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第5章 幻の人(VOL.9)

 杉田が頷くと、早苗が堰を切ったように、心情を吐露しだした。

「杉田さんのおっしゃるように、わたしは、これまで男の人の嫌なところを沢山見てきました。わたしが繊細かどうかは別にして、自分が傷つくのを恐れていたのは事実だと思います。ただ、自分ではそう思いたくなかったので、自分は強い人間だと言い聞かせてきたんだと思います。杉田さんに言われて気付きました」

「…」

 敏夫は口を挟まず、黙って早苗の言葉を聞いている。

「綾乃さんの言いたかったことは、これなんですよね。自分と向き合い、そして、真実の自分を見つめて、受け入れる。他人から言われても辛いのに、まして、自分から自分を否定することなんて、どんなに辛いことか。でも、杉田さんはそれを成し遂げた。わたしも、やります。どんなに辛くても頑張ります。わたしも、本気で変わりたい」

 早苗の強い決意のこもった眼差しを受け止めて、敏夫が静かに頷いた。

「ごめんなさい。そして、ありがとうございます。自分と向き合うのは辛い。気が狂いそうになる。でも、本当に自分を変えたいのだったら、そうすべきだ。そうしなければ、すべてを失うことになる。わたし、杉田さんの言ったことを胸に刻み込んでおきます」

 早苗が、両手をしっかりと胸に当てた。

 ここまで俺を買い被ってくれるなんて、これは相当なプレッシャーだな。

 敏夫はそう思ったが、しかしなぜか、そのプレッシャーが心地よかった。

 敏夫が微笑みながら、静かに口を開く。

「俺は、そんなに立派なものじゃないよ。まだまだ悩みは尽きないさ。でも、頑張ろう。お互い、これを乗り越えて、幸せになろうじゃないか」

「もちろんです」

 屈託のない笑顔で、早苗が応える。

「偉そうに言っちゃいましたけど、わたし、杉田さんがいるから、杉田さんと同じ体験をしているから、耐えれるんだと思います」

 そう言って、早苗が舌をだした。

「俺もさ。清水さんが綾乃さんに会ったと聞いて、同志が出来たような気がして、これまで以上に頑張れるような気がしてきたよ」

「そう言ってもらうと、嬉しい」

 またも早苗が、屈託のない笑みを浮かべた。

「綾乃さんは、これも見越していたんじゃないかな」

「そうかもしれませんね。本当に、不思議な人」

 二人は顔を見合わせて、微笑み合った。

 杉田さんに相談してよかった。

 あれ以来、早苗の心は軽くなっていた。自分と向き合う勇気が持てた。

 まずは、膿を出し切ろうと思った。

 自分の嫌なとこはろどこか?

 自分のいけないところはどこか?

 自分のいたらないところは? 

 弱さは? 

 人から見て、自分はどう見えるのか?

 来る日も来る日も、早苗は考え続けた。

 時には、眼を背けたいこともあった。悪夢にうなされて目覚めると、冷たい汗で全身がびっしょりと濡れているときもあった。ふさぎ込み、無気力になることも。

 それでも考えることを止めなかった。

 会社では、何事もないように振る舞う努力もした。

「変わりたい」

 その想いが、早苗を突き動かしている。

 辛いときには、敏夫の顔を思い浮かべる。それに、綾乃の顔も。

 そうして勇気をもらい、また、自己分析を始める。

 考え始めて何日か経った頃、早苗の心境に変化が訪れた。

 細かいことはどうでもいい。わたしのいけないところは、杉田さんが指摘してくれた。わたしは弱い。 杉田さんはそうは言わなかったが、繊細ということは、裏を返せばそういうことになる。わたしは、誰かに甘えたい。わたしは、誰かに頼りたい。そして、わたしは脆い。だから、自分が傷つくのを恐れて、鎧を身に纏い虚勢を張っていた。茂樹みたいな男を選んだのも、自分が強いと思いたかったから。優越感を持ちたかったから。

 それらのすべてが、実にストンと早苗の腑に落ち、素直に受け入れることができた。

 弱さを隠すのは強さじゃない。真に強い人というのは、自分の弱さをさらけ出す。しかし、本当に弱い部分は見せない。人知れず反省し、そして克服する。

 杉田さんもそうだ。しようもないプライドを持っていたときは弱い人だった。それをプライドで覆い隠そうとしていたのだ。でも今は、平気で自分の弱さを語ってくる。それが、まったく愚痴に聞こえないし、聞いていて嫌とも思わない。嫌悪するどころか、凄いと思える。これが、強さなのだ。傍によい教師がいる。杉田さんのことをもっとよく観察して、自分がどうやっていけばよいのか学んでいけばよい。そして、自分流に取り込んでいこう。

 今までは、単に凄いという眼でしか見ていなかったが、これからは違う眼で見てみよう。そして、わからないところはどんどんと訊いていこう。

 そう思った。

 こう言っては失礼だが、あれだけ具合の悪かった杉田さんでさえ、あんなに変われたのだ。自分に変われないわけはない。

 そう思えたとき、自分が変われるような気がした。その時すでに変わってきていることには、早苗自身は気付いていない。


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