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「うあっ……、あああっ……」


 アスターは慟哭していた。

 腕に抱かれているのは、既に命を失ったノイアである。

 彼はバラッドにやられた体を修復するため、本能のままに彼女の血を啜ってしまい――結果として、命を奪ってしまったのだ。


「僕は……、僕はっ……」


 取り返しのつかないことをしてしまった。

 悔やんでも悔やみきれない。

 ノイアを守るために力を手に入れたというのに。死してなお蘇ったというのに。

 彼女を手にかけたのは、他ならぬ自分自身だったのだから。


「ノイア様を失った今――僕はこの世界に居る意味なんてない」


 化け物のフリをする必要もなくなった。

 本能のまま血の快楽に溺れ、本物の化け物として君臨することもできるだろう。

 しかし。


「もう、どうでもいいや……」


 アスターにとって、ノイアこそが存在意義の全て。

 ここで二度目の死を迎えても失うものは何もないと――彼はそう思っていた。

 そんな少年に。


『ふざけないで』


 ノイアの声が、頭に響いてきた。

 アスターは思わず、抱きしめている亡骸を見つめている。


『こっちよ、アスター』


 声のする方へ視線を向けると、そこには爛々と輝くダンジョンコアがあった。

 紫色に染まった正八面体は、ノイアと同じように闇を噴き出し続けている。

 闇の中しか活動できない吸血鬼、アスターを守るかのように。


「ああ、ノイア様……、あなたはその中で生き続けているのですね……」


 アスターのぽっかり空いた胸の虚は、すぐに暖かさで満ち満ちていく。

 亡骸を傍らに優しく置いてから――彼はコアに近づいていき、それを抱きしめる。


『心配させてごめんねアスター、すぐにもどるから待ってなさい』

「は、はいっ……」


 疑う気持ちなど、微塵もなかった。

 ダンジョンを住処としてからも、ノイアの特質は徐々に強まっていった。

 彼女は心の声を聞き取るだけでなく、心に語りかけることもできるようになった。

 だから、『そんな姿』になってしまっても、これはノイアに違いない――と。


『そろそろ、わたくしは眠るから――眠りの番はお願いね?』

「任せてください、ノイア様は僕が守り抜きますから」


 アスターが誓いの言葉を口にすると、コアの不気味な明滅は収まっていく。

 ダンジョンにも、睡眠という概念があるのだろうか。


 そんな疑問をアスターが抱いたときだった。

 バン、と大きな衝撃音と共に――屋敷の玄関口が、勢いよく開け放たれていた。


「なっ――」


 勢いよく振り向いた。

 後光を受けて、そこに立っていたのは。

 ノイアの精神攻撃によって、倒れていたはずのザッツだった。


「よお、ご無沙汰してたな」

「あなたは、ギルドの連中と一緒だった――」

「ザッツ・ニルセンっていう流れモンだ、よろしく頼むぜ」


 アスターは困惑していた。

 ウィンデル街で圧倒的な戦力差を示したというのに、このザッツと名乗った男は何故自分に対して物怖じしないのだ――と。


「僕のことが、怖くないのか」

「それでも立ち向かうのが、男の子のお仕事だ」


 今は亡きルナリアに、格好つけたいだけのナルシシズム。

 確かにそれは年頃の男の子にとっての仕事であり、ザッツにとってはアイデンティティの再確認でもある。


「こんなこと言うのもなんだけどよ、今のオレちゃんはつえーぞ」


 ザッツは引きずっていた波状槌を肩に乗せた。


「お前さんには悪いと思うが、コアは破壊させて貰うぜ。闇の発生源を抑えろってバラッドさんに言われてるからな」


 しかし、彼はそこで事情が変わってしまったことに気がついた。

 今、闇を吐き出しているのはダンジョンコアで――その役割を担っていた筈の少女、ノイアは床に倒れていたからだ。

 彼女の頚椎にある、乱暴に穿たれた二つの穴は見間違う筈もなく。


「てめえ、その子を吸い殺したな」

「……違う」

「違わねえよ」


 だが、アスターはそれでも否定する。


「違うっ、ノイア様は僕に命をくれたんだ――だから、殺したなんて短絡的な言葉を使わないでくれっ」

「はっ、加減もできねえくせによく言えたもんだな? 完全に吸血鬼の体に振り回されてるって感じだぜ。そうやって人に甘えて犠牲者を増やして回るつもりかよ」


 生きているだけで他者を傷つけ殺してしまう。

 アスターはその程度が甚だしい存在と化してしまった。

 ザッツはそこにダンジョンと同じものを見出している。

 だから。


「そうなる前に――オレちゃんは、てめえをころしてやるよ」


 それこそザッツが己自身に課し、ルナリアに示した曲げられぬ生き方。

 一殺多生という功利の追求。無慈悲だろうと、それだけは一貫しなくては自分が自分でなくなってしまう。


「どうして」


 アスターの掠れた声が聞こえる。


「どうしてこの世界は、僕たちにとって優しく在ってくれないんだ」


 目の前の障害を排除するため、全てをき斬る灼熱の剣を顕在させる。


「だったら――だったら、それでもいい。それが試練であるなら、世界の全てを壊してでも、僕は自分の領域せかいを守ってみせる」


 アスターは灼熱剣を横に薙いだ。

 迷いを断ち切るかの如く振られた刃。空気が爆ぜている。

 

「上等だよ、この野郎」


 吸血鬼の戦闘能力は、先に交えた一戦でザッツもよく分かっている。

 アスターが手負いとはいえ、全力で掛からねば勝機はない。


「オレちゃんにももう迷いはねえ。てめえが人類にとって害悪であると分かった以上ここでおしまいだ。全身全霊、心を込めてお前を殺す」


 だがザッツは波状槌を握りしめ、怖気づくことなくアスターへと突っ込んでいく。

 その自信の裏に、力量差を覆す何かがあるのか。


 アスターが炎剣を掲げ、振り下ろした。

 地面を這うように熱波が広がり、ザッツを飲み込もうと迫る。

 ザッツはこれを跳躍して回避した。そのまま落下を利用し、頭上に掲げた波状槌がアスターに向けて打ち下ろされる。

 彼がそれを左手で受け止めれば、足元の木製の床は粉々に粉砕された。全身に強い衝撃が走っている。ザッツが腕力を魔術で底上げしているのは明白だ。


「迂闊でしたね」


 だが、アスターはザッツの二撃目など気にはならない。波状槌を掴んで離さなかったからだ。アンデッドの力――魔力で動く偽りの生命は、術式などという現象誘導などに頼らなくても、ダイレクトに筋力増強や生命力強化を可能とする――は非力な人間の力など容易く上回る。


「これで終わりですよ」

「そいつを決めるのはてめえじゃねえぞ」


 強気な言葉に反してザッツは無防備だ。

 このまま波状槌から手を離さなければ、彼はアスターの灼熱剣に胴体を分断され、言葉通りに終わる。

 筈だった。


「なっ……」


 驚きの声を出したのはアスターだ。

 しっかり握っていたはずの波状槌が、何らかの拍子で外れて抜けたのだ。

 これによってザッツは武器を失うことなく、振るわれた灼熱剣を紙一重で回避し、間隙を突いて相手の腹部を叩きつけることに成功した。

 結果、アスターは背後の壁に吸い込まれていった。

 全身を打ち付けて骨が軋んだ。

 床に鮮血が迸る。

 少年の口元は赤く濡れている。


「……手が滑りましたか」


 思い通りにならない戦いからか、血塗れの乱杭歯を剥き出しにして威嚇した。


「ですが、偶然に助けられるのはこれが最後ですよ」


 あの瞬間。

 アスターの手が滑らなければ、彼の勝利は確定していたはずだ。

 ザッツは偶然によって生を拾っていた。

 そう判断するのが順当だ。

 だが。


「偶然だと思ってんのか?」


 この男はそれを否定する。

  余程の自信家か、もしくはハッタリをかましているのか。


「なら、はっきりさせるしかないでしょうね」


 挑発と受け取ったアスターは、左手を閃かせ魔力を凝集させていく。

 そう、顕現される。

 極熱纏いし漆黒の球体、アスター最大の固有術式ブランド――メメント・フェカトゥムが。


「偽りの白夜、人の業たる昏き太陽」


 覆すこと敵わぬ、天地ほどの力量差。

 蓋然性などに左右されない、絶対的致命の一撃。


「己が罪に焼かれ灰燼へと還れ――メメント・フェカトゥム!」


 日輪の権化は、死の放熱を全方位に撒き散らす。

 館の中は一瞬で赤い世界へと変わり、建材に黒い染みが広がっていく。

 逃れる場所など存在しない。

 その筈だったのに。


「ちっ、熱くなりやがって」


 ザッツの動きに淀みはなく。

 漆黒の熱源から向かって右に走り出した。


「逃げても無駄ですよ、僕の固有術式ブランド執拗しつこいんだ!」


 追い詰められている筈の青年は、屋敷内のある一点を目指していた。

 そこは安全地帯なのか。

 否。

 ザッツは反撃の糸口を掴んでいる。


「そこだ」


 迷いなく武器を振るった先。

 床板を破砕しながら叩きつけられた地面。

 甲高い炸裂音がしたと思えば、生じた亀裂から轟々と水が噴き出したではないか。


「こいつは探っておいたんだ」

「反響定位ですか、器用な真似をする――しかし、その程度の水量では僕の術式を打ち消すことはできませんよ」

「もちろん、織り込み済みだ」


 噴き出す水が太陽と絡み合い、弾けるような音と共に白煙を噴いた。

 蒸気が広がり、世界が白に染まっていく。


「くっ、それが狙いですか」


 霧のカーテンで視界を遮り、姿を隠す算段か。

 数秒後、互いの姿が確認できなくなったところで――甲高い音が鳴り始めた。


「何を――している」


 金属音。

 それが絶えず響いてくる。

 水蒸気を隠れ蓑に、ザッツが何かを企んでいることは明らかだ。

 アスターはすぐに漆黒の太陽を起爆させた。

 濃霧を一瞬にして薙ぎ払ったが手応えはない。白い世界はすぐに元通りになった。

 炎剣で虱潰しに空間を裂いていくが、かすりもしない。


「どこだ、どこにいるっ」


 霧の処理に手間取っているうちに、世界から音が消えていた。

 逃げたか。

 違う。


時間切れ(かんせい)だ」


 アスターの死角を突き、ザッツが霧の中から突進してきた。

 彼の右手にはコバルトブルーの輝き。


「がっ!?」


 不意を突かれた吸血鬼は、眩い光を放つソレに腹部を貫かれてしまう。


「……ぎぃっ」


 アスターは不意打ちに逆上し、姿を現した卑怯者を両断しようと炎剣を振るう。

 次の瞬間。血走った眼は驚きに満ちる。

 炎剣は目の前の敵を両断することなく、霧消してしまったからだ。


「ど、どうしてっ」


 今一度『ヘパイストスの炎剣』を起動させようとするが、魔力がうまく結びつかずに不発に終わってしまう。

 魔術封印が掛けられている。

 先の一撃にその呪が篭もっていたか。


「何が出るかとヒヤヒヤしたけどよ、その様子じゃ勝ちの目を拾えたようだな」


 ザッツはしたり顔を浮かべながら距離をとった。

 アスターを貫いたコバルトブルーの刃は引き抜かれると同時に、小気味の良い音を立てて弾けた。


「『ヘパイストスの鍛冶式』――ですか」

「オレちゃん用にチューンナップされてるがな。即興で強い力を引き出せる代わりに効果はランダム、そして使えるのは一回こっきりの『奇跡の一振り』を生み出すことができる」


 アスターは戸惑った。

 馬鹿な。

 偶然に左右されるような術式を戦いに組み込むなんて。

 そして、その偶然で生み出された武器の効果に己は負けてしまったのか――と。


「……まさか」


 否。

 この男が偶然を操れるなら。

 勝利の運命を引き寄せることができる特質なのだとしたら。


「だから言ったじゃねえか。偶然だと思ってんのか? ってな」


 そう。

 今回の戦いの舞台はダンジョン。

 ダンジョン内に居る限り、ザッツは自分にとって理想の未来を選び取れる。

 それこそが勇者の資質、ギフトを持った者の大特権。


「もう魔術式は使えまい――どう出るよ、アスターさんよ?」

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