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「こちらの部屋にお入りください」
アンフィリテに案内され、ザッツは屋敷の角部屋に案内される。
煌びやかな廊下と様変わりして、そこは無機質な調度品ばかりが目立つ。
「まるでねーちんみたいに、飾り気のない部屋だなあ」
「私が使用しておりますので」
「そいつは失礼」
ザッツは頭をかいた。
掛けてください、とアンフィリテはシンプルな木製テーブルの席をザッツに勧め、その対面へと自身は腰掛ける。机上には何も置かれておらず、遊びの余地も感じられない。
「オレちゃんとしては、ちょっと息苦しいかな」
「余計なものがあると落ち着かないのです――五感から得る情報を最小限に抑えることで、私は職務に集中することができる」
「余計な考えを巡らせてる方が、落ち着かないと思うけどな」
「人それぞれ、です」
そりゃそうだ、とザッツは背もたれに寄りかかった。
「そうでなくては、じゃじゃ馬姫の手綱を握ることなどかないませんから」
「なんか言い方にトゲがあるな。…そんなにおてんば気質な姫様だってのか」
「自らの立場を弁えず、目先の刺激ばかりを追い求める快楽主義者そのものですよ」
「おいおい、そんなこと言っちゃっていいのかよ。屋敷一帯に『ヘルメスの聞き耳』が貼られてるんだろ」
「やはり、ご存知でしたか」
ヘルメスの聞き耳。
魔力結界のひとつで、範囲内の会話を傍受することができる魔術式のひとつ。
「魔術の基本は一通り学んでるからな――魔力結界に入ったときに、術者の位置と魔力属性ぐらいは肌で感じることはできる。あとは護身から結び付けられる効力だと推理したわけだ」
「それでシレット様の居場所を推測した、ということですか」
「種を明かせばなんでもねえよな。その手の知識がないサカナはまったく分かってなかったがな」
あのときの慌てっぷりったらなかったぜ、とザッツは他人事のように笑っていた。
彼の鉄面皮にほどほど呆れたのか、アンフィリテは深呼吸をひとつする。
「話を戻しますが、この部屋だけは『ヘルメスの聞き耳』を打ち消す、妨害用の魔力結界が張られているのです」
「つまり、どんだけ喘いでも姫さんには聞こえないと言うわけかっ」
「試してみますか? 喘ぐのは貴方になりますが」
「すいませんオレちゃんが悪かったです」
長剣の抜き身をチラつかせたのをみて、ザッツは慌てて取り繕った。
「それで、アンタが希望する話ってのは――姫様には聞かせられないことかい」
「そういうことです」
居住まいを正して、アンフィリテは続ける。
「その前に素性を再確認させていただきたい。その大槌が貴方の所有物――盗品でないとする――ならば、打撃部の刻印が意味するものは、ダンジョンブレイカーだということになるが、認識は正しいか?」
「それで合ってるぜ。どこで知ったのかは気になるところだが」
ダンジョンブレイカーであることを示す紋章――薔薇のようにも見えるそれは、同業であることを見抜くために作られた暗号であり、依頼人が識別するために必要なものであった。冒険者業が興盛する世の中において、彼らの存在というのは害悪そのものでしかなく、職種を公言できない以上はそうする他なかったのだ。
「それこそ領主やその側近、市政を預かる身に近しい者でなければ知りえないことだ。一近衛兵に過ぎないねーちんがどういう経緯でたどり着いたかは知らないが――ま、依頼とあらば請け負うぜ」
「すまないな」
探りを入れても動じることなく、アンフィリテは無表情を貫いている。
いずれにしても依頼人のことを詳しく知る必要はない。
功利――ダンジョンコアの破壊が、自分を含めた多くの個人に利益をもたらす――を第一とし、それにかなう仕事ならば黙々とこなすだけ。それこそザッツが自らに課す、ダンジョンを殺すということに対するルールだった。
「話を戻させて頂きます。…実はこの森には、ダンジョンがひとつあるのです。その場所を探り当てたシレット様は存在を秘匿し、お忍びでこのお屋敷に訪れると、刺激欲しさに冒険者まがいのことを繰り返しているのです」
「ダンジョンに潜って、気持ちよくなってるんだな」
「否定はしません」
姫の身勝手な行いを考えると、護衛騎士であるアンフィリテの心労も理解できなくはない。領主の娘であるならば、自らの身を案じて欲しいと願うだろう。
「話が見えてきやがったぜ、そのお姫様の大冒険を止めるために――秘密の花園を踏み荒らして欲しいってワケだ」
「その通りです」
話を聞く範囲ならば、殺してしまっても構わないダンジョンだ。
断る理由などどこにもなかった。
「やってやろーじゃん、そのダンジョン討伐」
★ TIPS ★
「『狡知』の勇者ヘルメス」――人物/冒険者ランクS
ミステア大陸にて高名な勇者の一人。故人。数々のダンジョンを魔術師の身でありながら一人で攻略していった強者。知覚に関した術式に長け、一歩ダンジョンに踏み込んだだけでおおよその構造を測れたといわれる。後世に数多くの探索系の固有術式を遺し、その恩恵に与る旅人も多い。
「あそこが、ダンジョンの入口だ」
ザッツとアンフィリテが夜遅くに屋敷を抜け出すと、下見ということで件のダンジョンに訪れていた。こんな時間にやってきたのは、シレットのお忍びが露見するとまずいということで、明け方に引き上げてしまうためだ。
二人は茂みに隠れてダンジョンの開口部を観察する。それは大滝の裏側にあり、ずいぶんと大きな入口だった。一戸建ての屋根ほどの高さを誇るトロールが、二体で肩車してもまだ余裕がありそうなくらいの高さだ。
周辺にはコボルト――人間と同程度の大きさの、二足歩行をする犬のような亜人――が複数人で見張りにあたっており、その地に住んでいた亜人たちをコアが絡め取ってしまったと思われる。それなりに知能を有した動物――例えば、道具などを扱い、社会性を有した存在――でも成長したコアの前ではダンジョンの勢力下に置かれてしまうのだとザッツは説明した。
「しかし、コボルトが居るとなると中迷宮は確定だな――ねーちんはあの中、探索してるんだよな」
「当然です、姫を一人で行かせるわけにはいきませんから」
「二人で潜って、どれだけ進めた?」
「そうですね――三階層の中ほどでしょうか。探索式を用いたら全五階層かもしれないとシレット様は仰ってましたが」
五階層となれば、今のサカナを連れていくのは厳しいか。
コボルトの集団戦術と階層の深さを考慮すると、彼女を連れて逃げながら進むことは、さすがに至難の業である。
だがそれは、ダンジョンを攻略するなら――の話である。
ダンジョン殺しというのは、使える手は何でも利用するものだ。
「これだけ入口がでかいと、コアが取り込む『テラ』の量も多いってことになる」
テラ。
ダンジョンが生き続けるために、外から新鮮な空気を取り込まなければいけないのは広く知られているが、それは酸素を求めてではない。
太陽の光を浴びた大地が発生させる、生命の源こそがテラであり――月の光によってもたらされる魔力の源、マナと対をなす存在だ。
「加えてこのあたりは水源が多く、他にダンジョンの出入り口を作るわけにもいかなかったのだろう。コアが水没したら終わりだからな――だからあれだけ、入口が広がっちまったんだろう」
ならばやるべきことは簡単だ――と、ザッツは荷物袋を漁り始める。
取り出したのは先日、グラスドラゴンの血が変性してできたらしい、エメラルドグリーンの鉱石である。
「これを使ってダンジョンの入口を破壊するための一振りを作り上げる。…そのあとは本業が剣士であるねーちんの出番だ」
そんな単純なやり方でいいのか、とアンフィリテは思ったが――ダンジョンを殺しの専門家がダンジョンブレイカーなのだ。いまさら疑うわけにもいかない。
「了解した」
「うい。…そしたらまずはコボルトの大掃除といきますかっ」
ザッツは鉱石をしまうと波状槌を握り直し、アンフィリテは長剣を引き抜いて――二人は茂みから勢いよく飛び出すと、滝壺の周囲を警備しているコボルトたちの不意をついた。
確認できるだけでそれぞれ――棍棒を持ったコボルトウォリアーが三体、長弓を持ったコボルトスカウトが二体、彼らを統率するリーダー格のエリートコボルトが一体だ。
「先に行かせてもらうっ」
飛び出したのはアンフィリテだ。
直属の護衛だけあって、鎧を着たままザッツより素早く駆けていく。
襲撃に気づいたウォリアーがスカウトの前に躍り出るが、戦闘態勢に移行するのが遅かった。
「遅いッ」
引き抜かれた剣の刀身に、淡く光る文字が走る。
「『治水』の勇者ハイドラよ――御身の名の元に、我が剣の軌跡を導きたまえ」
白刃が青い光を纏ったかと思うと、剣の周りを水流が螺旋を描き、
「はッ――!」
横薙ぎに振るわれる刃は、空を切っただけ。
しかし、そこから飛び出した剣の軌跡は水の斬撃となって――地面に何度も弾みながら、コボルトウォリアーの一体に向かっていくと、
「うぎぃああああああ!!!」
コボルトは身の毛もよだつほどの断末魔をあげながら、真っ二つになってしまった。
「ふーん、『法技』を使えるんだな」
『法技』は魔術式を己の武器に行使することで、威力の上昇のみならず、技の精度や攻撃範囲の増加をもたらす。磨いた武芸を、魔法の補助によって更に高める文字通りの"技術"だ。
アンフィリテの場合は斬撃の威力を水に乗せ、飛ばすことのできる『法技』を扱えるようである。
「無駄話をするには数が多い、集中してっ」
「分かってらい、オレちゃんだって本気出しちゃうぞ」
ザッツは地面に転がっている石に、波状槌をスイングさせて当てた。
そのまま勢いよく飛んでいった石は、後方で弓をつがえているコボルトスカウト一体に命中する――と同時に、その周辺だけ強力な音波が発生し、もう一体のほうの弓兵を昏倒させてしまった。
「しめたっ、こっちの残りは任せてください!」
局地的に発生した音の暴風に怯んだコボルトウォリアーの一体を直接切り伏せて、距離の空いたもう一体を水の斬撃で蹴散らした。
「これで残るのはてめーだけだな」
圧倒的なスピードで殲滅されていく同胞の姿をみて、隊列の奥でうろたえていたエリートコボルトは背中を向けて洞窟内に去っていこうとする。
「ありゃ、仲間を呼ぶつもりだな」
「もちろん、そう来ることは読んでいます――万が一があるかもしれないので」
コボルトウォリアーを引き裂き、役目を終えたはずの水の斬撃は消えておらず――そのまま逃げ続けるエリートコボルトを追いかけていくと、唐竹割りにしてしまった。
「終わりましたね」
戦いは一分もかからずに済んでしまった。それも無傷だ。
この守護騎士は、確かに姫を一人で護衛するだけの力を備えている、とザッツは思った。
「それでは、お願いいたします」
「おう、手早くやっちまおうか――ねーちん好みのエンチャントが出ることを祈りながらな」
緑色の鉱石を、ザッツはおもむろに放り投げて。
「『炉火』の勇者ヘパイストスよ――御身の名の元に、願わくば、我に奇跡の一振りを与えたまえ」
火炎を纏った波状槌が、鉱石に向けて振り下ろされる。
その一撃を受けただけで、どろどろに溶解した金属となってしまう。
「ふッ――」
鮮やかな緑に染まっているそれを叩く、一心不乱に叩き続ける。
一撃一撃に思いを乗せて叩いている、呼吸を忘れるほどに叩き続けている。
「ッシャア!」
徐々に形を成していく――翡翠の輝きを放つ刀身の姿を象っていく。
「こいつでしめえよ!」
振り下ろされた最後の一撃によって、その奇跡の一振りは完成された。
そこには、新緑の緑を思わせるほどに瑞々しい、
触れたら折れてしまいそうなほど、薄い刃を持った長剣が、
満を辞して、顕現されていた。
「ほらねーちん、出来立てほやほやだぜ」
ザッツは生成した長剣を、アンフィリテに手渡した。
とても軽い、と彼女は感想を漏らす。
「こいつは『翡翠宝剣スプラスラッシュ』――って名前はどうっすかね」
「みすぼらしい感性だと、嘆かざるを得ないが」
「いいんだよ、どうせ一発ヤっておしまいなんだからっ」
その卑猥な言い回しがカンに触ったのか、翡翠宝剣の腹で殴ろうとしてきたため、必死でザッツは弁明し――その武器が一回振るだけで壊れてしまうこと、強力なエンチャントがランダムで付与されていることを伝えた。
「成る程、使い方は心得ました――しかし、どこに向けて当てればいいのでしょうね」
それが問題だった。
このあまりにも広すぎるダンジョンの入口のどこに命中させれば一撃で破壊することができるのか。対地形に覚えのない守護騎士は逡巡するが――しばらくすると、何かを感じ取ったかのように気配が一変する。
「そっか――こうすればよかったのですね」
アンフィリテが宝剣を両手で握り、魔力を込めている。
(『法技』を使うのか――?)
『奇跡の一振り』と、『法技』の組み合わせ。
それがどのような効力をもたらすのか、ザッツも試したことはなかった。
しかし、
「なんかやべえ気がしてきた」
空気は震え、大地は震える。
一帯の全ての無機物が、ザッツには怯えているように見えた。
それは天災の前触れか。
倍以上に水流が渦巻く刀身を構えて、騎士は不敵な笑みを浮かべている。
「この感覚――どこか懐かしい」
懐かしい。
とはどういうことかとザッツが問おうとする前に、
「―――ッ!」
アンフィリテによって振り下ろされた刃が、意識全てを持っていくほど、
「うおっ!?」
強力な一撃となった。なってしまった。
まるで鉄砲水のように放たれた濁流が、大地を巻き込みながら滝もろともダンジョンの入口へと向かっていき、さらに大きな爆音が周辺一帯に響き渡る。
そして、
「……なんだこれ」
全てを土砂で押しつぶし、ダンジョンの入口を――圧殺してしまった。
「やりましたね」
アンフィリテは構えの姿勢のままでいた。手にした宝剣は役目を終え、剣先から粉々に砕けていく。
彼女の言葉に返答せず、ザッツはしばらく無言でいたが――やがて口を開き。
「ふっ、種が分かればなんでもない――これが」
含み笑いをして、
「威力増幅効果、か」
と満足そうな表情を浮かべた。