

「ネットに人生相談が一件来てたけど、それだけだな。やっぱり知名度がねえし。まあ、気長にやるよ」


 志奈乃は焼きそばを飲み下してから口を開いた。


「ねえ、その『お悩み解決事業』ってさ、ちょっと嫌な言い方になるかも知れないけど、このお寺に人を呼びたいからやってるんだよね?」

「そうだけど、それがどうかしたか?」

「ん、余計なお世話だと思うけどさ、魔王さんに協力してもらって宣伝したりしてるのかなーと思って。こんだけネットが発達してて、その辺の人が撮った写真や呟きが何万、何十万って人に見られる時代なんだから、高い広告料なんて払わなくても、SNS使えばいくらでも宣伝できるんだし」

「そういうのは駄目だ」


 樹はにべもなくそう言った。


 副住職と言うからには、住職である英知の方が立場は上の筈だが、二人の間では既に意見の一致を見ているのか、英知は何も言わずに焼きそばを食べている。

 

 志奈乃は箸を止めて訊いた。


「何で? 蛍原君ってもしかして、美的センスおかしい人? 魔王さんって少女漫画だったら、絶対キラキラエフェクト付きで登場する超絶美形キャラだよ?」

「少女漫画なんて読んだことねえから、その喩えはよくわかんねえけど、魔王さんが現実感がないレベルの美形なのはわかるぞ」


 そうかそうか。


 君はこの人のことをそんな風に思っているのか。


 腐女子としては、男が同性の容姿を褒め千切っているのを見るだけで妄想が膨らんで、「ありがとう!」と言いたい。

 

 志奈乃はついにやけそうになる口元をどうにか引き締めて言った。


「だったら、協力してもらったら? 『世の中には自分と同じ顔した人が三人いる』なんて言うけど、魔王さんって同じ顔した人が他に二人もいるなんて絶対ないレベルの美形なんだし、SNSに写真上げたらきっと話題になるよ。このお寺で手伝いしてるってアピールしておけば、少なくとも女の人はかなり来てくれるようになるんじゃない?」


 我ながら名案だと志奈乃は思ったが、どうやら当の魔王にはその気が全くらしく、絶対零度の冷たさで言う。


「却下だ」

「駄目ですか? 今時らしいグッドアイディアだと思うんですけど」


 そう言った志奈乃を、樹が軽く睨み付けた。


「どこがだよ。ここは寺で、ホストクラブじゃねえんだぞ。顔で釣って人集めても仕方ねえし、

もし人が殺到したりしたら、ご近所さん達は勿論、魔王さんにも確実に迷惑が掛かるだろーが。ただ写真撮ったりするだけで満足な奴だけならまだいいけど、ストーカー化する奴が出たりしたら、責任取れるのか?」

「あー……ごめん、それは無理」


 この寺に人を集めることができれば、真綾も英知も喜んでくれるだろうと思ったのだが、樹の言うように、人が集まれば何らかの弊害は出るだろう。


 魔王ならストーカーが出たところで、ボディーガード同伴で対処しそうな気もするが、真綾達だけでなく、近所にも大なり小なり迷惑が掛かるのはきっと避けられない。


 一軒家と違って寺ではおいそれと移転もできないだろうし、居辛くなるような真似はしないに越したことはなかった。

 

 志奈乃はすっかり反省して平謝りする。


「私が悪かったです。考えが足りませんでした。すいませんでした」

「まあ、そこまで謝ってもらわなくてもいいけど、結局こういうことは地道に、堅実にやるのが一番なんだよ」


 そう言って、湯吞み茶碗を静かに傾ける樹に、志奈乃は尋ねる。


「ねえ、ちなみに、去年は何件くらい依頼があったの?」

「五十件くらいだな。でも依頼の三分の二はネットでの悩み相談で、残りは家の片付けとか、模様替えの手伝いが多かったけど」

「頼んできた人は実際困ってたんだろうけど、家の片付けってお寺じゃなくてむしろ便利屋さんに頼むことだよねえ?」

「まあ、確かに坊主っぽくはねえけど、俺達としては助けを求められたらできることをするだけだからなあ。流石に新幹線や飛行機使わねえと行けねえような遠方から、家の片付け頼まれた時には断ったけど」


 志奈乃はぎょっとした。


「そんなこと頼んでくる人いるの!? これって無償奉仕なんでしょ!? いくら何でも図々し過ぎでしょ!」

「今時そんなのはそう珍しくもねえぞ。それに無償奉仕って言ってもこっちは坊主だから、この間の志津子さんみてえに年配の人からお布施をもらうことは結構あるんだ。若めの人は礼だけ言っておしまいって人の方が多いけど」


 今時の若い人は僧侶にお布施を支払う意味がよくわかっていないのかも知れないと、志奈乃は思った。


 お布施を葬儀での読経料と思っている人も多そうだが、実際には違う。


 読経はあくまで無償奉仕で、依頼した側の善意によるお布施という形で金銭を支払っているのだ。


 建前としては一円も支払わなくても構わないものの、今時はすっかりビジネス化していて、それなりの額を支払うのが当たり前になってはいるが。


 いくら「無償」と言われていても、世話になったらそれ相応の額を包むのが礼儀だと思うが、きっとそういうことを教えてくれる人が減ってしまったのだろう。


 僧侶の腐敗により、人々の心が寺から離れてしまったせいもあるのだろうが。


「蛍原君はそんなんでいいの? 何だか人に都合良く使われてるだけみたいな気がするけど」

「向こうがこっちをどう思ってるか知らねえけど、別に見返りが欲しくてやってる訳じゃねえからなあ。助かる人がいるなら、それでいいだろ。人生相談されたところで、結局本人じゃないと解決できねえことも多いしな」

「まあ、確かに心の問題ってアドバイスはできるけど、結局本人が自分で悩みを解決しようとしないと、どうにもならなかったりするしねえ」


 だからこそ、樹と魔王は自分をここに呼んだのだろう。


 志奈乃はいつの間にか止まったままだった箸を動かして、再び焼きそばを食べ始めた。






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