第2章 里美(VOL.3)
敏夫が、優しい目で里美を見る。
「おまえが、俺にとって大切な存在だってことだ」
里美が両手を口に当てて、息を呑んだ。
「あなた…」
里美の両目が潤んでいる。
「おまえには、本当にすまないと思っている。俺の不甲斐なさを、全部おまえに押し付けちまってたんだからな」
「あなた」
もう一度言うと、里美はいやいやをするように首を振った。
「でもな、ある人のお蔭で気付いたんだよ。俺が、どれほどおまえに、辛い思いや嫌な思いをさせてきたかって」
敏夫がため息をつく。
「本当、馬鹿だよな。おまえたちを守るために働いていたはずなのに、いつの間にか、おまえたちを苦しめていたなんて」
「あなた」
里美は言葉を忘れたようだ。
それしか言葉がでてこない。
「本当に、すまないと思っている。今さら遅いかもしれないが、もう一度、やり直してくれないか」
深々と頭を下げた、敏夫の背中が震えている。
そんな敏夫の頭に、里美の手が優しく置かれた。
「なにを言ってるのよ。私たち、夫婦じゃない。それは、嫌な思いもしたし、辛いこともあったけど、あなたが気付いてくれたんだったら、私はそれでいいの」
涙ぐみながらも、里美の声は慈愛に満ちている。
「里美…」
顔を上げた敏夫の頬も、涙で濡れている。
二人はどちらからともなく、人目も憚らず自然に抱き合っていた。
「よかった」
身体を離した敏夫が、里美の目を見つめながら言った。
「もし、許してくれなかったら、どうしようと思っていたんだ」
里美には、敏夫が心の底から言っているのがわかった。
「正直言うとね、離婚も考えたわ。どうしていいかわからなくって、毎日が辛かった」
里美が、哀しそうな表情を見せる。
「すまん」
もう一度謝って、敏夫がうなだれた。
「あなたの態度が変わったとき、最初はあなたを信じてた。いつか、元に戻ってくれるだろうと。でも、あなたはなかなか元には戻ってくれなかった。それどころか、ますます酷くなっていったわ。最近は、もう駄目だと思っていたの。でも、あなたを嫌いになれなかった。いいえ、あなたを嫌いになりたくなかったから、わたしは、あなたと距離を置いていたのよ」
正直に告白する里美の口調には、恨みがましさは微塵もこもっていない。
申し訳なさで里美の顔をまともに見れず、敏夫は俯いたまま、里美の言葉を聞いている。
自分が思っていた以上に、妻を苦しめていた。
里美の話を聞きながら、敏夫は改めて、自分の愚かさを思い知らされていた。情けなさのあまり、血が出るほど強く下唇を噛みしめる。
「でも、よかった」
里美が、敏夫の頬を両手で優しく包んで、敏夫の顔を上向かせた。
「里美」
「もう、なにも言わないで」
里美が、敏夫の額に、自分の額をくっつける。
「あなたが戻ってきてくれて嬉しい。わたしは、それだけで幸せよ」
道行く人や、周りでスカイツリーを眺めていた人たちが好奇の目を二人に向けていたが、そんな視線など、二人にはまったく気にならなかった。




