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「ああ、どうしたら良いのだろうか」
顎ひげを蓄えた初老の男性が懊悩の声をあげる。彼はウエストコートに臙脂色のジュストコールを羽織り、キュロットという構成の高貴な出で立ちをしていた。テーブルに立てかけられたクラシックなステッキもまた、権力を誇示しているかのようだ。
彼こそパラディール家の長、ノイアの父親である辺境伯ヒューゴ・パラディールその人である。
「簡単な話だと思いますけどね」
もうひとりの男性が、グラスに入ったワインを右左に揺らしながら答えた。
こちらは青年然としているものの、富の豊かさを感じる身なりをしている。
「切り捨てればいいんですよ、それで全てが解決します」
「……本気で言っているのか」
「だって、それしかないでしょう。あなたの娘は衆目の前で取り返しのつかないことをしてしまった。それは事実なのですから」
それは数時間前の話に過ぎない。
他ならぬ自分の娘が、街の広場で殺人を犯してしまった――事件のあらましを聞いたヒューゴは、思わず己の耳を疑った。
街の自警団の話によれば、目撃証言から娘の正当防衛が成立するかもしれないとのことだが、罪の有無などヒューゴにとってどうでもよかった。
その事件は、今後の自分の立場を怪しくする。
娘が人を殺めた事実は覆らない。そして、ノイアはまだ分別がつかない子供だと判断される年齢であるから、当然のごとく責任の所在は親であるヒューゴの元へ行く。
どんな育て方をすれば、殺人などという野蛮な行為に及ぶのだろう――殺人事件という一面だけをみて想像を膨らませた情報は、人から人に伝言ゲームで伝わっていき、ネガティブな結果をもたらす。それをヒューゴは分かっている。
「だから、説得力のある理由をつけなくちゃいけないわけです」
この青年も分かっているからこそ、残酷な選択肢を提示する。
「娘さん、不思議な力を有していたそうですね? 他者の心の声が聞こえるという」
「……ああ」
「使用人たちをはじめとして、街の住民たちはその力を恐れていた、と」
「このわたしも、そうだった」
「ですからね」
青年は、人差し指を立てた。
「娘さんが『化け物』に取り憑かれている。まずはそういう話で進めておいて、たとえば――ギルドに討伐依頼を出すのです」
「娘を殺せと言いたいのか」
「物理的に殺せ、とは言ってません」
「……なるほどな」
ヒューゴはようやく、言葉の意味を理解することができた。
「要するに、社会的にノイアの存在を抹殺しろと言いたいのだな」
「そういうことです」
「だが――」
それは、ノイアにウィンデル街の暮らしを手放させることを意味している。
さらにいえば、異質に関して根本的な解決をしていない以上、隠遁生活を強制することにもなるだろう。
「娘さんを凶行に走らせたのは、その力に起因するものなのでしょう?」
「……かもしれん」
「本人から、聞いてないのです?」
「わたしだって、あの子の力は怖いのだ」
「でしたら――」
もう、親子の縁など冷え切っているのも同然で。
「我が身が可愛く思うなら、切り捨てるべきでしょう。あなたにとっても、娘さんにとっても、それが一番よろしい」
「………」
「この街では『化け物』として死ぬのが、その子の幸せではないでしょうか?」
「そう、かもしれないな」
ヒューゴは青年の言葉に背中を押され、覚悟を決めた。
それがノイアにとって幸せなのだと――そう正当化して、自分の地位を守ることを優先している。
「すまない。部屋を間借りする上に、変な相談をしてしまったな」
「いえいえ、ヒューゴさんの頼みですから」
ヒューゴはステッキを手に取ると、椅子からゆっくり立ち上がった。
「お先に休ませてもらうよ、アルゴノーツくん」
アルゴノーツと呼ばれた紫髪の青年は、くすりと笑った。
「ええ、良い夢を」
ヒューゴは杖をついて、部屋から退室していった。
ひとり残されたアルゴノーツは、窓から覗く夜のウィンデル街を眺めながら、グラスに残った赤い液体を飲み干した。
「あれではもう、ヒトの親としては失敗作だね――だからニンゲンというのは、見ていて飽きないんだけど♪」
月夜を背景に、コウモリたちがキィキィ鳴きながらどこかへ飛んでいった。
「え――」
ギルドに訪れていたアスターは絶句した。
受付嬢のクリルに促され、コルクボードに貼り付けられていた依頼を見ると、その中に屋敷の主人であるヒューゴのものがあったからだ。その内容は、『化け物』に取り憑かれたというヒューゴの娘――すなわちノイア――の討伐だった。
「な、なんで」
思わず後ろに二歩三歩と後ずさりするアスターに、クリルが口を開く。
「アスターさん、大丈夫ですか?」
「大丈夫もなにも……、こんな、こんなのって……」
「ええ、分かってます。アスターさん、大変なことに巻き込まれてしまいましたね」
大変なことに巻き込まれた?
アスターには、クリルの言葉が理解できなかった。
今はそんなことよりも、はやく屋敷に戻って、ノイアにこの事を伝えなくてはいけない――そう考えたアスターは踵を返し、ギルドを立ち去ろうとする。
「アスターさん、帰ってはいけません」
そんな彼の行く手を遮るように、ギルドの冒険者たちが立ち塞がった。
「ど、どうして」
「あなたを保護するようにと、ヒューゴ様には仰せつかっておりまして」
「保護?」
「ええ、ヒューゴ様が仰るには――『化け物』に取り憑かれたノイアさんの魔性によって、篭絡されてしまっていると」
「『化け物』に取り憑かれた? ノイア様の魔性?」
アスターは、違う世界に入り込んでしまった感覚を覚える。
自分と彼らでは、ノイアという存在に対して認識のズレが起きている。
ノイアは化け物に取り憑かれているわけでもないし、アスターはその魔性に魅入られているわけでもない。
「ノイア様は、『化け物』に取り憑かれてなんかない……」
誰も、聞く耳を持ってくれない。
「ノイア様は、そういう力に振り回されてる、普通の女の子なんだ……」
誰も、少年の話を信じる者などいない。
「そんなノイア様に、僕は自分の意思で仕えてる! 魔性に操られてなんかない!」
「あのなぁ……」
行く手を遮った冒険者のひとりが、アスターの両肩を掴んだ。
「狂っちまった人間ってのは、狂ってることを自分で気づかないもんだぜ」
アスターは唖然とした。
この冒険者の言うとおり、ノイアは『化け物』に取り憑かれている存在で、自分はその魔性にあてられて狂ってしまっているというのか。世界は正しく作動していて、自分だけが壊れてしまっているのか。
アスターは思った、それは絶対に違うと。
この気持ちは――ノイアに抱いている愛情は、偽りのものでは決してない。
その証拠に、先の話を聞いたアスターの心は、一片たりとも少女に対して不信感を抱かなかったではないか。この世界こそが間違っている、自分は正しくここに在る。
そう考えていると、アスターはふつふつと怒りが沸き上がってくる。
偽物の世界の住民に、ノイアを奪われたくない――激しい衝動に駆られたアスターは、いつの間にかギルドの外に出ていた。追っ手すら振り切るほどの、あまりに強い愛の力。彼の走りは、もう誰も止められない。
「ノイア様!」
アスターは息せき切らして屋敷にたどり着くと、ノイアの私室に繋がるドアを勢いよく開け放った。あまりに唐突な出来事に、少女は身を竦ませる。
「アスター!? びっくりさせないでよ、まったくもう……」
この時間であれば、アスターはギルドへ魔術を学びに行っている時間だ。
そんな彼が屋敷に戻ってきて、必死の形相を浮かべている。これは何かあったに違いないと、ノイアは少年の方へ近づいていく。
「どうしたの?」
ノイアが問いかけても、アスターの思考は滅茶苦茶で、ひどいノイズとなって聞こえてきた。『はやく逃げなきゃ』『ここは危険だ』『命が危ない』――断片的にもたらされる情報からすれば、かなり緊迫した状況のように思える。
「さあ、逃げましょう、ノイア様!」
「えっ、えっ」
アスターにしてみれば、ノイアは他者の心を瞬時に理解することができるのだと信じている。ゆえに説明などしなくとも、もう概要は伝わったのだと思っていて――そんな誤謬を犯しつつも、アスターはノイアの手を引いて、部屋から脱出する。
「逃げるったって、どこに行くのよ」
「分かりません。ですが、できる限り安全な場所に、です」
昼間だというのに、屋敷の中では誰にも会うことがなかった。
いつもなら使用人たちがいるというのに。
何かがおかしいと、ノイアもだんだんと異常を察し始めていた。
アスターはノイアを屋敷の外へ連れ出すと――見たくもない光景が、目の前に広がっていた。
「な――」
いつの間にか、屋敷を囲むように。
黒い体表を持った、四足歩行の獅子型モンスターたちが唸り声をあげ、二人の逃走劇を妨げる。
「ど、どういうこと」
きっと、ノイアを殺すための刺客だ。
人間と比べて知性に乏しい存在は、読心能力という異質を持つノイアにとって、もっとも効果的なヒットマンであるといえる。
「ノイア様、下がっていてください」
アスターは、来るべき日のために鍛えていた魔術を、
ノイアという、大切な存在を護るために磨いてきた技術を、
「『炉火』の勇者ヘパイストスよ」
今こそ、惜しみなく発揮するときだと――虚空に手をかざして、詠唱を開始する。
「御身の名の元に、全てを焦がす炎剣を我が掌中に顕現したまえ!」
アスターの手に魔力が収束し、形成された刃を握り締める。
それは延々火照る恋心を表現したような――煌々と燃え盛る灼熱剣だった。




