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碧玉寺へようこそ!  作者: 佳景(かけい)
第一章 招来
1/37

―1―

この物語には真言宗で行われている儀式が出てきます。

本で調べた上で書きましたが、演出の都合で意図的にカットしているところもありますし、調べてもよくわからなくて推測で書いているところもあるので、間違いもあると思います。

元々お寺に詳しい訳ではないので、儀式以外にも間違いがある可能性があります。

どうぞご了承下さい。

蛍原樹ほとはらたつき碧玉寺へきぎょくじという小さな寺の副住職を務めている。


一口に寺と言っても、檀家からのお布施や護持会費で運営される檀家寺、僧侶の修行の場である修行寺、観光客が多く訪れるために拝観料で運営される観光寺などに分けられるが、碧玉寺は檀家寺だ。


寺は宗教法人で、その収入から毎月決まった額が住職達に支給されることになっているものの、檀家の少ない碧玉寺のような寺では、とても寺としての収入だけでは食べて行けない。


必然的に副業をせざるを得なくなり、市役所の職員をしていたりする兼業僧侶ではあるが、それでも樹は立派な法力僧だった。


法力僧などそう珍しくもなかった時代は遠い昔に過ぎ去り、宗教が力を失っていく中で人々の信心が薄れたせいか、今や法力僧は天然記念物並みに少なくなってしまっているが。


そんな時代に、たまたま樹は強い法力を操る力を持って生まれ付いた。


そして多少法力を使えた父・英知に才を見出され、小学校を卒業後、修行のために家を離れて余所の寺で修行を積み、当代随一の法力僧となってこの碧玉寺に帰って来たのだ。

 

それから、早数年。


樹は毎日、仏をこの現世に招来する方法を探ってきた。


類稀な法力を持つ者は仏の力を借り受けるだけでなく、仏そのものを招来することすら叶うらしいと師匠から聞いたのだ。


真言宗では護摩を焚く時などに様々な仏を招来することになってはいるものの、勿論仏が明確な姿形を持って現れることはないが、真の招来においては仏が実体を持って顕現するのだという。


招来された仏は人間と契約を交わし、願いを一つだけ聞き入れてくれるという話だった。


昔話のようなものだと師匠は言っていたが、仏の力を使うことができる以上、仏は存在していて、それなら本当に仏の招来もできるかも知れない。


願いを叶えてくれるというのもかなり魅力的な話だったが、それ以上に仏と触れ合ってみたいという思いの方が強かったのは、仏と感応する宗教体験を重視する真言宗の寺に生まれたからだろう。


師匠も仏を招来する具体的な方法は知らないという話だったので、全く何もわからないところから手探りで方法を探っていくことになったが、基本的な要領は法力を使う時と同じだろうという見当は付き、自分なりにあれこれ試し続ける内にかなりの手応えを感じるようになった。


法力を発現させる時に浄土と現世に生じる繋がりを、一瞬だけでなく繋げたままにしておけるようになったのだ。


言ってみれば、浄土に通じる扉を開いた状態である訳で、ここまで来たら後は仏本体を現世に呼び込むだけだった。


なかなか上手くは行かなかったが、今日は朝から気力体力がとても充実していて、滅多にない程調子がいいことに加えて、仕事が休みだったので、早速朝から碧玉寺の本尊である大日如来の招来を行うことにしたのだ。


それ程広くない本堂――その中央部に設えられた朱塗りの須弥壇しゅみだんの上で、豪奢な宝冠や瓔珞ようらくに飾られた大日如来だいにちにょらい像は、端正な面差しに穏やかな表情を湛えていた。


大日如来には金剛界こんごうかい大日如来と胎蔵界たいぞうかい大日如来の二種類があるが、この寺の本尊は金剛界大日如来なので、その手は智拳印ちけんいんと言われる、四本指を握り込んだ左手の人差し指を右手で包み込む印を組んでいる。


その金剛界大日如来像の右手には、大日如来の本質である智慧と慈悲が救いの働きとなる様を表した胎蔵界曼荼羅まんだらが、左手には大日如来の悟りの世界を表す金剛界曼荼羅が壁にかけられていた。


本尊の向かって左手には輪菊を活けた花立、中央には香炉、右手には蝋燭の炎が揺らめく灯立の他、菓子や飯食茶湯などが献じられている。


それらの前には、純白の布が敷かれた大壇があり、その四隅には金剛橛こんごうけつと呼ばれる杭が立てられて、結界となる縄が四方に張られていた。


大壇の中央には舎利しゃり塔が置かれ、それを五股鈴、宝珠鈴、独股鈴、三股鈴の四つの鈴が囲んでいる。


舎利塔の後ろと大壇の四隅にある花立にはそれぞれ白・青・黄・赤・黒の花が活けられていた。他にも仏前に供えられる水である閼伽あか、身を清めるための塗香ずこう、灯明、金剛杵こんごうしょといった様々な物が、大壇の縁に沿うようにして並べられている。


そして左の脇机には道場や行者を清める香水を入れた灑水器しゃすいや、その水を注ぐために使う散杖さんじょうと呼ばれる木の棒などがあった。


あまり春らしくない冷たい空気の中、樹は左腕に母の形見の念珠ねんじゅ――真言宗では数珠のことをこう呼ぶ――の微かな重みを感じながら、本堂の大壇の前で幾度も印を組み替え、ただひたすら真言を唱えている。


身に纏うのは直綴じきとつ白衣はくえ割截かっせつ五条袈裟ごじょうげさという正装だ。


坊主頭はどうしても目立つので、副業を持っている僧侶の中には剃髪しない者もいると聞くが、樹は公務員である前に僧侶であることを忘れないためにも、きちんと頭を丸めていた。


顔立ちは悪くない方だと自分では思っているが、得度――僧侶となるための出家の儀式だ――を受けて剃髪して以降、特にモテた記憶はない。


今年で二十五になるものの、がっちりとした体格のせいで妙な貫禄が出ているらしく、大概実年齢より老けて見られた。


だが、それでも英知よりはマシだろう。


体格の良さと坊主頭に加えて眼光が鋭い英知は、その筋の人と誤解され易いらしく、洋服姿で歩いているとよく見知らぬ人に逃げられていたりする。


既にこの世を去った母は、よくこの父と結婚する気になったものだと思わずにはいられなかった。


人柄はともかくとして、英知の顔は実の息子でも十分怖い。


だが、中身はしっかり僧侶で、樹の背後で頻りに光明真言を唱え続けていた。


英知の声を聞きながら印を組み、真言を唱え続ける樹は、次第に心が研ぎ澄まされていくのを感じる。


大日如来が顕現する姿を強くイメージしながら真言を唱え終わった瞬間、樹はふと今まで扱ったことがない程大きな力が全身を駆け抜けたのを感じた。


できたと直感すると同時に、喜ぶ間もなく凄まじいまでの疲労感に襲われ、思わず体勢を崩して壇に手を付く。


ぜいぜいと肩で大きく息をしながら、樹がふと顔を上げると、宙に見知らぬ若い男が浮かんでいるのが目に入った。


年は二十代半ば程だろう。


腰よりも長く艷やかで癖のない髪は、これまでに見たどんな黒より美しく、華やかとしか言いようがない漆黒。


爬虫類のように細い瞳孔だけでなく、虹彩まで黒い瞳も髪と同じ色だった。


ほとんど色素の混じらない白い肌に、冷たさを湛えた彫りの深い顔立ち。


如来は釈迦の姿をモデルにしているので、インド人風の姿をイメージしていたのだが、現れた男はどう見ても白人にしか見えなかった。


その面差しは女性的な脆さを感じさせない雄々しさと、目を奪われずにはいられない艶やかさに彩られていて、一目でこの世のものではないとわかる美しさだ。


一八〇センチメートルを超えているであろう長身を包むのは、銀と青い石で美しく飾られた、床に引き摺る程裾の長い黒衣。


ただそこにいるだけで平伏せずにはいられないような、恐ろしいまでの力と威厳を持ち、悠然と虚空に佇む男のその背中には、蝙蝠さながらの大きな羽があった。


これは大日如来と言うより、悪魔だろう。






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