第4章 早苗(VOL.3)
それから、三ヶ月の月日が流れた。
敏夫は頑張った。
徐々に成績を上げていっても驕ることなく、早苗にはいろいろと教えを乞い、その知識を貪欲に吸収していった。他の社員とも友好関係を築くべく努力し、取引先からも信頼を寄せられるようになった。
クビになりたくないばかりに、ああまで態度を変えるなんてみっともないと、最初は陰口を叩いていた社員も、敏夫が成果を上げるにつれおとなしくなり、今では敏夫に教えを乞うものすら出てきている。
それでも敏夫は、控えめな態度を崩さなかった。
半年が経った頃、敏夫の成績はトップになっていた。早苗も抜いていたのである。
早苗は、敏夫に抜かれた悔しさはなかった。ただ凄いと思っただけだ。それでも敏夫は、教えを乞うたときの態度を崩しはしなかった。そんな敏夫を、早苗は、今ではすっかり信頼している。
「杉田さん、これからなにか予定あります?」
敏夫が帰り支度をしているとき、早苗が声をかけてきた。
昨日部長に呼ばれてから、早苗はずっとふさぎ込んでいた。
なにかあったな。
そう感じてはいたが、それを聞くほど、今の敏夫は軽率ではない。
早苗が声をかけてきたのは、多分そのことと関係があるのだろう。
敏夫はそう思った。
「いや、別にないけど」
余計なことは言わなかった。
「だったら、少し付き合ってもらえませんか?」
「いいよ」
早苗にはいろいろと助けられてきた。自分に出来ることだったらなんでもしよう。そういった思いで、敏夫は返事した。
「今日はごめんなさい。わたしの我がままに付き合ってもらって」
敏夫と早苗は、居酒屋に来ていた。
「いや、そんなこと気にしなくていいよ。俺は清水さんの頼みだったら、なんでも聞くから」
敏夫が朗らかに言って、手を振る。
敏夫の言葉遣いが変わったのは、別に早苗を抜いたからでも、見下しているからでもない。敏夫が社員に認められるようになったある日のこと、歳も違うのだし、自分に敬語を使うのはやめてくれと、早苗から頼まれたのだ。
最初は渋っていた敏夫も、早苗の頼みを拒みきれず、仕方なく承諾した。
それでも、始めのうちはぎこちなかった。幾度も早苗に笑われもした。そうして、徐々にこうなっていった。
このところ、敏夫はある種の威厳を身に纏っていた。自分ではそんなことは思っていないが、自然と身体から滲み出ている。
今では、そんな言葉遣いがすっかり板についている。それでいて、まったく偉そうには聞こえない。
「実はね、今日、杉田さんを誘ったのは、杉田さんの話を聞きたかったからなんです」
「俺の話?」
以外だった。てっきり、部長との話が出るものだと思っていた。
「ええ、どうして、そんなに変わられたのかと」
早苗が強い眼で敏夫を見つめた。が、直ぐに俯いた。
「ごめんなさい、立ち入ったことを聞いちゃって。失礼ですよね、わたし。嫌なら、無理にとは言いません」
消え入るような声で言う。
「いや、構わないけど。でも、俺、そんなに変わったかな?」
怒った様子もなく、敏夫が首を捻ねる。
「変わりましたよ。前とは、まったく別人です」
早苗が、思わず身を乗り出した。
「そうか、清水さんにそう言ってもらうと、なんだか嬉しいな」
「そこです。以前の杉田さんだったら、こんなことをわたしに言われたら、ムッとしてたんじゃないですか?」
ハッとして、早苗が身を引いた。
「すみません。また、失礼なことを言っちゃいました」
「いや、気にすることはないよ。清水さんの言うことは、まったくその通りなんだから」
敏夫が笑い飛ばす。
「本当に、あの頃の俺って、相当に具合悪かったものな」
「杉田さんって、前は、大手に勤めていたんですよね」
早苗も敏夫には敬語を使うようにしているが、つい甘えてしまうときがあった。
「そうだよ」
敬語を使われるより、フランクに話されるほうが好きなので、敏夫は気を悪くもしていない。
「失礼ついでに言っちゃいますけど、大手の人って、大体みんなプライドを持っているじゃないですか」
「しようもないプライドだけどな」
敏夫が、笑いながら混ぜっ返した。




