第2章 里美(VOL.5)
門から見える仲見世の通りは、行きかう人々で溢れかえっている。
二人が懐かしそうに佇んでいると、「すみません。写真撮ってもらえないですか?」関西訛りのある若者が声をかけてきた。
「いいよ」
敏夫は気軽に応じると、若者の差し出したデジカメを受け取った。
若者は、恋人と思われる女性と肩を組んで、提灯の下でポーズを作った。彼女に顔をくっつけるようにして、肩を組んでいないのほうの手でピースをする。二人とも、とても輝いたいい顔をしている。
「もう一枚」
そう言って、もう一度シャッターを押してから、若者にカメラを返した。
「ありがとうございます」
カメラを受け取りながら、若者が笑顔で礼を言う。連れの女性がぺこりと頭を下げると、二人は手を繋いで仲見世へと歩いていった。
その背中が、とても楽しそうだ。
「いいわね。旅行かしら」
いつのまにか里美が寄り添い、敏夫の手を握っている。
「そのようだな」
敏夫は照れながらも、里美の手を強く握り返した。そのまま二人は、さきほどのカップルと同じように、仲見世へと向かった。
ときには店を冷やかし、ときには揚げ饅頭をほおばりながら、二人はぶらぶらと、仲見世を歩いてゆく。
「あなたと、また、こうした時間が持てるようになってよかった」
仲見世を抜けて、浅草寺の宝蔵門に掛かっている『小舟町』と書かれた大きな提灯の下を通るとき、里美が手を離し、敏夫に向き合いしみじみと言った。
「俺もだ」
敏夫も里美の顔を見返しながら、声に力を込めた。
「もっとも、俺の場合は、自業自得なんだけどな」
敏夫が、苦笑いを浮かべる。
「だから、それは忘れて。そのお蔭で、私たち新婚時代に戻ったみたいなんだから」
「そう言ってもらうと、助かるよ」
二人はまた、手を繋いだ。
「あなたも策士ね」
手を繋いで歩きながら、里美が言う。
「俺が?」
「スカイツリーを見に行こうなんて言って、ここへ連れてくるのが目的だったんじゃない? ここは、二人の思い出の場所だから。ここなら、わたしが話を聞いてくれるんじゃないかって」
読まれていた。一瞬、敏夫はうろたえた。が、直ぐに立ち直って「ばれたか」誤魔化すことはせず、正直に答えた。
「おまえの言うとおりだ。でもな、作戦とか策略とか、そんな薄汚い気持ちじゃなかったんだ。俺は、そのう、なんていうか、俺の気持ちを素直に伝えられるのは、ここしかないと思って…」
「ふふ、そんな言い訳をしなくてもいいわよ。別に、わたしは、どこで話を聞いても一緒だったと思うわ。でもね、やっぱり嬉しかった。どんな理由にせよ、あなたがここを選んでくれたことが。わたしとの思い出を大切に思っていてくれていたことが」
敏夫はなにも言わず、繋いでいる手に力をこめた。口を開くと声が震えそうだった。
二人は、お参りを済ませた。
「なにを祈ったの?」
里美の問いかけに、
「これからも、夫婦仲良くできますようにって。それから、仕事がうまくいきますようにって」
敏夫が答える。
子供との仲もうまくいきますようにと祈ったことは、言わないでおいた。言わなくても、里美には多分わかっている。
「そうね。お仕事うまくいくといいわね」
案の定、子供のことは聞いてこない。やっと、夫婦の仲を修復し終えたばかりだ。子供たちのことを言って、敏夫に負担をかけたくないのだろう。
里美には、今日の敏夫の態度を見れば、子供や仕事のこともいろいろと反省し、考えているということはわかっていた。
ひとつひとつ解決していけばいい。里美はそう思っている。そして、自分の気持ちを、敏夫はわかってくれているだろうとも。
里美の思いは通じていた。敏夫は痛いほど、里美の気持ちを理解していた。
「ねえ、さっき言ってたある人って、誰?」
思い出したように、里美が尋ねる。
「ある人?」
「あなた、言ったじゃない。ある人のお蔭で気付いたって」
綾乃のことを言おうかどうか、敏夫は迷った。
「お客さんだよ。たまたま訪問した先で、家族の話になってな。先方の社長さんが、楽しそうに奥さんの話をするもんだから、俺も、お前の有難さを思い出したんだ」
「そうなの」
疑いもなく、里美は敏夫の言葉を受け入れたようだ。
本当のことを言っても、信じてくれやしないだろう。そう思って、敏夫は咄嗟に嘘をついた。それに、なぜか、綾乃のことは言わないほうがいいと思ったのだ。
綾乃のことは、自分の胸にだけ収まっておくことにした。




