第1章 敏夫(VOL.3)
大手に勤めているとわからないが、小さな会社は過酷だ。
日本の企業の九十九%以上を、中小・零細企業が占めている。そのほとんどが過酷な状況で仕事をしている。大手も過酷だろうが、本当に過酷な人はごくわずかで、大多数の人は中小・零細の社員から言わせれば、ぬるま湯に浸かっているに等しい。
大手であれば、一人くらい手を抜いていてもさほど全体に影響しないが、社員数の少ない会社では、一人が手を抜くと、仕事に影響するし、自分の給料は自分で稼ぐという意識がなければ通用しない。
会社にさえ出ていれば給料が貰えるという感覚でいると、とんでもないことになる。
それに、四十も過ぎると、学歴や前職はなんの意味もなさなくなる。よほど特殊な技能を有していない限り、四十過ぎのおっさんに満足のいくような就職口はない。
人は、自分の身の丈に合った生活をするべきなのだが、なぜだろう、職を失っても、今の生活をおいそれと捨て切れない人が多いようだ。
その証拠に、職を求めてハローワークに来ているというのに、高級車に乗ってきたりする。職がないのだったら、車を手放すか、せめて軽に買い換えるくらいすればいいのに。
確かに、生活レベルを下げるのは辛いし、勇気のいることだと思う。しかし、そうしなければ、もっと苦しくなるばかりだ。見栄や世間体などを気にしている場合ではない。頭ではわかっているのだろうが、実際に踏み切る勇気を持てないのだろう。
だから転職をする場合、それが障害になることは明らかなのに、今の生活を維持するために、それなりの報酬を求めようとする。加えて、自分がやってきた事にしがみつきたい気持ちもある。
敏夫も例外ではなかった。高を括っていた敏夫は、再就職支援会社のエージェントの忠告も聞かず、今の生活を維持できるだけの給料を望んだ。
敏夫は、世間というものをわかっていなかった。
自分では、今の生活が情けないほどぎりぎりだと思っていたのだが、それでも年収は八百万ほどあった。もっと早くに、そう、バブルが弾けたときに生活を改善していれば、退職などしなくて済んだのだ。 いや、いくらバブルのときでも、三十歳で八千万という家は高すぎた。
ともあれ敏夫は、自分ほどの経歴を持っていれば、小さな会社はどこも喜んで迎えてくれるだろうと思っていた。
しかし、その当ては見事にはずれた。敏夫の望んだ条件では、どこも相手にしてくれなかった。応募した会社には、ことごとく書類選考で撥ねられ、面接に漕ぎつけることすらできなかった。
幾つもの会社に断られるうちに、敏夫の気持ちに変化が生じてきた。
最初は、驕り。
小さな会社の経営者なんて、俺の経歴にびびっちまって、使いこなす自身がないんだろう。
次に、憤り。
なんで、俺みたいな優秀な社員を雇わないんだ。小さな会社の経営者なんて、所詮、人を見る目がないんだ。だから、いつまでたっても大きくなれないんだ。
その憤懣を、エージェントに何度もぶつけた。その度に、エージェントは根気よく敏夫に言って聞かせた。
どんな会社に勤めていても、四十を過ぎると転職が難しいこと。本当にできる人間は、独立するか、辞める前に自らのコネを使って就職先を見つけていること。どんな会社に勤めていようが、引き抜きではない限り給料は下がること。それなりの給料がほしいのだったら、入社してから頑張って実績を積み重ね、自分の力で給料を上げるしかないこと。
そんな話を幾度も聞かされ、また応募に落ちるうちに、いつしか敏夫は、自分がちっぽけで無能であるかのように思えてきた。
初めて、焦りが生まれた。
このままだとやばい。失業給付金もいつまでも貰えるわけではない。失業給付金が切れるまでに、なんとか職を見つけなくては。
それから、絶望。
もう、自分はどこにも就職できないのではないだろうか。
そして、後悔。
最初から、条件を低くしておけばよかった。もっと早く、エージェントの言うことを素直に聞いていればよかった。
敏夫の気持ちはどん底に落ちた。
最後に、開き直った。
ここまできたら、どんな会社でもいい。このままだと、家庭は崩壊し、自分はホームレスになってしまう。
そうしてなんとか、今の会社に潜り込めたのである。
転職で充分世間の厳しさを知ったつもりの敏夫であったが、転職してさらに、世間の厳しい風当たりに晒されることになる。