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アスターの生活は、その日から一変した。
彼は見習いの執事として、パラディール家に迎え入れられた。
どうしてそうなったのか、彼自身未だに理解していないのだが――ノイアが彼女の父親である辺境伯ヒューゴを説得したということは、彼女の口から聞いている。
「だから、何も心配しなくてよろしくてよ」
天蓋付きのベッドに寝そべって、ノイアは隣にいるアスターに語りかけた。
少女はゆったりとした白のネグリジェを纏っていて、布地が透き通っていたから、少年の目にはひたすら毒だった。その証拠に、彼の着ているナイトシャツは、冷や汗をたっぷりと吸い込んでいる。
「わたくしのお父様は、隠し事が多いもの」
訊いてもいないのに、ノイアは屋敷にアスターを迎え入れることのできた背景を語り始めた。
「お父様の隠し事を吹聴するだけで、この家は駄目になってしまうってわたくし分かっているのよ。お父様はそれを恐れているから、いつもわたくしの要求を聞いてくれるの」
ノイアには、否応なしに他者の心の声が聞こえるから。
人の弱みなど、すぐに暴くことができてしまう。
「………」
だから、その力の代償はあまりにも重かった。
ノイアは悲しげな表情を浮かべて、アスターの腕を引き寄せた。
「ノイア様?」
「この屋敷……、夜中には使用人も、お父様も居ないでしょう?」
使用人たちは、屋敷の近くの離れ家で寝泊りしている。
主人であるヒューゴ・パラディールでさえ、自室を持っているのに別荘で寝泊りしていることが多い。
「わたくしのこと、みんな嫌いなのよ」
誰も彼もが、ノイアと距離を置いている――彼女を恐れている証だった。
実の親子でさえも、その関係に亀裂が生じていた。
それが、ひどくノイアは悲しかった。
「ノイアは、それが嫌なのか?」
「言葉使い」
「ご、ごめんなさい」
執事見習いになってから日が浅いアスターは、まだまだ言葉使いが拙い。
「ランドンに叱られてもいいなら別にいいけども。どうせわたくしたち以外、ここには誰も居ないのですもの」
「え、えっと――ノイア様は、それが嫌なのでしょうか?」
「………」
少年がたどたどしく訊ねた問いに、ノイアは奥歯を噛んで感情を押し殺す。
「……いいの」
ノイアは笑顔を作った。
「わたくしには、アスターが居れば十分なんだから」
そして少女は微熱を求めて、少年の足に自らの足を絡ませた。
「ノ、ノイア様」
「アナタだけが、わたくしを普通の人間として扱ってくれる。アナタだけが、わたくしを癒してくれるの」
アスターは羞恥心から顔を背けている。
ノイアはそんな少年の顔に手をやって、自らの方に振り向かせる。
目と目があった。視線を逸らすことを少女は許さない。
「それを分かってくれなくちゃ、わたくしは悲しくってよ」
「ノイア様を、癒せるのは僕だけ……」
それがノイアの望みから外れた、偽りの願いなのだとしても。
アスターの心の中で、それは真実となった。
「分かったなら、末永くわたくしを想い続けなさい」
「……はい」
その後、二人はしばらく唇を重ね合っていた。
執事としての教育は、アスターにとって過酷ではあったが楽しかった。
まず基本的な言葉使いや作法を学び、次に読み書きや数の勘定という一般教養を学び、最後に主人の護衛に必要な魔術式などを一通り修めていった。空っぽだった少年は貪欲に知識を吸収していった。
屋敷に来てから二週間が経ち、アスターへの執事教育が終了する日のこと。
「アスターよ」
執事長ランドンは基本の魔術を教えていくうち、少年の中に才能を見出していた。
「お前には魔術の才がある、特に火術の扱いは大したものだ」
「はい、ありがとうございます」
「お前が望むなら、もっと高度な教育を受けさせよう」
アスターはパラディールの家に来てから、与えられてばかりだった。
「どうする?」
そんな彼に、初めて自由な選択を迫られている。
「……できるならば、お願いします」
二週間前と違い、アスターは空っぽの少年ではない。
(ノイア様を守れるのは僕だけだ。もっと強くならなくちゃいけないんだ)
今のアスターには、自分で物事を考え、答えを出せるだけの中身がある。
その根幹を成すものが、ノイアへの崇拝に過ぎなくとも――彼は野生動物から、人間的な知性を手にしていた。
アスターは、教育先として紹介された場所に足を運んでいた。
そこは、ウィンデル街の冒険者ギルドだった。
冒険者にとって、魔術はダンジョン攻略に欠かせない要素のひとつであり――上位の冒険者ともなると、扱いだけならば魔術を専門に研究している魔術師と同等かそれ以上に使いこなせると言われている。
「いらっしゃいませ、わたくしは受付嬢のクリルと申します」
受付嬢の女性に、アスターは魔術を学びに来たと告げた。
「はい、ランドンさんから話は伺っております。少々お待ちくださいね」
クリルはピョコピョコと跳ねながら、ギルド内で魔術書を読み耽っている紫髪の男性に声をかけている。二言三言会話を交わすと、その男性はちらりとアスターの方を一瞥した。そして男性はゆっくりと立ち上がると、会話を終えてクリルと共にやって来た。
「アスターさんお待たせしました、この方があなたの魔術指南を担当します、アルゴノーツさんです」
アルゴノーツと呼ばれた男性は、目を細めて話し始めた。
鋭利なアホ毛が特徴的で、一度見たら忘れられそうにない風貌だった。
「初めまして。君が魔術を学びたいっていう執事の子だね?」
「は、はい」
アスターはこの人物に、どこか人間離れした雰囲気を感じていたのだが――違和感以上のものは掴めなかった。
「あはは、堅くならなくてもいいさ。ボクはキミの主人ではないし、補欠で呼び出されただけの三流魔術師なんだから♪」
「ほ、補欠?」
クリルが大きな咳払いをひとつしたので、場所を変えようと男は提案した。
アルゴノーツはアスターを引き連れて、ギルドの外を歩いている。
「さっきも言ったけれど、ボクは三流魔術師さ。というのも、ウィンデル支部の高位魔術師でヒマそうなのが見つからなかったんだろうね。それで、仕方ないから白羽の矢がボクに立ったってワケ」
アルゴノーツは、親指と人差し指で輪を作った。
「パラディール家の依頼ともあれば、斡旋手数料も馬鹿にならないからね♪」
ギルドとしては、猫の手を借りてでも依頼を達成したいということだろう。
「………」
「ん、チェンジ希望かな?」
「そういうわけじゃなくって――アルゴノーツさんは、いつもお暇なんですか?」
「うーん」
アルゴノーツはその問いに、本気で悩んでいた。
「否定はできないかなあ。最近はニンゲン観察してるぐらいにはヒマかもね」
「ニンゲン観察って……」
「ま、細かいことを気にしてたら負けさ」
アルゴノーツに連れられて西通りへ進んでいくと、高級住宅に混じってひっそりと建てられた古い建築物が見えてきた。そこに入っていき、薄暗い空間の隅にある地下への階段を下りていくと――見るからに工房と言わんばかりの部屋にたどり着いた。
「はい、ここがボクの十二番目の魔術工房」
真ん中に置かれた机の上には、羊皮紙や書物、薬瓶やランプなどが置かれている。
奥の床には、血痕のような赤い何かで魔法陣が描かれていた。
「それって、他にもあるってことですよね?」
「当たり前じゃないか! 隠れ家が多いほど、借金取りのコワイお兄さんから逃げやすくなるからね♪」
「は、はぁ……」
アルゴノーツが指を鳴らすと、ランプの火が点き部屋が明るくなった。
「さて、やるからには大真面目にやるよ」
アルゴノーツは、アスターに白色の木の葉を渡した。
「まずは、キミが持っている魔力量の測定でもしようか」
「魔力を込めれば、いいのですか?」
「いいや、それは触れてるだけで勝手に魔力を吸い取っていくんだ」
アスターは、葉っぱの茎を指先で弄んでいる。
「先天的に持っている魔力が多いほど、高度な魔術式を使いこなせるってことになるね。魔術師っていうのは才能ありきの存在なんだ」
「魔力が多いほど、強いってことですか?」
「強くなれる素質があるってことだね。才能があっても、出力訓練をしなければ十全には力を引き出せない。ま、強くなるなら努力も必要ってことさ♪」
アスターの魔力を吸い取っているのか、木の葉はみるみるうちに赤く塗りつぶされていく。
「なるほど、火属性の魔力なんだ」
木の葉は全てが赤く染まると――そこから一気に燃え上がって消失した。
アスターは驚きのあまり、地面に尻餅をついている。
アルゴノーツは何かおかしいのか、ニヤニヤと笑っていた。
「こ、これはいったい……」
「その葉っぱはね、触れた魔力を無尽蔵に吸い取って自分のものにしてしまう『魔食樹』というモンスターのものなんだけど、普通のヒトなら葉っぱ全部の色が変わったりはしないんだ。で、変わった色の広さで魔力量を大まかに測れるんだけど、キミの場合は許容量を越えてしまった、ということさ」
それは、著しく膨大な魔力量を有している――と言い換えることができる。
「これなら、魔術の教育を受けさせたいって思うわけだ」
「………」
アスターは思う。
自分には魔術の才能がある――それを極めれば、ノイアを守ってあげられる。
「アルゴノーツさん」
「ん、チェンジ希望かな?」
「改めてお願いします――僕に魔術を教えてください!」
アスターは頭を下げていた。
それを見たアルゴノーツは、困ったように頭を掻いてから――邪悪な笑みを、浮かべていた。
「分かった。ボクに出来ることなら全力で教えるよ♪」
こうして、アスターはアルゴノーツに魔術の指南を受けることになった。
そして、彼の元で炎の剣を具現化する『ヘパイストスの炎剣』を学び、固有術式である黒き太陽『メメント・フェカトゥム』の開発まで至ることとなる。




