表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/72

第3章 綾乃(VOL.4)

 そんな大事なことに、今まで気付かなかったなんて。

 昔のプライドを捨てたつもりだったが、まだまだ捨て切れていなかった。

 成果を上げるためには、会社や取引先の人間に信用され、また信頼されないといけない。

 ポイントカードが示す『信』とは、そのことを指しているのだ。

 前の時とは違い、今度は明確にそれがわかった。ひとつ進歩したといえる。

「おわかりいただけましたか」

 食い入るようにポイントカードを見つめている敏夫に、綾乃が声をかける。

「ええ」我に返ったように顔を上げて、「ありがとう」敏夫が顔を綻ばせた。

 敏夫の礼には答えず、綾乃が小さく頷いた。

「ところで、今日はいくらですか?」

 敏夫が、スーツの内ポケットから財布を取り出した。

「お金はいりません」

「それはいけない。このあいだも払っていないのに」

「お代がいらないとは言ってませんわ。それに、もう頂きました」

 笑みを浮かべて、綾乃が言う。

「えっ」

 敏夫が驚いた。

「いつ? 誰に?」

「誰にって、杉田さまに決まってるじゃありませんか」

「俺、払ってませんよ」

 敏夫が怪訝な顔をして、財布の中を見る。

「いやですね、人さまのものを勝手に取ったりしませんよ」

 綾乃が口に手を当てて、ころころと笑った。

 確かにそうだ。綾乃に限って、人の財布から勝手にお金やカードを抜くはずはない。一瞬でも綾乃を疑った自分を恥ずかしく思い、敏夫は顔を赤らめた。

「わたくしの施術料は、お金じゃないんですよ」

 疑われたことなど意に介するふうもなく、綾乃が謎めいた言葉を口に出す。

「じゃあ、なに?」

「それは、お聞きにならないでください」

 笑顔ではあるが、口調には、絶対に答えないという固い意志が宿っている。

「わかった。もう、聞かない。でも、本当にいいの?」

 綾乃が無言で頷く。

「そう」

 敏夫はそれ以上、この話題を続けるのをやめた。

「ありがとう。今日も、気持ちが軽くなったよ。身体も楽になったし」

 敏夫はありったけの感謝を込めて、笑顔を浮かべた。

「お気をつけて」

 綾乃の声を背中に聞きながら、敏夫は店を出た。

 時計を見ると、やはりこの前と同じように、五分と経っていない。どう考えても、一時間以上は過ごしていたはずだが。

 そのとき、店には時計がひとつもなかったことに、敏夫は気付いた。普通マッサージ店であれば、施術時間終了を知らせるタイマーを置いているはずなのに、それすらもなかった。

『幻庵』

 その名前が、敏夫には引っかかった。

 あの店は、現実の世界にあるものなのだろうか? 

 前の通り、自分は幻を見たのだろうか?

 いや、そんなはずはない。あれは、確かに現実のものだった。

 敏夫が、ポケットからポイントカードを取り出す。

『感』、『信』そう書かれたカードは、現実に敏夫の手の中にある。

 もしかしたら、あの店は別次元にあるのかもしれない。だとしたら、綾乃さんはこの世界の人間ではないことになる。 

 あの人は、一体?

 そこまで考えて、敏夫は思考を打ち切った。

 そんなことは、どうでもよいことだ。あの店が、現実のもであろうとなかろうと、綾乃さんが人間であろうとなかろうと。なににせよ、今日もあの人に救われたのだ。

 敏夫は、もう一度カードを見た。空の枠があと二つ。

 俺は、あと二回、試練を乗り越えなければならないのか?

 一回は、子供のことだとわかっていた。

 最後の一回は?

 それを、今考えたところで仕方がない。今は『信』。これをどうすればよいか、それだけを考えればいい。

 それに、あと二回は綾乃さんに会えるのだ。そう思うと、敏夫の心が弾んだ。

 カードをポケットに戻し、敏夫は、大好きな妻の待つ家へと足を向けた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ