第10章 団結(VOL.4)
早苗の引っ越しから数日は、何事もなく過ぎた。
が、ついにその日がやってきた。茂樹が会社へ現れたのだ。
幸運なことに、敏夫は会社におり、早苗は外出中だった。
連絡するまでは会社に帰ってくるなと、内村に早苗への連絡を頼み、敏夫が応対に出た。
「ここに、早苗がいるだろう」
挨拶もせず、いきなり茂樹が切り出した。眼が血走っている。
「早苗?」
「とぼけるな、清水早苗だよ。早く出せよ」
「ああ、清水さんか」
こいつが、最低野郎の元カレか。
敏夫が、さりげなく茂樹を観察する。
確かに、顔立ちはいい。しかし、どことなく品のない顔をしているし、全身から粗暴な雰囲気を醸し出している。
清水さんも、よくこんなのを選んだな。
今の早苗なら、絶対に選ばないだろうというような、顔だけが取り柄の男だった。
「あなたは、清水さんと、どういった関係がおありなんですか?」
敏夫が、落ち着いた声で尋ねる。
「んなことはどうだっていいだろ。早く、早苗を出せよ」
顔とは反対に、頭はまるっきしいけてないな。
敏夫は、苦笑したいのを必死で堪え、あくまでも慇懃に対応する。
「そういうわけにはまいりません。どのような関係かもわからない人に、社員のことをお教えすることはできませんので」
「彼氏だよ、彼氏」
そのくらいのことがわからないのかといった口調で、茂樹が苛立たしげに答える。
「清水さんの彼氏?」
「そうだよ。わかったら、早く早苗を出せよ」
茂樹の眼は血走り、今にも敏夫の胸倉を掴みかからんばかりの勢いで、声を荒げた。
「生憎ですが、清水さんはおりません」
敏夫が、さもすまないという表情で答えた。
「嘘をつくんじゃねえよ。いるんだろ、ここによ。ごちゃごちゃ言ってねえで、早く出せよ」
今度は、本当に敏夫の胸倉を掴んだ。
「乱暴な人だな、警察を呼びますよ」
胸倉を掴まれても、敏夫は落ち着いていた。
心配して後ろに控えていた小川が、落ち着いた様子で携帯を取り出す。
「待てよ。俺は、なにもしてねえだろ」
それを見た茂樹が、慌てて手を離した。番号をプッシュしようとする小川を敏夫が手で制して、じっと茂樹の目を見つめる。
敏夫の迫力に圧倒されたのか、茂樹が一歩後ずさった。
「なあ、頼むから、早苗を出してくれよ」
今度は哀願か。
声も情けないが、性根も情けない。
聞きしに勝る屑野郎だな。これ以上、こいつの面を見ていると反吐がでそうだ。
そう思った敏夫は、平然とした顔つきで嘘をついた。
「清水さんなら、先週退職しました」
「早苗が退職?」
茂樹は、大切なおもちゃを失くしてしまった子供のように、一瞬途方に暮れた顔をした。
「嘘だろ」
茂樹が、社内中に渡るほどの大声で怒鳴った。
「俺は、そんなこと一言も聞いちゃいねえぞ。ついこの間まで、出世するために頑張ってたんだ。俺のためにな。そんな早苗が、俺に黙って辞めるわけねえだろ」
どこまでも、おめでたい奴だ。
敏夫は心の中でせせら笑いながら、真面目な顔を取り繕って、乾いた声できっぱりと告げた。
「嘘ではありません」
「おまえら、早苗をクビにしたな」
逆上した茂樹が、またもや敏夫の胸倉を掴む。
「人聞きの悪いことを言わないでください。清水さんは我が社にとって、とても将来を嘱望されていた人です。そんな人を、解雇するわけがないでしょう。こっちだって、全力で引き止めたんだ」
敏夫は、わざとムッとした顔を繕った。
「じゃあ、なんで辞めたんだよ。それに、どこへ引っ越したんだ。教えろよ」
茂樹が、掴んだ敏夫の胸倉を揺する。
敏夫の首が、がくがくと揺れた。




