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「ば、かな……」


 アスターは、信じられないといった表情を浮かべた。

 自分の放ったメメント・フェカトゥム――漆黒に染まる特大火炎球を。

 バラッドは避けようともしなかった。


 戦いを諦めたのではない。

 彼はこのタイミングで攻撃に出たのだ。

 光線術式を一極に集中し、貫通力を高めたレーザーで火炎球を貫いて。

 そのまま、アスターをも串刺しにした。

 少年の胸部は、木の洞のようにくり抜かれ――飛沫した血肉は灰となり、大穴に吸い込まれるように降っていった。


「はっ……、し、死ぬ……っ」


 一度死んだ身でありながら、アスターは二度目の死を恐れた。

 自分が居なくなってしまったら、誰がノイアを守れるというのか。

 魔力の全てを体の維持に回すものの、灰化の進行を止めるのが精一杯で。


「ぁ、ぁぁぁ……」


 変身能力も切れてしまい、翼を失ったアスターは――縦穴へと落下していった。


「ちっ……、仕留め損ねてしまいましたか……」


 バラッドは膝をついて、視界から遠ざかる獲物を追っていた。

 彼もまた無事では済まなかった。火炎球を避けることも、防御することも考えず、相打ち覚悟の攻撃を決めたのだから。


「バラッドさん、すぐに治療しましょう」


 戦いを見守っていたギルドの面々が集まってきた。


 バラッドの火傷は深刻なものだった。

 アスターは奥義を確実に殺すつもりで撃っていたのだろう。

 ヒーラーのウェインは杖を振るい、すぐに治療の魔術式を展開している。


「今はそれよりも……、彼を追ったほうがよろしい……」

「やはり、倒しきれては」

「はい……。それに下には……、彼の傷を癒す『餌』が存在するはずだ……」

「餌……」


 吸血鬼は、ヒトの血液を取り込むことで傷を治すことができる。

 市街地の戦闘でバラッドがアスターに与えたダメージも、偶然通りかかったサカナを吸血することで回復されてしまっていた。


「下に居ると考えられるのはノイアさん、そして」

「落第生たちか」


 ザッツたち――適正テストに落っこちた落第生――にバラッドが命じた役割は、ダンジョンに噴き出す闇の解明だった。

 彼らが最奥に向かってしばらく経つが、未だに闇が晴れる気配はない。


「シャーリィが付いていったから問題ないと踏んでたが、やはり荷が重い仕事だったみたいだな」

「ええ、彼らが心配です」

「ならば……、自分に構わず奥へ向かうとよいでしょう……。今のアスターさんの状態なら……、あなたたちでも倒しきれる……」


 クリルたちは視線を交わして、ダンジョンの奥へ向かうことに決めた。


「ウェインは残していきます、後のことはこちらにお任せください」

「ええ……、吉報をお待ちしております……」


 『A』ランクの冒険者たちは、足早に縦穴のフロアから立ち去っていく。

 バラッドはそれを見届けて、懐から煙草を取り出して口にくわえる。先ほどの火炎球のせいか、既に燻っていて火をつける必要がなかった。


「自分も齢ですかね……、あんな少年に遅れを取るとは……」

「だったら、煙草なんて吸わないほうがいい」

「………」


 バラッドの視線は、治療を続けるウェインの方へ向いた。


「喋れたんですね」


 その言葉に対して、彼女はこくこくと頷くだけだった。




「ふふんっ、こんなものでどうかしら?」


 ザッツの目の前には、見覚えのある人物が居た。

 緑色の髪をツーサイドアップにした、快活そうな笑顔が特徴的なあどけない少女。

 赤黒チェックのキルトスカートを翻して、彼の方へと向き直る。


 その少女は――ザッツが決して忘れることはないだろう。


「ルナリア……」


 ザッツがルナリアと呼んだ少女は、長剣をくるりと回して鞘に収めた。

 彼女の白いハビットシャツには、夥しい量の返り血がついている。


「なによその顔、これでもまだ足手まといだっていうの?」

「……そうだ」


 ルナリアは独学で身につけた剣術で、モンスターたちを切り伏せていた。

 拙すぎる戦いぶりだが、一対多数の状況下を打開するほどの実力は持っている。

 しかし。


「お前はもともと、医者になりたくてお師匠さまに弟子入りしたんだろ」

「それは、そうだけど」


 ルナリアは医者になりたいと、アースアルムで開業医を営んでいるザッツの師匠のもとへ弟子入りにやって来ていた。


「医者になりたかったのは――キミの力に、なりたかったからだよ」

「……分かってる」


 もちろん、それも知っている。

 これはザッツの記憶が、『最悪の瞬間』に向かって再生されているだけだから。


「お前はいつも、オレちゃんが修行している様子を隠れて見ていた」


 気づいていないわけがなかった。

 ザッツが師と打ち合う様子を、いつも大樹の陰からルナリアは眺めていた。

 修行が終わるとザッツはいつも傷だらけで、ルナリアはそれが見ていられなくなって医者として弟子入りを志願した――と言っていた。


「お師匠さまはオレちゃんを決して治療してくれなかったからな。傷ってのは男の子の勲章だとか宣ってよ。どうしてもって言うなら金払えとか言ってたっけな」

「そのおかげで、私はキミの側に近寄ることができた」


 ルナリアはザッツに向かって歩き始めた。

 しかし、二人の距離は決して縮まることはない。


「何度だって言ってあげる」

「………」

「私はキミのこと、好きだったんだよ」


 それも分かっていたことだ。


「分かってる、全部分かってることなんだ――オレちゃんも、お前が好きだったよ」


 だけど。

 互いの気持ちを知ってしまったから。

 いつでも一緒に居たいと、思ってしまったから。


「だから、私はザッツの――ダンジョンブレイカーの仕事を手伝いたくて、剣を取って戦うことに決めたんだ」


 それが過ちだった。

 ザッツはそこで、ルナリアを無理にでも止めるべきだったと後悔している。

 たとえ心がすれ違おうとも。


「そして、初めて『ダンジョン殺し』を請け負った日のこと」


 かさかさ、と。

 ザッツにとって、耳障りな音が聞こえてきたと思うと。


「そのとき、私たちは『アーミーアント』の大群に囲まれていたんだよね」


 暗闇の中から、巨大なアリのモンスターが――大量に湧いてきた。


「ルナリア!」


 分かってる。

 このシーンの結末も分かっている。

 だというのに。


「くそっ、ルナリアに近寄るんじゃねえよっ……!」


 ザッツは波状槌を振り回して、アーミーアントを追い払おうとする。

 この程度の相手ならば、勝てたはずだった。

 結果として勝てたのだ。

 彼には『勇者のギフト』という、最善の運命を選び取る力があったから。

 それなのに。


「ザッツ、危ない――!」


 来るはずのない、死角からのアーミーアントの攻撃を。

 ルナリアは勝手に受けて、魔物の強靭なアゴに腹部を噛み砕かれていた。


「あ、あああ……」


 ザッツの頭は、そこで真っ白になった。


 それからアーミーアントをどうやって全滅させたのか、ザッツは覚えていない。

 気づいたときには、動かない魔物の死骸が転がっているだけだった。


「ルナリア!」


 我を取り戻したザッツがルナリアに近寄っていく。


「ザッ、ツ……」


 駄目だった。

 ひと目でもう助からないと分かった。


「いやだ……、いやだっ……!」


 それでも、彼女を失いたくなかった。

 しかし、ザッツは医者ではない。彼にはどうすることもできない。

 無情にも――抱きしめたルナリアの体は、刻一刻と冷たくなっていく。


「勝手に死ぬんじゃねえよ、バカ野郎がっ……!」

「ふふ……」


 ルナリアは――ザッツに向けて微笑みを浮かべていた。

 今生の別れが、すぐそこまで近寄って来ているというのに。


「キミが無事で……、ほんとうに良かった……」


 その言葉を聞いた途端――ザッツの涙が堰を切ったように流れ出していた。


 ノイアの闇に飲まれて、初めてザッツは自覚した。

 自分の心に刻まれた傷口は、1ミリも塞がっていなかったということを。

 この胸の痛みは、この胸の苦しみは、未来永劫癒されることはないのだと。

 



 凄まじい衝撃音だった。

 ソファの上でくつろいでいたノイアは、突然の出来事に驚いている。


「ア、アスターなの……?」


 屋敷の天井を貫いて、アスターが降ってきた。

 衝撃によって床板はグチャグチャになり、土埃が舞っていたので思わずノイアは咳き込んでしまった。アスターの胸にはぽっかりと穴が空いており、その大きさは内側から徐々に広がり始めている。


「ガァァァァァァ――ッ!!」


 アスターは雄叫びをあげていた。

 彼の瞳は、既に理性の光を宿していない。現在進行形で死に続けているアンデッドは、延命を図るために本能だけで動き続けている。


「チ……、チガホシイ……、ウアアアアアッ!!」

「ああ、かわいそうに」


 アスターから聞こえてくる心の声に、ノイアは懐かしさを感じている。

 今のアスターは、屋根裏部屋で初めて出会ったときの、小動物のように毎日を生き抜いていた――原始的な欲求を埋めるだけで人生が充足していた、かつての空っぽのアスターそのものだった。


「聖職者さまに、苛められてしまったのね」


 食欲に支配され、獣と化したアスターに怯える素振りも見せず――ノイアは彼をぎゅっと抱きしめた。


「ウアア……」

「さあ、私を吸って? 血の残り一滴まで、余すことなく味わって頂戴」


 アスターは獣欲に導かれるがままに、ノイアに牙を突き立てた。

 これ以上ないほどに彼女を強く求めて、芳醇な血液を体内に取り込んでいく。


「きっと、わたくしの全てを支払っても、あなたを完全に治すことはできない」


 ノイアから血の気が徐々に失われていく。

 深手を負ったアスターの、吸血鬼の肉体を維持するためには、膨大な血液量が必要で――コアによって増幅されたノイアの生命力でも、彼の浄化を食い止めることが限界だった。


「大丈夫、わたくしが命を失っても――コアのなかで生き続けることができるから」


 ノイアは知っている。

 ダンジョンボスは倒されると、その生命力テラの残滓――すなわち個体情報がコアの中に取り込まれることを。そして、蘇生に必要なテラが揃えばデータを参照して復活させられるというシステムも。


「だから、遠慮せずにわたくしをしょくしなさい」


 そう。

 ノイアはダンジョンボスとなったことで、人間でありながら生死という概念を超越した存在と化していた。死してなおこの世にしがみ続けるアンデッドの伴侶としては理想的。悲劇のさなか奇跡的に紡がれたお似合いの道連れ(アベック)


「ん、ぁ……」


 ノイアの視界が霞んでいく。

 意識が朦朧として、もうすぐ吸い尽くされるという実感がある。


 アスターにころされる。

 それなのに――それだけで、ノイアの心は幸福で満ち足りていた。

 そして。


「いつもの時間に……、起こして……、ね……」


 彼女はパートナーの腕の中で――安らかな寝息をてていた。

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