第3章 綾乃(VOL.3)
「杉田さまのお身体は、お疲れのところがいっぱいあるんですもの」
綾乃は楽しそうだ。
「綾乃さんて、もしかして、Sなんじゃ」
「ばかなことおっしゃらないで」
笑いながら言うや、敏夫の最大のツボを押した。
「ぐっ!」
痛さのあまり、敏夫がのけぞる。
「痛いですね~」
綾乃の口調には、敏夫を思いやる気持ちと、楽しそうな響きが混じっていた。
「ところで、奥さまとは、どうやって仲直りを?」
「それがね…」
敏夫は、里美と仲直りするまでのことを一部始終話した。
とても嬉しそうに。
「ご立派ですね」
敏夫の話を聞き終えた綾乃が、さも、感心したように言う。
「いや、そんなんじゃないです。とにかく、必死でした」
照れた口調で返したが、内心では綾乃に褒められて、誇らしい気持ちになっていた。
「でも、奥さまと、お仕事関係の人たちとは違うでしょう」
「どういうこと?」
「奥さまは、杉田さまを愛してらっしゃった。杉田さまを信じて待ってらっしゃった。でも、職場の方は違いますよね。それに、取引先の方も。まして杉田さまは、飛び込みの営業もなされているんでしょう。初めてお会いする人にも、ご自分を売り込まなければならないんですよね」
綾乃の言葉は、敏夫の肺腑を突いた。
そうだ、里美とは愛情があった。でも、会社や取引先は違う。そんなことに気付かないなんて。
どんなに頑張っても、成果が上がらない理由を、敏夫は理解した。
でも、どうしたら?
咄嗟には、いい方法が思い浮かばない。
「はい、今日は、ここまでです」
敏夫が思案しているとき、綾乃が手を止めた。
敏夫が着替えて出てくると、ポイントカードが返された。
左から二番目の枠に『信』と書いてある。
まてよ。
敏夫は気付いた。
これは指針だ。
最初は『感』。
綾乃に自分の一番大切なものはなにかと訊かれたとき、妻だと答えた。そして、渡されたポイントカードに「感」の字。
自分と里美の間には、愛情と信頼があった。それを、自分が一方的に壊していた。
なぜか?
自分に、里美への感謝の気持ちがなかったからだ。いや、いつの頃からか、里美の優しさに甘えてしまって、忘れていたのだ。
感謝の気持ちを取り戻したとき、里美との仲も取り戻した。
あのときは、なぜ綾乃が、なぞなぞみたいな文字を寄越したのだろうと思っただけだ。
今にして思う。綾乃は自分の話を聞いて、自分になにが足りないのかを教えてくれたのだ。
今度は『信』。
綾乃は言った。里美は自分に愛情や信頼を持っていたと。だが、会社の人間にはそれがない。当然だ。自分が、そういったものを築いてこなかったのだから。
自分は今まで、どこか会社の人間を見下していた。取引先や、新規訪問する会社もだ。
これまで大手で働き、大手の人間ばかりを相手にしてきたため、それより環境が劣る職場で働く人間を、無意識のうちに馬鹿にしていたのだと気付いた。
そんなことで、信頼関係など生まれるはずもない。
それで、どうやって成績を上げるというのか?
そうだ。大きな会社であれば、それだけで商売ができた。しかし、小さな会社は違う。大切なのは、信頼を得ることだ。
敏夫は、目からうろこが落ちる思いがした。




