第8章 浩太と由香里(VOL.1)
敏夫が家に帰ると、リビングで里美が厳しい顔をして、浩太と向かいあっていた。
「あなた」
敏夫が入るなり、里美が困ったような眼を向けてくる。
「なにかあったのか?」
里美と浩太を見比べながら、敏夫が尋ねる。
「今日、進路が決まっていないのは浩太だけだって、担任の先生から連絡があってね。それで、明後日先生がうちにみえられるそうよ。親と話がしたいんだって」
「そうか」
里美の言葉に、事もなげに敏夫が答えた。
小言のひとつも言われるだろうと身構えていた浩太が、えっというような顔をして、口をぽかんと開けた。
「そうかって、簡単に言わないで」
無責任なことを言うなといわんばかりにため息をついた里美が、次の敏夫の言葉に驚かされた。
「俺も、一緒にいようか」
浩太は里美以上に驚き、固まってしまった。
馬鹿親父が、なにか偉そうなことを言おうものなら加勢に入ろうと思って、ドアの向こうで耳をそば立てていた由香里の顔にも、信じられないという驚きが張り付いている。
「いいの、そんなことをして? 会社はどうするの?」
敏夫はこれまで、こんなことを言ったことはない。子供のことは、すべて里美に押し付けてきたのだ。
最近の敏夫が変わったとはいっても、里美は、ここまで変わっていたとは思わなかった。
「一日くらいなんとかなるだろう。なあに、いざとなれば風邪をひいたってことにすればいいさ。それより、そんな大事な話を、おまえひとりに押し付けるわけにはいかんだろう。一応、俺も親だからな。かまやしないさ、俺も一緒に話を聞くよ」
「ありがとう」
里美が頭を下げる。
「父さん」
これまで、親父としか呼ばなかった浩太の口ぶりが変わった。
敏夫が浩太に眼を向ける。
「浩太、お前はどうしたい?」
敏夫が、優しい声で尋ねた。
「お、俺、俺は……」
口ごもる浩太を、「ハハハ」と敏夫が豪快に笑って止めた。
「いいんだ。直ぐに答えを出さなくたって。どだい、今から自分の将来を決めろなんて、無茶な話なんだよ」
「あなた」
「父さん」
里美と浩太が口々に言い、敏夫の顔を見た。
「今から苦労したって、社会で苦労しないとは限らないさ。同じ苦労するのだったら、社会に出てからでも遅くはない。浩太、おまえは、今のうちにやりたいことを見つけるんだ。いいな」
「うん」
浩太が恥ずかしそうに返事してから、逃げるように出ていった。
「一体、どうしちゃったのかな、あのクソ親父」
二階へ上がる浩太に付いてゆきながら、由香里が小声で話しかけてきた。
「わかんない。とにかく、俺、びっくりしちゃって、なにも考えられないよ」
それだけ言うのがやっとで、浩太は混乱した頭のまま、自分の部屋へ閉じこもってしまった。
由香里の頭も混乱していた。
あのクソ親父が、なんで?
声だけしか聞いていないが、機嫌を取るような言い方ではなかった。かといって、どうでもいいような、そんな投げやりな口調でもない。
威厳に満ちていて、でも優しい。父親のこんな声を聞くのは、由香里にとって初めてのことだ。浩太もそうだろう。
「一体、どうしちゃったのかな、あのクソ親父」
由香里は、もう一度呟いた。その口元が、心なしか綻んでいる。




