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「おとなしく、保護されるつもりはないか?」

「保護? ふふっ……」


 ノイアは保護という言葉におかしさを感じたのか、くすくすと笑っている。


「わたくしが籠の中に飼われている鳥だと、勘違いしていらっしゃるの?」

「そういうわけじゃねえが……」


 アスターに命じてパラディール家――自分の肉親をも殺してしまうようなお嬢様が、静かに鳴いているだけの鳥とは思えない。

 ノイアの視線は、自ら放出した闇の行き先を追っていく。


「聖職者さまがアスターを倒したら、街に食料を取りに行く者は居なくなる」

「………」


 やはり。

 話に聞いていた『特異体質』によって、彼女は全てが俯瞰できている。


「その結果、彼が匿っているニンゲン――すなわちわたくしは、餓えて死んでしまう。だから、あなた方はわたくしを保護しようと考えて、ここまで来た」


 口で肯定する必要もなく、ザッツたちの意思は聞き取られてしまう。


「余計なお世話なのよ」


  冷たい微笑みだった。


「わたくしはもう、人間社会では生きられない存在となってしまった。あなたたちだって知っているでしょう? ここから連れ出されても、わたくしが生きていける場所なんてない。殺されたほうがマシよ」

「それは――自分からヒトの可能性に目を瞑っているだけだろ」

「救いにもならない言葉を、軽々しく口にしないでよ……っ」


 クリルに聞いた話から考えれば、ウィンデル街にノイアの居場所なんてない。

 他の土地に移り住もうが、社会と関わっている限り、他人ひとの心が彼女を追い詰めてしまうだろう。


「………」


 受け入れてくれる場所は絶対にある――そんなこと、言えるはずもなく。

 誰もノイアに掛ける言葉はなく、沈黙が場を制していた。

 蝙蝠のキィキィという金切り声が、一段と大きく聞こえてくる。

 ノイアはもちろん、このあいだにもザッツたちの思考を読み取っているわけで。


「そんな同情要らない。それで世界が変わるわけじゃない。分かったらさっさと帰ったらどうなの? いや、そうもいかないのかしら」


 そう。

 ノイアを保護することは、目的のひとつに過ぎない。


「闇の放出を止めろ――って言いたいのでしょう?」


 ダンジョンの生態系を劇変させてしまった、この森林一体を覆う深い闇の発生源。

 それがまさか、この少女が引き起こしていた事象だったとは――今でもザッツたちは信じられないでいる。


「闇を止めては、くれないんだな」

「そうね、わたくしは選ばれてしまった存在だから」

「……やっぱりか」


 ザッツ以外は得心がいかない。


「ちょっとおにーさんっ、ひとりで納得してないでどういうことか聞かせてよ」

「ああ、あのお嬢様は――コアに選ばれちまった存在なんだ」

「というと?」


 ダンジョンの守り人として、ノイアはコアに選ばれた。

 つまり。


「ダンジョンボスになっちまったってことだよ」

「そ、そんな……」

「ヒトがダンジョンボスになるっていう、そんなことがありえるの?」


 そう考えなくては、ひとりの少女が森林地帯を覆う闇を放出していること――その説明がつかない。


「社会性を有している亜人も、ダンジョンボスになっていたことがある」


 記憶に新しいのは、シレットと初めて出会ったときのこと。姫様の無思慮な行動から、攻略することになった滝裏のダンジョン。そこでは、中層にコボルトたちが街を作っていて、その長たる存在がダンジョンボスとしてコアから力を与えられていた。


「コアは己を守るために、もっとも防衛に適した存在を支配下に置いて力を与える。だから、ノイアを共生関係と見なしているんだ」

「だったら、コアを破壊すれば」


 ノイアの呪縛は解かれ、この闇も消えるはずだ。


「さすがに詳しいのね」


 しかし。


「ここのコアも破壊するんだ? あなたの壊してきた、他のコアとおんなじように」

「……っ」

「ザッツちゃん?」


 ここには、ギルドの関係者であるシャーリィが居る。

 彼が生業としている、ダンジョンブレイカーという裏稼業――迷宮の破壊者であることは知られたくなかった。

 どれだけザッツが良識的な仕事人だろうと、ダンジョンを破壊することは国益を損なう行為だ。暗殺者と同様、国によっては無法者であり、例えばアースアルムにおいては重罪も避けられない。

 しかしノイアは、彼を社会悪として追求したいわけではない。


「いや、多くのコアを『殺してきた』から――と言ったほうがいいのかしらね?」

「……何が言いたい」

「あら、あなたも気づいてるんじゃない? ダンジョンコアの正体に」


 ダンジョンコアの正体。

 それは、地下闘技場の一件でザッツも薄々勘づいていた。

 断定できるだけの材料はない。

 しかし――それを口に出してしまえば。


「ね、『人殺し』のお兄さん?」

「……っ」


 ザッツは奥歯を噛み締める。

 それが、現実であって欲しくなかった。

 ダンジョンコアの正体が、自分たちとそう変わらない知的生命体ニンゲンであることが。


「ぁ……」


 サカナは、ニナと初めて出会ったときのことを思い出す。

 重傷を負ったニナを助けるために、ザッツはコアを破壊したのだが――砕け散ったコアから、誰かが叫んでいるような、何かを訴えかけているような。そんな奇妙な感覚を覚えなかったか。


 そして、地下闘技場の一件を思い出す。

 運営側が用意した刺客――雷槍使いのルディオラ。

 彼女に植えつけられたダンジョンシードを、ザッツが破壊した瞬間だった。

 そのときサカナには、誰かの苦しそうな声が聞こえていた。生きたいという強い願いが伝わってきた。今考えれば、それはシードが発していた声ではなかったか。


 もしかしたら。


「それは、ダンジョンコアというのは、つまり」

「ええ、そっちの――アスターを『骨抜き』にした女の子の考えているとおりよ」

「骨抜き?」


 『魅了の魔眼』を受けていたときの記憶は、サカナにはない。

 アスターからは不当な罵倒を受けていたことだけが、彼女にとっての事実だ。

 なので、ノイアは問いを返さずにそのまま続けた。


「ダンジョンコアの中には、ヒトのココロが閉じ込められているの」


 ザッツの目が見開いた。


「馬鹿な……、だったらオレちゃんのやってきたことは」

「人殺しなんでしょ?」


 ノイアは悪びれる様子もなく、そう決めつける。


「でも、何故それを――」

「わたくしがそう断言できるのか? ふふっ、気になるでしょうね」


 ノイアが振り返って、屋敷の扉を開け放てば。

 屋内に鎮座されている、紫色のダンジョンコアが不気味な光を発している。


「彼に聞いたからよ。ダンジョンコア――ううん、『エンジェルソウル』にね」

「その言葉は」


 その言葉は地下闘技場で、もうひとりのサカナが言っていた単語。

 彼女が住んでいた天上世界では、コアやシードをそう呼ぶのだろうか。

 そもそも、その前に。


「お前さんは、ダンジョンコアと意思疎通が図れるのか?」

「だから、そう言ってるじゃない」


 心の声が聞こえる特質、それはコアにも通用する――と。


「彼は可哀想な人よ」


 ノイアはコアに近づいていく。


「上からの命令でこんな姿にされてしまって、数百年ものあいだ孤独のまま、地中深くに沈み続けていたの」


 ずっと孤独だったの――と少女は正八面体を撫でている。


「だから、わたくしと出会えたことに喜びを感じてくれている。分かり合えるという幸福で満たされている――そして」


 鋭い視線をザッツに向けた。


「彼らはこの永い時のなかで、一度たりとも死を願ったことはなかった」

「嘘だ……」


 ザッツは膝から崩れ落ちる。

 今までやってきたことは、いたずらに命を奪い取るだけの行為だったのか。

 手入れと称して破壊してきたダンジョンたちは、ヒトと同等の知性をそのコアの中に宿していたのか。


「今一度言うわ」


 ノイアは全てを蔑むような、冷たい瞳で睨めつける。


「あなたたちは、『私たちの世界』に必要ないの。だから、さっさと消えてくださらない?」


 翼をもがれた『鳥たち』が、籠の外で生きられるわけがない。

 それはノイアも、このダンジョンコアも同じこと。

 ザッツたちは、自分たちの都合で――彼らをさらに迫害しなくてはならないのか。

 そんなことは。


「オレちゃんには、この闇を止めることはできない……」


 ザッツがこれまで『正義』と考え、実行してきたことが――ノイアの言葉によって全否定されてしまった。聞こえるはずのない、コアたちの憎しみの声が聞こえてくるような気がした。罪悪感という底なし沼に溺れていくような感覚だった。


「おにーさん、別にコアを破壊する必要なんてないよっ」


 塞ぎ込むザッツを見かねて、ニナは大剣を持って前に躍り出た。


「おにーさんが言うように、ノイアちゃんは過去のトラウマからヒトの可能性に目を瞑っているだけなんだっ。だから無理やりにでも地上に連れ出して、彼女の居場所を探してあげればいいんだっ」

「過去のトラウマに怯えているのは、果たしてどちらなのかしら」


 ノイアが指を鳴らした。

 すると彼女の背後、屋敷の中から金髪の貴公子――ジュレイドが飛び出してきた。


「ま、また幻覚攻撃……!? 闇の中には入ってないのに!」

「闇はあくまで、チカラの効果範囲を伸ばすだけに過ぎない。この距離なら、あなたはもうわたくしの掌の上なのよ、ニナ・B・バレンスさん?」

「そ、そんな、うわあああああっ」


 ニナは先ほどと同じように、トラウマの波にさらわれていく。

 心に刻まれた傷を呼び起こす、防御不可能の精神攻撃に――彼女は地面の上に蹲って、ひたすら泣いては助けを懇願していた。


「ニナちゃんっ」

「なんて力なの……!?」


 危機的状況だった。

 そう判断したシャーリィは、ノイアに向かって走り出し。


「こうなったら、気絶させて――」

「無駄よ」


 パチン、と音がしただけで。

 サカナとシャーリィもまた、トラウマの中に引きずり込まれていく。


「あ――いやっ、いやあああああ」


 サカナは絶叫をあげた。


「ぁ……」


 シャーリィは生気を失った目で、虚空の一点を見つめている。


「だから、後悔すると言ったのに」


 ノイアは他人の思考に語りかけて、強制的にトラウマを呼び起こすだけ。

 他人の記憶は、表層に現れたものしか読み取れない。

 だから、幻をかけた相手がどんな悪夢に溺れているのか――知ることもない。


「みんな……」

「トラウマのないニンゲンなんて居ない。そうでしょう、人殺しのお兄さん?」


 コアによって強化されたノイアの能力は、まさしく無敵だった。

 このままでは全滅する。

 だが――今のザッツには、そんなことどうでもよかった。


「オレちゃんにも、そいつを掛けてくれ……」

「………」

「分かってるんだろ?」

「そうね」


 ノイアには、ザッツの言葉の意味が分かっていた。


「望み通りにしてあげる」


 指をひとつ鳴らせば。

 ザッツは自らの、思い出したくない記憶に食われることになる。


 彼はただ――裁かれたかったのだ。

 ダンジョンを、ただのシステムだと決めつけ、殺し続けてきた罪。

 その重さに、ザッツは耐え切れなかったのだ。


「そんなことをしても、死んでいったソウルたちは救われないのに。…ニンゲンってほんと、自分勝手なんだから」


 ノイアは溜息をひとつ吐いて、屋敷の中へと戻っていった。

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