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ホテル『ドゥルネシア』はお世辞にも綺麗とはいえないが、ザッツたちのほかに宿泊客がいないわけではなかった。日が暮れてから人の出入りは激しくなり、ラウンジで一人くつろいでいたザッツは、ロビーを通り過ぎていく人々をじっと眺めていた。
「こんなボロ宿でも、泊まっていく人はいるんだなあ」
人のことを言える身ではないと分かっている。
探せば他にも宿はあるだろう。しかし、この街は王都アースアルムのお膝元。質の良い場所ばかりが目立ち、ひと部屋ひと晩銀一枚は支払わなくてはいけなかった。それに比べれば、『ドゥルネシア』は銅三枚(銅は十枚で銀一枚に相当する)という破格の値段設定であり、見事に差別化されている。お金のやりくりに苦労しているザッツにとっては、安かろう悪かろうでも大助かりだった。
「おっと、こんなこと聞かれたら何されるか分かんねえな」
ついつい、ザッツは周囲を見渡してシャーリィの姿を探してしまった。
シャーリィの言葉を信じるならば、彼女はこのホテルのオーナーらしいので、滅多なことを言えば何か悪いことが起きるかもしれない――と、未だにザッツはシャーリィの恐怖に絡め取られたままでいる。
「それにしても外でやってるありゃ、なんだ?」
ザッツは窓の外に視線を向けた。
建物の外は大きな広場になっていて、その中央には石の台座が置かれている。
そこに住民たちが一人ずつやってきては、肉や果物など食料品を置いていく。
「収穫祭――にしては時期も外れてるし、寂しいような」
「あれは貢ぎ物らしいですよ」
いつの間にか、隣りのルームチェアに腰掛けていた男性が語り始めた。オレンジ色の長髪に、漆黒の外套を纏い、銀のロザリオを首にかけている。テーブルの上に本を置いた手には、白い手袋をつけていた。
「なんでも夜な夜なやってくる化け物に、住民たちは供物を捧げているとか」
「なんじゃそりゃ、『魔獣大戦』以前の文化かよ」
『魔獣』と呼ばれる存在がまだ地上を闊歩していた頃、人々は彼らを神の使いと畏れ、生贄を捧げたという話が数多く残っている。
「ここには冒険者ギルドもあるんだぜ、化け物を退治するとかできるだろ」
「できないからこそ、ああして要求を呑んでいるのでしょうね」
しばらく眺めていると、食べ物が並べられた台座に近づく者はなくなった。
そして、広場は人影ひとつ見えない――異常な光景になっている。
「おいおい、マジかよ」
街中の明かりが徐々に消えていく。
これは件の化け物を、街に迎え入れるための準備らしい。
「お客様、これより『誰そ彼刻』となりますので、当ホテルは入口を封鎖させて頂き、しばらく明かりの方を落とさせていただきます。ご了承ください」
ロビーで従業員が説明を終えると、ホテル内部の明かりは消えていた。
夜空の星の瞬きと、月の煌々とした輝きが窓から差し込んでくる。
「これから、どうなるんだ?」
「それは自分にも分かりません、何しろ本日この街にやってきたばかりなので」
「そうか、オレちゃんたちと一緒だな」
「………」
「あん?」
「同じ乗合馬車に居たのですが、気づきませんでしたか?」
気付かなかった。
こんな目立つ格好をしているのならば、記憶に残っててもいいはずなのに――ザッツはまるで、思い出せないでいた。
「すまねえ、さっぱりだ」
「やはりですか、職場でも影が薄いとよく言われます」
「職場って、教会の神父でもやってるのか?」
「分かりますか?」
胸に掛けた十字架、黒の祭服などを考えれば想像に難くない。
「しかも、ただの神父じゃねーな」
靴のすり切れ具合や、祭服の修繕跡から――ザッツはこの男を、『動くタイプ』の教会関係者であることを見抜いた。
「いやはや、まったくその通りです。自分はラウグ教会暗部、アンデッド討伐機関『デイヴォート』のバラッドと申します」
「暗部って言っちゃうのかよ」
「秘されるべき部署でしたからね、少なくとも三十年前は」
三十年前。
アンデッドによる被害が、ミステア大陸全土で確認されていた時期だ。
一部の高等アンデッドの存在によって、人類存続の危機に陥っていた――とまで言われていたらしいのだが、全ては水面下で行われていた戦いだったために、一般にその情報が流布されることはなかったのである。
「昔のことは置いとくとして、さっき冒険者ギルドに行ったときに聞いたぞ。闇属性ダンジョン『逢魔の洞窟』の調査をするために、アンデッド討伐機関に光使いの派遣を要請したってな」
「ええ、それは自分で間違いないのですが……」
「何か問題でもあるのか?」
「ギルドで話を伺ったら、ちょっと困ったことになりまして」
ザッツたちがギルドから出た後、入れ替わりでバラッドも訪れていたようだ。
「自分は『アンデッド狩り』という名目で呼び出されたわけでして、『光使い』として闇属性のモンスターと戦え――とギルドが仰るなら、筋違いも甚だしいということです」
バラッドは静かな怒りを露わにしている。
どうやら、冒険者ギルドとアンデッド討伐機関で齟齬が生じているらしい。
そこでバラッドは、思わぬことを口にした。
「そうでしょう、ダンジョン破壊屋のザッツさん?」
教えてもいない自分の名、そして生業を言い当てられて、ザッツは困惑する。
「参ったな、名前まで割れてるのか。読心術か何かかよ」
「いえ、お名前は乗合馬車のなかでお連れさんが仰っていましたよ。お仕事の方はこれでも暗部繋がりですからね。武器についた紋章の意味を知っているだけです」
ザッツの武器、波状槌の打撃部には――ダンジョンブレイカーであることを示す紋章が刻まれている。その意味を知るものは、ダンジョンの手入れを必要とする『偉い人』から、社会を裏で支えている暗部の繋がりなど、必然的に限られてくる。
「話を戻すけどよ、オレちゃんからもお願いできないかな」
「何がです?」
「『逢魔の洞窟』の調査協力の件だよ。このままじゃ、王都へ向かう道の封鎖がいつ解かれるか分からねえ。オレちゃんムラムラしっぱなしになっちまう」
「さすがに約束できませんよ。光属性の魔術式を使いこなせても、モンスターを相手に訓練をしてるわけではありませんから」
「だよなあ」
アンデッドとは、現世への未練から蘇った人間の死体のことを指す。
モンスターと同じく『人に害をもたらす』存在であるが、戦い方が変わってしまうとバラッドは言いたいようだ。
「こういうのは、ザッツさんの方が向いてるでしょうに」
「ダンジョンを殺せと?」
「ええ、コアがなくなれば、ボスモンスターも消滅するのでしょう?」
「そうすれば、生態系を乱した原因もなくなるってことか」
ボスモンスターは、ダンジョン内で最も強靭な存在にコアが力を与えて誕生する。ダンジョンが自らの身を守るための、実質的な召喚魔術と言っていい。つまり、コアが破壊されてしまえばボスモンスターは力が維持できなくなり、消滅か弱化してしまう――というわけだ。
「結果として生態系は元通りになる――理屈は分かるんだけどなあ」
「さすがに『大迷宮』ですと、きついですか」
「中がどうなってるか分からないから、なんとも言えねえが……、本当にそれだけで解決する問題なのか?」
ダンジョン最奥に住み着くような、強力モンスターが街道に溢れかえっているという異常な状況。先に説明のあった『誰そ彼刻』といい、ウィンデル街に来てからおかしなことが多すぎる。
「………」
突然、バラッドの顔が強ばった。
暗がりのなかで、空気が張り詰めている。
「どうやら、誰そ彼刻の『化け物』が来たようですね」
「人は襲わねえのか、そいつ」
「分かりませんが、静かにしていた方が身の為でしょうね」
ザッツたちは無言のまま、窓の方へと視線を向けた。
四角く切り取られた、暗夜の世界。
声もない、明かりもない。ひたすら静かで、暗くて、厳かで。
窓から先の世界が、凍りついてしまったかのよう。
例えるなら、時間の流れが感じられない、静的な平面を演じる風景画。
この瞬間、この一瞬、ここしか存在しない一枚絵。
そんな偶然を、塗り潰すように――台無しにするように、『彼』は上から降りてきた。
空から垂れた人影は、静かに石畳へ舞い降りた。
そして何事もなかったかのように、人影は台座を目指し歩いていた。
鳴り響く靴音――何気ない日常音を皮切りに、確かに世界は動き始める。
「人間、なのか?」
ザッツは小声でそう呟いたが、バラッドは頭を振る。
「あれは、人間じゃないです」
「ということは」
「ええ、我々の管轄ですよ――それも上級アンデッドです」
上級アンデッド。
復活を成し遂げた死者の中でも、非常に強い魔力を有した者が分類される。
「大抵のアンデッドは、知性が失われ本能だけで動く人形になってしまうのですが、上級と分類される存在はそうではない」
「生前となんら変わらず、それでいて死なない存在ってことか」
「ええ、ですが――」
どこかおかしい、とバラッドは違和感を覚えた。
「アンデッドであるならば、人間の食料は口にできません」
「そうなのか」
「少なくとも、そんな存在は見たことも聞いたことありません。アンデッドというのは、魔神マナンが人類を滅ぼすために用意した――『魔獣』に続く、第二の尖兵ですからね。ゆえに彼らは、人間の血肉しか食べることができないのです」
「神の話は余計だろ、だからラウグ教ってのは嫌いなんだ」
「すいません、神に仕える身である以上、教義を語らなくてはいけないのです」
「まあいい、つまりアンデッドってのは、ヒトと同じ食事はしないんだな?」
「そのはずですが」
その人影は、台座の上に溢れる食料品を、ひたすら物色している。
彼は積まれていた果物のひとつを手にとると、回しながら入念にそれを確認している。傷でも気にしているのか、首を傾げている。
「何やってんだ、あいつ」
彼は食べるでもなく、ずっと眺めたままでいた。
が、おもむろに匂いを嗅いでいる。
そして。
「……ふざけるなよ」
彼は静かに、怒りを含んだ言葉を口にした。
その果物を地面に投げ捨てると、靴の裏を押しつけてすり動かした。
「毒を入れて、バレないと思いましたか」
少年の真っ赤な瞳が爛々と照り、夜の闇を不気味に照らしている。
「それとも――まだ痛い目を見ないとわかりませんか、この街は」
その言葉に、ウィンデル街は震えていた。
彼を見ていた静かな観察者たちに、次々と恐怖が伝播していく。
「ノイア様ごめんなさい、今日は帰るのが遅くなりそうです」
上級アンデッド、吸血鬼の少年アスターは――今宵も『化け物』として振舞うことに決めた。




