第7章 二人のポイント(VOL.4)
「人間は後悔する生き物だって、誰かがおっしゃってました。後悔からはなにも生まれない。確かに、そうなんでしょうけど、なかなか割り切れないものなんですね」
綾乃のタッチが、ますます優しくなっていく。
「俺も、昔はそうだったさ。でも、そんな俺を変えてくれたのは、綾乃さん、あなただ」
「そう言っていただけると、嬉しいですね。でも、それは違いますよ。杉田さまが変われたのは、すべてご自身で努力なさったお結果です。わたくしは少しだけ、そのお手伝いをさせていただいただけです」
「そんなことはないよ。綾乃さんが俺の前に現れてくれなかったら、今頃俺は、どうなっていたことやら」
「はい、今日は、これでお終いです」
敏夫の言葉に応えることなく、綾乃が施術を打ち切った。
「またか。綾乃さんは肝心なところにくると、いつも終わっちゃうんだよな」
敏夫がぼやく。
「ふふ」
妖しい笑いを残して、綾乃が出ていった。
「ありがとう」
着替え終えて、施術室を出てきた敏夫にポイントカードが返された。
今日は、どんな文字が刻まれているのか?
期待に胸を弾ませて、カードを見た。
「情」
三っ目の枠には、そう書かれてあった。
情、か。
敏夫が、心の中で呟く。
「ありがとう」
後でゆっくりと考えようと思い、書かれている文字の意味を尋ねようともせず、敏夫が礼を言った。
「どういたしまして」
綾乃が丁寧にお辞儀する。
「今日も、お金は受け取らないんだろうね」
無駄だとは思ったが、一応、訊いてみた。
「お代は、いただきました」
「なにを? と訊いても、答えてくれないんだろうな」
「ふふ」
「いつもありがとう」
この笑いをもっと聞きたい。未練を残しつつ、店を去るべく礼を述べた。
「どういたしまして」
綾乃が頭を下げる。
「とこでろで、綾乃さん」
ドアノブに手を掛けた敏夫が、振り向く。
「清水さんは、大丈夫だろうか?」
訊いた敏夫の口調も顔も、心からの心配が表れている。
「あの方なら大丈夫です」
にこやかに、しかし断定するような口調で綾乃が答えた。
「でも彼女は、俺と違って、やっかいな問題を抱えてるんですよ。自分だけでは解決しない問題をね」
「当店のアフターサービスは万全ですの」
綾乃が、ぞっとするような笑みを浮かべた。
その笑みを見て、敏夫の心が凍りついた。なにか、見てはいけないものを見てしまったような気がした。
一方、綾乃の口調が頼もしくも感じられた。
「この店に、アフターサービスなんてあったの?」
わざと、明るい口調で訊いてみる。
「ごく稀に」
もう、綾乃の顔からは、凍りつくような笑みは消えていた。
敏夫はそれ以上訊こうとはせず、「お願いします」深々と頭を下げて辞去した。
「情、か」
店を出て直ぐに、敏夫が呟いた。
情。
友情、愛情、心情、情愛、感情、非情、人情、温情。
情にもいろいろある。
敏夫は、情がつく単語を、頭の中で思いつく限り考えてみた。しかし、どれもしっくりこない。
綾乃が差しているのは、子供達のことだろうと思われる。そうなると、愛情や情愛、感情なんかが、なにかそれっぽそうだが、どうも違うような気がするのだ。
綾乃さんのヒントは、いつも難しい。
敏夫がため息をつく。
だが、気付いてみると簡単なのだ。難しいと思うのは、自分にそのことがわかっていないからだ。
綾乃は、その抜けている大事なものを教えようとしてくれているのだった。
それが、今の敏夫には、充分過ぎるほどわかっている。
焦るな。
そう言い聞かせた。
「情、情」
家路へ向かう敏夫の呟きが、玄関の前に着いたとき、「浩太、由香里」子供の名前に変わっていた。




