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日はすっかり沈み始めているが、テリーヌは暗くなる前に城塞都市キルドライグに戻って来られた。そして、白いドラゴンに導かれるままユズの家へ赴いていた。このドラゴンは、少女が方向音痴だということがきちんと分かっているらしい。
「ユズ先生、帰ってきましたよ」
少女が扉をノックしても、返事はなく――少し遅れて、錠の外れる音がした。
扉が軋みながら少しだけ開くと、ユズが相変わらず不機嫌そうな表情を浮かべて現れた。
「お主か。…窓からではないとなると、優秀なエスコート役でも居たかな」
ユズは白いドラゴンの姿を認めると、それを撫でてやる。
「ウルスラじゃないか」
「えっ、この子に名前がついてたんですか」
「なんじゃ、聞いておらんのか。こいつはルーヴァスの愛竜でな、これがなかなかに賢い。下手な司書補よりは仕事をするぞ」
「そうなんですか。…でも、確かにこの子が居なかったらあたし、駄目だったかもしれません」
密漁団に捕まったときは、見捨てられたかもしれない――と少女は思っていたが、ウルスラは助ける機会を合理的に、じっと窺っていたのだろう。
「横取り計画は、成功したのじゃな?」
「ん、成功といえるかは怪しいですけど、ひとつだけ持って帰ってきました」
テリーヌは、麻布で包み込んだ卵をユズに見せた。
「立ち話もあれじゃな、上がっていくがいい」
ユズは少女を家の中に招き入れた後、食料の備蓄から生肉を取り出して、外にいる白いドラゴンに与えた。
ウルスラは、嬉しそうにそれを食べている。
「お主もご苦労であった。結果をルーヴァスに報告に行くとよい。…そうそう、これも一緒に届けておいてくれ」
ユズは羊皮紙に羽ペンで文章を記すと、それをウルスラに装着された鞍の隙間に差し込んだ。ウルスラは与えられた肉を平らげると、一鳴きしてから夕闇に沈む街を駆け出していった。
「それで、お主が持ち帰ってきたのが――この卵というわけか」
机の上に置かれた、戦利品を改める。テリーヌは卵を包んでいる布を解いていくと、中に入っていたのは――紅を基調にした、まだら模様の卵だった。
ユズの眉が吊り上がる。
「さて、どう反応するべきか悩むものじゃな。考えられるセンはひとつしかないのじゃが、あえて訊かせてもらおう。…お主、どうやってこれを手に入れた?」
「九代目のキルドライグの領主様、ルシルさんに譲って頂きました」
「だろうな」
ユズは肘掛け椅子にどっかりと腰を降ろす。
「禁猟区どころか禁足地に指定された場所。キルドライグ家に連なる者しか入る事の許されない神聖の地。そこにのみ生息する、『紅の飛竜』の卵じゃな」
『紅の飛竜』といえば、ルシルの連れていたワイバーンのことになる。
「でも、『紅の飛竜』の卵は――こんな模様をしていなかったはずです」
テリーヌの記憶が正しければ、書物で図解されている『紅の飛竜』の卵はまだら模様などではなく、もっと派手な柄をしていたはずだった。
ユズはその理由を淡々と話し始める。
「本物の卵の柄を載せるわけにはいかないからな。王族の象徴たるワイバーンの卵とあれば、非常に価値の高いものとなる。図解されているものは、密猟対策になっているというわけだ。洞窟にはダミーの卵も置かれているしな」
もともと領主の娘だったからこそ、ユズは王家の卵事情に詳しいようだ。
「では、経緯の方を説明してもらおう」
「ええと、ルーヴァスさんの計画通りにまずは密漁団のアジトに近づいたんですけど、あたしが失敗して捕まってしまって――」
テリーヌは密漁団に捕まったことから、謎の力が発現して窮地を脱したこと、散歩中のルシルに出会ったことなど、包み隠さず説明を終えた。
「成る程な。…まさか母が、私の誕生日祝いを用意してくれてたとは」
ユズは相変わらず感情を顔に出さず、ヤアマト国の緑茶を一口飲んだ。
「しかも、よりにもよってワイバーンの卵か。…持て余すだけじゃないか、それは」
「でも、ユズ先生のことを思ってるからこそだとあたしは思います。ユズ先生はこれを、受け取るべきなんじゃないでしょうか」
ユズはその問いに答えず、しばらく上方をぼんやり眺めてから呟いた。
「私を恨んでは、いないのだろうか」
「恨んでたら、あんな寂しそうな顔はしませんよ」
「そうか。…そうじゃろうな」
「先生の方こそ、ルシルさんを恨んでたりしないんですか?」
「それは――私にも分からない、と言うべきかもしれんな」
「そう、ですか」
「愛情があったことは、理解しておるのだ。…だが、その愛情に応えることができずに、私はこんなにも歪んでしまった。こうして母が私を思い、祝いの品を用意してくれていたのだとしても――嬉しい気持ちだけでなく、漠然とした恐怖が綯交ぜになってしまっている。そして、私の理性は心の混乱を許さず、空虚な気分へとすげ替えていくのだ」
「先生の理性が、自分の気持ちに嘘をついているのですね」
「そうでなくては壊れてしまうと、『私の手綱を握っている私』は考えているらしい。…人間としては壊れているのにな」
ユズは、自己矛盾の塊で救いようがない。
テリーヌは、ルーヴァスの言葉を思い出した。彼が抱いていた、放っておけないという気持ちも分かる。
「さて、私のことはいいじゃろう。先ほども言ったが、私ではワイバーンの卵を持て余すだけじゃ。それは正真正銘、お主のモノにするが良い」
「はい、ありがとうございます」
「育成方法ももちろん教えてやる。書物には載ってないはずじゃからな。そうだな――竜車を引かせることを考えるならば、まず一週間ほど孵化に要する。次に十分な体格に成長するまでが三週間。合わせて一ヶ月近くあれば、お主の旅が可能になるじゃろう」
「一ヶ月、か」
「お主はいつ旅に出たいかを決めるがいい。それに合わせて、私の方で卵に凍結式を掛けておくからな」
「一ヶ月後で、大丈夫です!」
テリーヌの旅は、どれだけの時間が掛かるか分からない。
目標である国家騎士になるまでの三年間。そのモラトリアムを、少女は最大限活かしたいと考えていた。
「そうか。なかなか急な話だが、お主が決めることだからな。…では、明日から孵化を始めるとしよう」
「は、はいっ」
「それともう一つ、お主の話で気がついたことがある。これは、お主の出生に関わることかもしれないことじゃ」
「えっ……」
テリーヌが何よりも知りたかった、自分の出生についてのヒントを――ユズ先生は見つけたというのだろうか。
「お主が死に瀕したときに発動したという氷の魔力による暴走。それは血脈で受け継がれる魔力結界ではないかと推測しておる」
「それは、いったいどういう」
「人は生まれながらにして、適した魔力属性が決まっておる。これは両親から代々受け継がれるものというのは、学校で教えたから知っているな?」
「はい」
「親から子へ受け継がれるのは、魔力属性だけではない。…親が有していた、魔力結界も引き継ぐことがある」
「それはおかしいですよ。魔力結界も元を辿れば魔術式。詠唱や装身具が必要じゃないですか」
「高位の魔術師は、流れる血に式を刻むことができる」
「え……」
「それは消えることのない血の因果となる。連綿と潜在的な魔力結界が次世代へ受け継がれていく。…主の窮地を救ったのは、その因果が目覚めたことによるものだと私は思う」
「だ、だったら、あたしのお父さんの家系は――凄い魔術師だったってことですか?」
「可能性としては否定できんな。…しかし、手掛かりにはなるのではないか。道に迷ったときは、それを道しるべにすれば良いはずじゃ」
「……はいっ」
話が一段落ついたところで、窓からぺしゃりという音が聞こえた。
「ん、せっかちな奴じゃな、あやつも」
そこには羊皮紙が張り付いており、ユズはガラス越しに目を通した。
「ルーヴァスからじゃな。ま、奴の性格じゃから、すぐにでもディナーに誘われると思っておったわ」
「行くんですね」
「約束を違えるわけにはいかんからな。…せっかくじゃから、もう着ないと思っていたアレでも出してみるか」
ユズがクローゼットを開けると、奥の方にしまわれていた服を取り出した。
「せ、先生……、そんなの着るんですか?」
それは胸元と背中が大きく開いた、イブニングドレスだった。
「なんじゃ、私が着たらおかしいのか」
「だ、だって、冬場だと寒そうに見えるから……」
テリーヌは、ユズが地味な服装で教壇に立つ姿ばかり見ているため違和感を打ち消せないでいる。
それに、この衣装は食事の場所に相応しいのかどうか――高級なところであれば、ドレスコードに適しているのかどうか――などと、少女は案じている。
「ふっ、要らぬ心配などするでない。あやつの手紙には、肝心なレストランの場所が書いてなかった。ゆえにどんな衣装でも咎められることはあるまい」
「それなのに、そんな派手な衣装で行くんですか」
「私を好いている健全な男であれば、クラクラすると思わないか?」
「それって、悩殺するってことですか」
「さあな」
そこでテリーヌは合点がいった。
ルーヴァスはユズに酒を盛ろうと、あの手この手で迫るのだろう。
そして彼女は、その考えを既に看破しているはずなのだ。
「いずれにしてもこの衣装は、強力な閃光になるじゃろう。あやつの理性を吹き飛ばすくらいのな」
その上で、盛られまいと抵抗しているのか。
はたまた、乗ってやると決意を固めたのか。
「分かりません。ユズ先生の『心』がルーヴァスさんを誘惑したいのか、それとも『理性』が先生自身を護るためにやってるのか――分からなくなりますよ」
「実のところ、私にも分からぬ」
ユズは無表情のまま、少し声のトーンを落として言った。
「だから、私はあやつに全てを委ねることにする。もしかしたら、私の『理性』を組み伏せて、『心』までたどり着いて。私を巣食う病――自己矛盾という鎖から、解き放ってくれるかもしれんからな」




