第9章 転機(VOL.2)
「不思議だな。あんなに駄目だった俺が、部長になるなんて」
感慨深げに、敏夫が言った。
今宵は早苗と二人で、ささやかな昇進祝いをしている。
「そうですね」
早苗が素直に頷き、それからにっこりと笑った。
「でも、それも、杉田さんが努力した結果ですよ。当然の報いです。報いは、良いほうにも悪いほうにもやってくるんです」
「そうだな。清水さんの言う通りだ。ここはひとつ、自信を持つとするか」
敏夫も、釣られて笑顔になる。
「そうですよ。杉田さんは、もっと自信を持っていいんです」
「でも、最初の俺みたいに、根拠のない自信は持っちゃ駄目だけどな」
「そうですよね。あれは、いただけませんね」
二人が、声を出して笑った。
「わたしも、まさか課長になれるなんて思ってませんでした。ありがとうございます」
深々と頭を下げる早苗に、「俺は、なにもしてないよ」と敏夫が手を振った。
「社長から聞きました。杉田さんがわたしを推してくれたんだって。それが、部長を引き受ける条件だったって」
「それこそ、当然の報いだろ。俺は、清水さんが課長になって俺を支えてくれたら、凄く心強いんだ。だから、部長を引き受けるには、あなたに課長になってもらうしかない。そう思って、社長に条件を出しただけなんだよ」
「杉田さんにそう言ってもらうと嬉しい。わたし、頑張ります。全力を尽くして、杉田さんをサポートします。突き上げも」
「お手柔らかに」
二人が、また笑い合った。
細野と水越の穴を埋めるため、新しく二人の社員を雇い入れた。二人とも、転職組である。
一人はまだ二十代と若く、もう一人は四十を過ぎた、敏夫と同じような境遇の人間だった。
敏夫と早苗は面接官として、十数人の希望者を面接した。その中から選んだ二人である。
内村という若い社員は、応募してきた中でもダントツに生きがよかった。元は訪問セールスの販売をしており、若いながら、営業にかけてはそれなりの修羅場を潜っていた。
これならば即戦力として申し分ないと、敏夫と早苗の意見が一致し、迷わず採用を決めた。
悩んだのは、もう一人である。内村ほど生きのいい人材がおらず、最終的に三人に候補を絞ったものの、どれも似たりよったりで、誰にするか決めかねた。
その中から、小川という風采のあがらない男を選んだのは、敏夫だった。
敏夫は、小川の中に、転職活動をしている頃の自分を見た。だからといって、小川に同情したわけではない。
自分を変えたい。
面接のときに、小川からその言葉を聞いた。態度からも、その想いがひしひしと伝わってきた。
綾乃に近づけるかどうかはわからないが、自分が手助けをすれば化けるのではないか。そう思って、敏夫は採用を決めたのである。
早苗も反対はしなかった。どうやら、敏夫と重ね合わせていたようだ。
内村は早苗が、小川は敏夫が、面倒を見ることにした。
早苗は、初めて人の面倒を見る。
最初は緊張してぎこちなかった。だが、徐々に慣れてきて、一週間も経つとうまく付き合えるようになっていた。
早苗の実力と姉御肌が相まって、内村はみるみる早苗に傾倒していった。
敏夫も、前の会社では多くの部下の面倒を見てきたが、育てるという意識で接するのは、これが初めてだった。
あの頃は育てていたつもりだったが、今思うと、そうではなかった。部下の気持ちなど忖度せず、自分の考えを押し付け、自分の手足となるロボットを作り上げようとしていただけだった。
今の敏夫は違う。小川がなにを考え、なにを求めているか。常にそのことを念頭に置き、時には自分で考えさせ、時には噛んで含めるように諭し、時には失敗をさせて、粘り強く育てていった。
こちらも内村と同様、敏夫のことを尊敬していき、今では師とさえ仰いでいる。そうなるまで、わずか二週間足らずだった。
今、敏夫の会社は、敏夫が入社した時と比べると、劇的に変わった。
変えたのは、敏夫と早苗の二人だ。二人が原動力となって、会社が生まれ変わった。
妻の里美とも順調にいっている。
浩太と由香里とも、徐々にではあるが、敏夫に心を開いている。いや、既に開いているのだが、長年あまり喋らずにきたので、気恥しさがあって、打ち解けきれていないだけだ。
が、それも直ぐに解消されるだろう。
こんな日が来るとは、夢にも思わなかった。生きててよかった。
今が、人生で一番最高だ。
敏夫は、転職前後の事を思い出しながら、しみじみとそう思っていた。




