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 ニナが闇の中に一歩踏み出した瞬間だった。

 突然、前方に何者かの気配が現れて――その人物はニナに対し走り出していた。

 

「だ、誰か来るよっ」


 ニナの後天的に身につけた方向定位能力――魔力の反響によって周囲の状況を探ることができる特異体質――が機能しなかったことから、相当な手練だと予想できる。

 気配遮断に秀でた暗殺者か、はたまた空間跳躍を極めた高位魔術師か。

 いずれにしても、敵意を持って迫ってくるのは確かであり、ニナは迎撃するために大剣を構えて相手の動きに備えている。


「え――」


 闇の中から抜けてきたその人物に、ニナは思わず目を疑った。

 地下闘技場で出会った、忘れもしない獰猛なケダモノ。気品溢れる金髪に、悪趣味なバタフライマスク――間違えるはずもなく、彼はジュレイド・リーズローズその人だった。


「どうしてこんなところにっ」


 考える暇など与えられなかった。

 既にジュレイドの手には、彼が闘技場で見せた絶対零度の凍結剣が握られており、それがニナに向かって振り下ろされようとしている。


「くっ……!」


 ニナが大剣を横薙ぎに払って、ジュレイドの斬撃を食い止めようとするが――彼女は力負けして武器を弾かれてしまった。


「そ、そんな……」


 そのままジュレイドがニナに近寄ると、彼女の服に手を伸ばした。


「い、いやああああっ」


 地下闘技場の一件でトラウマと化した『それ』がニナを襲う。

 ビリビリと服が裂かれ、衆目の前にあられもない姿を晒すこととなってしまう。


 髪を掴め! 暴力で泣かせろ! こっちに見せろ! 失禁させろ!

 聞こえるはずのない声が、四方八方から浴びせかかってくる。


「ぅ…、ぁ……」


 ニナは蹲って、震えて動くことも出来なくなってしまった。

 目からは大粒の涙が溢れ、許しを請うための言葉が止まらない。




「ごめんなさい……、ゆるして……」


 不用意に結界外へ出てしまい、様子がおかしくなったニナを回収した一行は、ようやくこの噴き出す闇の正体について掴みかけてきた。

 現在ザッツの背中におぶられているニナの、うわ言から類推するに、


「過去のトラウマを想起させている?」

「そう考えるのが妥当だと、自分は考えますけどね」


 この闇に囚われると、嫌な記憶を強制的にフラッシュバックさせてしまう。

 そんな衝撃的な事実に、一同は顔を曇らせている。


「さらにいえば、闇はこの先のダンジョン――『逢魔の洞窟』といいましたか――が発生源みたいですね」

「それって……」


 クリルはウサギの耳を丸めた。


「アスターさんがアレを出している、ってことになるのでしょうか?」

「たぶん、違うと思います」


 クリルの言葉を、バラッドはすぐに否定した。


「あれだけの闇を放出するだけの魔力が、あの吸血鬼の少年にあるだろうっていうのは分かるんです。しかし――」

「しかし?」

「やはり、規模があまりにも大きすぎる。これまで『七勇騎』として様々なアンデッドたちと戦ってきましたが、これだけの闇の結界を維持しようとすれば、いくら魔力があろうとすぐに底を突いてしまう」


 大量虐殺が行われた場所、はたまた戦場跡地などであれば、そこはたちまち不浄の地となり自律的な闇の領域となりえるのだが――そういった因果の存在しない、『健康的な森林一帯』を闇に染め上げるならば、バラッドの言うとおり膨大なリソースを必要とする。


「で、あれば――ダンジョンコアに蓄えられている膨大な生命力エネルギーを利用している、と考えるべきでしょうか」


 ですよね? とバラッドはザッツに対して確認をする。

 確かにダンジョンの壊し屋であるから、ザッツはその手の話には造詣が深い。

 が、その身分は決して明かしていいものではないので反応に困ってしまい、結局彼は上の空のごとく曖昧な返事をするしかなかった。


「ちょっと待ってください」

「待ちますよ」

「バラッドさんのいう説が正しいならその、アスターさんはダンジョンボスになってしまわれたということですか?」


 ダンジョン内の生態系において、もっとも強い個体にコアは力を与え、それをダンジョンボスとする。亜人でさえもその枠組みに収まっていたのだから、吸血鬼がそうなっていたとしてもおかしくない。


「分かりません。自分はダンジョンについて断片的な知識しか持ち合わせていませんから」


 バラッドの生業はアンデッド狩りであって、ダンジョンの研究家ではない。


(だから、オレちゃんが連れてこられたのか……?)


 ダンジョンと共生関係を育み、コアと無縁な冒険者と違って、ザッツはあまたのコアを砕きダンジョンを殺してきた。ここにいる誰よりも、ダンジョンについての知識は有しているだろうし、バラッドはそれを期待しているのかもしれない。

 ザッツは素性がバレない範囲で、クリルの憶測に対して切り込んでいく。


「ちょっと聞きたいことあんだけどよ」

「なんでしょうか?」

「ダンジョンボスってのは、地上に出てこれるもんなのか?」

「………」


 クリルが他の『A』ランクの冒険者たちと目配せをしている。

 誰もが首を横に振っていることから、ザッツの出した問いの結論は明白だった。


「なるほど。アスターさんがダンジョンボスだとするならば、『誰そ彼時』は成り立たないと、そういうことですか」


 コアの支配下にあるダンジョンボスは、決してダンジョンの外に出ることはない。

 だとすれば、


「この闇の領域を作り出しているのは、いったい……」

「進めば分かることですよ」


 バラッドは考え込むような仕草をする。


「もし上位アンデッドが他に存在するのであれば――帰れる保証はありませんがね」




 ★ TIPS ★


「逢魔の洞窟」――大迷宮/ランクA


 十三階層構成のダンジョン。

 地上から深い縦穴が続いており、太陽の光が注ぎ込まれていることから、内部は草木が生い茂り、全階層に渡って植物系の魔物が占めている。また、それを目当てとする大型の草食モンスター『ベヒモス』が冒険者の間では恐れられている。

 この生態系の記録は一ヶ月以上前のものであるため、闇が噴き出してからのダンジョン内部は未知である。




 ダンジョンコアが不気味に光る、薄暗い『地下屋敷』の部屋の中で。

 少女の罵声が響いている。


「なんで、わたくし以外の女の子をナカに入れてるのよ!」

「ご、ごめんなさい」


 行方不明の令嬢、ノイア・パラディールは腹を立てていた。

 ダンジョンの外から帰ってきた吸血鬼の少年、アスターの心の中に見知らぬ少女の姿を『見た』からだ。


「そういうコの方が好みなの?」

「………」


 そう言われて、少年は俯いてしまった。

 彼にとってノイアに嫌われてしまうことは、存在意義を失うことに等しいからだ。


「わたくし以外で『食事』をしないと誓ったくせに」

「うう……」


 意地悪だ。

 ノイアは全てが透視えた上で言っている。

 アスターが聖職者に浄化されかかっていたことも、命を繋ぐために仕方なく吸血を行ったことも――その全てが少女には分かっている。


「分かってるわよ、わたくしがまだまだ女の子としては未熟だってことぐらい」

「そ、そんなこと……」

「ほら、やっぱり比較してるじゃない」


 ノイアの『心に感応する力』は日に日に強大となっていく。

 心の奥に秘めた事実でさえ、隠し通せるものではなくなっていた。


「肉付きのいい女の子の方が、抱きしめられて心地よかった?」

「………」

「それに、わたくしの血なんかより、よっぽど美味しかったのね?」


 度重なるノイアの当てこすりに、アスターは――泣いていた。

 こんなにも心はノイアを欲しているのに、彼女に指摘されたことは全て正しかった。純粋ゆえに、一途ゆえに、ノイアを傷つけてしまったのかもしれないと、彼は悲痛な気持ちに囚われている。


「……ちょっと、いじめすぎたかしら」


 ノイアは、アスターを抱き寄せた。

 相変わらず吸血鬼の体は死人だけあって冷たかったが、少女にとってそんなことは些細な問題だった。


「ごめんなさい、ちょっとからかってみただけなの。それに恥じることはないのよアスター、男の子っていうのは皆ケダモノなんですもの」

「でも、でも……、自分が許せなくって」

「もうニンゲンの道理に縛られなくていいの。わたくしたちはもうヒトの社会に受け入れられない『化け物』になってしまったのだから」


 アスターは、正真正銘の夜を征くアンデッドに。

 ノイアは、他者の心を読み取ってしまうという世界の異物に。

 無条件に忌み嫌われ、排斥される存在となってしまった二人は、人間以外の生き方を余儀なくされていた。


「それでも駄目なら、何度だってわたくしがアスターの中身を塗り替えてあげる」


 ノイアはアスターの顔を自分の胸元に引き寄せて、頭を撫でている。

 彼女から初めて感じる柔らかな触感に、少年の表情は驚きに満ちている。


「………」

「わたくしだって成長期だもの、体だって少しずつ大人になってるのよ。今すぐその子みたいになるのは難しいかもしれないけど、すぐに追いついてみせるわ」


 彼女にも対抗意識はあったのだと、アスターは思わず笑ってしまう。

 そして、それがあまりにも可愛くて――欲動がふつふつと己の内から湧いてきた。

 それを感じ取ったノイアは、くすりと笑って。


「ふふっ、我慢できないのね?」

「うん……」


 ノイアはいつものように、シャツのボタンを外して、白い首筋を露出した。

 いくつもの噛み跡が、そこに痛々しくも残っている。


「さあ、来なさい――わたくしを、アスターで満たして欲しいの」


 アスターは無言で頷くと、顔を少女の喉元に近づけて。


「あ――」


 ノイアの黄色い悲鳴と共に、極めて官能的な吸血鬼の食事が始まった。

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