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ウィンデル街には、毎晩どこからともなく『化け物』がやってくるという。
貢ぎ物として要求した、食料品を取りに来るためだ。
そして――彼の要求を叶え続ける限りは、人々の日常が保証されている。
以上が、バラッドが街で集めた『誰そ彼刻』の委細である。
だが――今日に限って、持ち込まれた食料品のいくつかに毒が仕込まれていた。
街の脅威を排除しようと、何者かが良かれと思ってやったのか。
いずれにしても、それが化け物に見抜かれ、怒りを煽ってしまう結果となった。
約束されていたはずの日常は、いとも簡単に崩壊してしまったのだ。
凄まじい破壊音、次々に燃え上がる建物。
静かな闇を激しく攪拌するように、喧騒が街中に波紋のように広がっていく。
「まずいことになりましたね」
突然明るくなった街を見て、バラッドはそう言った。
「さっきの奴アンデッドなんだろ、だったらアンタの管轄じゃないのか?」
アンデッド専用の討伐機関に属するなら、バラッドの仕事だろうと。
しかし、彼は露骨に嫌な顔をした。
「上級アンデッドを相手にするなら、自分ひとりでどうにかなるとは思えません」
「それでも、ギルドの指揮を執るとかよ」
「それは、不都合があるんじゃないでしょうか」
「不都合?」
「あのアンデッドを本気で倒したいなら、直接デイヴォートに応援要請を出せば良いではありませんか。だというのに、それに関係する依頼――ウィンデル街からのアンデット討伐依頼は、ギルドを含めても存在しませんでした。つまり、あれを倒してしまうことは、街にとって何かしら不都合なことがあるのではないかと」
「なるほどな」
先ほどのアンデッドが与える被害といえば、せいぜい食料品を奪うことだけ。
約束を履行しているあいだは、放っておいても良いぐらいの脅威だ。
「ですから、自分は様子見を決め込むことにします。今回の騒動は街の落ち度であり、なんとかするのも街の努めですからね」
「対岸の火事として、黙って見ていろってことか」
「ここはこらえるべきです。嵐のように、通り過ぎるのを待ちましょう」
ザッツは目を伏せて、歯がゆい思いに駆られている。
上級アンデッドだろうと、もともとは人間が蘇ったものだ。なぜ魔獣のごとく畏れ、災害のように扱わなくてはいけないのか。
「ボクは納得いかないけどね?」
聞き覚えのある声に、視線を上げる。
いつの間にか起きていたニナと、付き添うようにやってきたサカナ。
そして、切っても切り離せない悪夢――シャーリィがラウンジにやってきた。
「おにーさんだって、本心ではなんとかしたいと思ってるでしょ?」
「ああ、お前の言うとおり、さっきからムラムラしっぱなしだ」
ザッツの内に煮えたぎる正義感が、あの化け物を止めろと叫んでいる。
いつからこんなにも、熱くなってしまったのだろう。自分の命を顧みずに、誰かを守るために戦わなくてはいけない――そんな使命感を抱くようになっている。
「できる限りは、やりたいと思うのよオレちゃんは」
ザッツは壁に立てかけた波状槌を手に持って、ルームチェアから立ち上がった。
「行くのですか」
「ああ。倒せなくても退かせりゃいいだけだ。避難できていない住民を助けるだけでもいい。とにかく街にとってできることをする、それだけで動く理由は十分だろ」
ザッツは視線をバラッドからシャーリィに向けた。
「というわけだ。オレちゃんたちは外に行ってやりたいことをやってくる。玄関の扉を開けてくれるよな、オーナー?」
「ふふふ……」
答えはすぐに帰ってきた。
「さすがはイーギルちゃんの兄弟よね、情に厚いところなんてそっくりよお」
「顔を赤らめるな、気持ち悪い」
「ふふっ、もちろん止めはしないわ。いっしょに暴れちゃいましょう?」
お前もついてくるのか、という言葉をザッツは飲み込んだ。
「わ、わたしも行くからねっ」
「無理しなくても、いいんだぞ」
サカナは、ザッツの瞳をじっと見つめている。
わたしも戦えるから信頼しろと――彼女の真っ赤な目は、雄弁に物語っている。
「行くぞ」
「うんっ」
ホテル『ドゥルネシア』の入口が開く。
火の海が広がるウィンデル街へ、ザッツたちは勢いよく飛び出した。
「最近の若者は、血気盛んで羨ましいことですね」
バラッドは、彼らの背後を目で追いながら呟く。
「毒を忍ばせたのが申し訳なくなります――さすがに急進的すぎたでしょうか」
炎に揺れる影が、街の至るところで散見できた。
悲鳴をあげて逃げ惑う人々。風に乗ってやってくる血の匂い。建物の崩壊する地響きと衝撃音。この破壊行為を全て、ひとりのアンデッドがやったというのか。
ならば――これを惨劇と呼ばずして、何を惨劇と呼べばいいのか。
「はいはーい、ちゅうもーく!」
しかし、そんなときでも。
シャーリィという女は、どこまでもマイペースで能天気だった。
「パーティ行動で必要なのは協調性ですよお」
「こんなときにまた仕切ろうとしてんのか、お前は」
「こんなときだから、でしょ」
そう思っていた矢先。
シャーリィの顔は突然、真剣なものに変わっている。
「いい? 街を想って動いてくれるのは嬉しいわ。私だってここに来てまだまだ新参者な方だけど、暖かく迎えてくれた素晴らしいところよ。でも、いくら気持ちがあったって、実利ある行動が伴わなければ意味がない。だから私が、仕事を割り振ることに決めたからね」
商才が開花したと言うだけあり、彼女は徹底的な実利主義者のようだ。
仕切られるのは少し癪だったが、先のダンジョンの一件で全滅しかけたところを助けてくれたのだから、ザッツたちは彼女に黙って従うことに決めた。
「まずはサカナちゃん!」
「うん」
「あなたは召喚魔術を使って、要救助者の捜索にあたること。あのコボルトちゃん、腕力と機動力に優れてるみたいだったからね。どう、できる?」
「だいじょうぶです、できます」
「よろしい。行き先で同じような活動をしてる人が居たら指示を仰ぐこと。『化け物』に見つかったら全力で逃げること。それが分かったなら、さっさと行きなさい」
「は、はい」
サカナは頷くと、地面に魔法陣を形成し――キングコボルトを召喚した。
少女はコボルトの太い腕に担ぎ上げられると、そのまま炎上する街へ走っていった。
「次はニナちゃん!」
「なんだか、ボクの苦手な上司を思い出したよ」
「無駄口叩いてると、腐らせるわよ」
「ごめんなさい」
ニナの脳裏に、シャーリィがギルドで見せたおぞましい腐食の魔術式がフラッシュバックする。
「素直でよろしい」
「それで、ボクのお仕事はなんなのさ?」
「あなたの大剣は、威力が自慢なのでしょう。それを活かして、消火活動にあたってもらうわ」
「で、でも……、ボクの『法技』は風属性で、火を強めちゃうんだよ」
ザッツの説明した六芒星輪にあったように、火属性は風属性に優位性を持っている。ニナのドラゴンズ・ブレスがいかに強力といえど、この法則の支配から逃れることはできない。しかし、シャーリィが言いたいのはそうではない。
「吹き消せって言ってるんじゃなくて、延焼が広がらないように建物を壊すの」
「あっ、そうか」
ようやく意図を理解したニナは、腿のホルスターからナイフ――それはみるみるうちに大剣の形を取っていく――を引き抜いた。
「それならできるよ、おねーさんっ」
「くれぐれも、人を巻き込まないように気をつけるのよ?」
「うん、行ってくるっ」
ニナもまた、サカナと同じように燃え盛る街へと繰り出していった。
「認めたくねーけど、流石だと言いてえぜ。アンタが居なかったら、オレちゃんたちは行き当たりばったりの人助けだったかもしれないからよ」
「無駄をなるべく省くのが、経営者としての務めよお」
「それだけ聞くと、なんか生きにくそうだ」
「うん、たまに自分の合理的なトコが嫌になったりするかな」
シャーリィはふっと微笑んだ。
「さて、残るは私たちだけど」
「一緒に行動するのか」
「ええ、元凶をなんとかしないと、被害は拡大していくばかりだからね」
要するに、件の上級アンデッドと戦えということか。
ザッツはシャーリィの戦う姿をまだ見ていないが、矢筒を背負い木製の長弓を持っていることから、彼女が遠距離専門であると判断した。
「ザッツちゃんに化け物を引きつけて貰って、その隙に私が射るって感じかな?」
「それ、下手したら死ぬかもしれねえな」
「そうねえ……、これはさすがに、女の子には任せられないお仕事かなあ」
「アンタも女だろ、いいのかよ」
その言葉に、シャーリィは顔を赤らめた。
「やだ、ザッツちゃんったらイーギルちゃんみたいなこと言うんだから。カレに内緒で食べちゃおっかな」
「悪いが、そういう意味では女として見てねーからな」
「ふふ、そうね。あなたにはサカナちゃんって『お友達』が居るもんね?」
「………」
お友達。
何気ない一言が、ザッツのやりにくさを加速させた。
シレットあたりには彼氏と煽られていたが、からかいは親近感になることから、姫様流の会話術だったのかもしれない。
それに対して、シャーリィは現実的な物言いをする。
そう、あまりにも現実的な関係性を指摘されて、彼は戸惑っている。
「ごめんごめん、気を悪くさせちゃったかしら? ダンジョンでふたりっきりのとき、サカナちゃんに触れるの躊躇ってた気がしてたから」
「どこから見てたんだよ」
そこで見抜かれていたのか――とザッツは驚いた。
「男女関係を妄想するの、楽しくって」
「妄想かよ! いや、間違ってねえけどよ」
間違ってないところもまた、怖い。
「そうさ……、シャーリィ先輩の言った事は正しい」
「先輩って、なんだかくすぐったくて嫌だわあ。お義姉さんって呼・ん・で♡」
「………」
「………」
「な、なんつーか。人生の酸いも甘いも味わってるってか……、ただのストーカーじゃねえなって思ったんだよ」
「でもでも、ザッツちゃんが彼女を大切に想ってるのは、間違いないでしょう?」
「……そうかもな」
サカナの純粋な気持ちを受け入れて、不安も喜びも共に分かち合っていきたい。
それはきっと、ザッツの本心であるかもしれなかった。
しかし、サカナの気持ちに応えてしまえば、
『また』自分を庇って、死んでいく――そんな気がしてしまって。
「でも、オレちゃんはイーギルと違って……、ダメな奴なんだよ」
「ザッツちゃん……」
表情が曇るザッツに対し、シャーリィは彼の肩を叩いた。
「想い合ってるなら、それでいいじゃないの。恋人同士にならなくたって、愛の形はいくつもあるわ」
「………」
「ザッツちゃん?」
「アンタがイーギルにやるストーカー行為も、愛になるのか?」
「も、もちろんよお!」
ストーカーであることを認めていくのか――ザッツはおかしくて笑ってしまう。
「だから……、生きて帰りましょうね?」
勝っても負けても、這ってでも生き延びる。
サカナのことを想うなら、正義感に燃えて死ぬより、生きる方が大切だ。
「分かってるさ、死ぬつもりは毛頭ねえ」
ザッツは波状槌を肩に担いだ。
「いっちょやってやるか、ヴァンパイア退治ってやらをな」
街の中心部から、けたたましい剣戟の音が聞こえてくる。
どうやら件の化け物が、誰かと戦っているらしい。
ザッツとシャーリィは顔を見合わせ頷くと、騒ぎの方へと駆け抜けていった。




