終章 十字架(VOL.4)
鏡という文字は、綾乃が言ったアフターサービスと関連している。綾乃は、敏夫の態度如何によっては、アフターサービスを行わなかったに違いない。
綾乃のアフターサービス。それは、茂樹の死。
敏夫は、そのことを確信して疑わなかった。
もし敏夫が、茂樹のことを放置して、早苗一人に押し付けておくようなら、綾乃はなにもしなかったに違いない。
その時は、二人揃って不幸になるだけだ。
早苗は茂樹に潰され、自分は罪の意識に潰される。
それならそれでいいと思っていたのだろう。しかし、そうならないことは、綾乃が一番よく知っていた。
だから、早苗に「不」と「遥」の文字を渡した。自分が見るのをわかっていて。
「揺らぐべからず」
あの時感じたように、やはりこれは、自分にも当てられた言葉だったのだ。
自分が取った行いに対する結果。
早苗を守るために、茂樹を撃退した。早苗を守るためなら、とことんやろうと思った。しかし、自分に人は殺せない。放っておいたら、早苗を殺しかねないとわかっていても、自分には人を殺すなんてできない。
綾乃さんが、代わりにやってくれた。
「鏡」
実態のある自分の心を映して、実態のない、自分の魂が茂樹を殺した。
綾乃は「鏡」の意味を、敏夫が理解することをわかっていた。
だから、早苗に「不」と「遥」というメッセージを託した。
どんなに人間の屑だとはいえ、人を殺していいわけがない。たとえ、直接手を下していなくても、茂樹は自分が殺したも同然だ。
それに気付いて、心の底から恐怖が湧いたとき、「矜」この文字が思い出された。
誇りを持て。
裏に追記された「守」。
誇りをもって守れ。
「不」と「遥」の文字が、それにも関連する。
「後悔するな」
綾乃は、そう言っている。
浩太や由香里、それに里美を守るためだったら、自分は死ぬことを厭わない。相手を殺すことも、多分、躊躇わない。
大切な人を守るためなら、どんなことでもする。
そして、そうなった時、自分は決して後悔しないだろう。
早苗も、敏夫にとっては、家族と同じくらいに大切な人だ。
まったく、大したおまけだ。
わざわざおまけのカードを渡されなければ、自分はこんなことを考えずによかったのかもしれない。いや、アフターサービスという言葉を聞いていたので、やはり、同じことを考えていた可能性は高い。
すると、綾乃さんは、自分の心の負担を減らすために、カードをくれたのか?
だったら、なぜ、俺にアフターサービスのことを言ったのか?
そうだ、清水さん。
アフターサービスのことを聞かず、おまけのカードも貰っていなかったら、茂樹の死は、すべて早苗一人に負担がかかっていたはずだ。
自分は、ただ軽い気持ちで慰めていただけだろう。
そこまで見越して、綾乃は自分にすべてを投げた。これが、自分が変われたことへの代償なのだ。
いいさ、十字架を背負うさ。
「揺らぐべからず」
綾乃の最後のメッセージを胸に、十字架を背負いながら、強く生きてやる。
「そうした方がいい。あんな男のことで、あなたの人生を狂わせることはない」
ただの慰めではない。十字架を背負った男の言葉は重かった。
敏夫の言葉は、早苗の心に強く響いた。
「はい」
早苗が、素直に頷く。
茂樹の実家は、東京ではあるが郊外に位置していた。
二人は、暗い夜道を駅へと向かっていた。その途中に、高台となっている場所があり、今二人は、そこに佇んで話をしていた。
郊外とはいえ、珍しく多くの星が瞬いている。
この星々は、二人の門出を祝ってくれているのだろうか。そう思って、敏夫は夜空を見上げた。釣られて、早苗も見上げる。
「お幸せに」
星空を見上げる二人の耳に、綾乃の声が聞こえた。
二人は顔を見合わせた。敏夫が頷くと、早苗も頷き返す。
そら耳ではない。
どこかで、綾乃さんが見守ってくれているのだ。
そういえば。
アフターサービスのことは、早苗に話しそびれたままになっている。
話してなくてよかった。
このことは一生、自分の胸に収まっておこう。そう思い、敏夫は再び星空を見上げた。
早苗も遠い眼をして、星空を見上げている。
輝く星を背景に、一条の光が、高速で流れていった。




