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西の洞穴のダンジョンコアが破壊されていた、という噂がライツ村を訪れる冒険者たちのあいだで広まっていた。彼らの綿密な調査によって裏付けもなされ、探索的価値がなくなったそこは廃墟同然の烙印が押されてしまい、外からの客がすっかり減ってしまった村では閑古鳥が鳴いている。それが今からたった二週間前の話になる。
「覚悟はしていたけれど、こんなにも悲しくなるなんて、ね」
誰に話しかけるというワケでもなく、給仕服の少女――サカナは弱音を吐いた。かつては多くの新米冒険者たちをもてなし、叱咤激励と共にダンジョンへと送り出していったこの酒場も、今は見る影もないほどに寂しくなってしまった。いまだに癒えない傷を包帯の上から撫でながら、カウンター席にひとり突っ伏して無気力のまま過ごしていたとき、入口のスイングドアが軋む音が聞こえてきた。
「あ、いらっしゃいま――」
すぐに惚けていた頭を営業モードに切り替えて対応しようとするが、サカナが客の方へと目を向けると、その表情は凍りついてしまった。
「へえ、けっこうオサレな雰囲気ジャン。隠れ家的なお店ってやつか? あっ、オレちゃんはビールね」
「な、な、な…」
給仕服の少女は怒りで身を震えさせ、かすれるような声を捻り出した。
「なんであなたがここにいるのよ!」
「細かいことにこだわるやつだなあ、酒場に酒を飲みに来てわりーのかよ」
横柄な態度を取る赤髪の男――ザッツは無造作に丸テーブルのひとつを選ぶと、椅子を引いてどっかりと腰をおろす。それを見たサカナはため息を吐くと、しぶしぶとテーブルの上を拭き、カウンターの奥へ戻って樽型の木製ジョッキにビールを注いで叩きつけるように出してやった。少女の雑な応対など意に介さず、ザッツはヒュウとひとつ口笛を鳴らすと、ガブリと出されたビールを一口飲んだ。
「にっげえ、やっぱこんなの何がうめえのか分かんねえな」
「飲めないなら、なんで注文したのよ」
「そんなことよりお前、そんな格好できたんだな。もっとイモくさいのがお好みだと思ってたんだけどよ」
「は?」
じろじろと舐めるような視線で全身を見回され、サカナはお盆を抱きしめるような形で身を縮こませた。白と黒を基調にしたモノトーンの給仕服は、ダンジョンで着用していた地味なポンチョ服からは確かに掛け離れているだろう。白黒の頭巾は可愛らしくて気に入っているが、開かれた胸元は営業に有利だからと仕立て屋に言われて設えられたもので、彼女にとってはそれがネックとなっていた。男衆の好奇の目は、口コミで客をたくさん呼んでくれるが、未だ慣れないでいる要素だった。
「身長が足りてねえからなあ、色気がちょっと薄いっつーか…、まっ、オレちゃんとしてはもうちょっと清楚な方向性で整えたほうがいいと思うぜ」
体を持て余してるのはわかるけどな、と手で揉む仕草を作ってケラケラと笑う失礼な男に、サカナの怒りは頂点に達していた。
テーブルを両手で叩きつけて、酒場の中は静まり返る。
「ふざけないでっ…、わたしがこの酒場を支えるために、どれだけ頑張っているのか知らないで!」
少女は目に涙を浮かべている。
「でもそれも、もう終わったっ…、あなたが全てを終わらせた! ダンジョンが殺されて、わたしの酒場も殺された!」
血走った目でザッツの方を見つめている。
「あなたを、殺してしまいたいほどにわたしは憎いっ!」
「はぁ、めんどくせえ」
ザッツは体を傾けて酒場の外に目配せすると、何者かに中に入るようにハンドサインで促した。先程から様子を窺っていたらしい影が揺れると、杖を突く音と共に腰の曲がった老人が入ってきた。
「やれやれ、ここまで思いつめておったとはのう」
「て、テオドア村長」
テオドア村長と呼ばれた老人は、白い髭を指でいじっている。
「その若者を責めるのはお門違いというものじゃ。ダンジョン殺しの依頼を出したのはワシなのじゃからな。…本当にやってくれるとは思わなかったがの」
「村が危機に瀕していたことは分かってます。…でも、他に手があったはずです。コアを破壊しなくても、村とダンジョンの共生関係を続けられる方法が」
「かつて、そう言った男が村にいたんじゃがな」
テオドアは虚空に視線を移す。過去を思い出しているかのように。
「信頼できる男じゃったから、彼にはわしの考えを聞いてもらっていた。近いうちに件のダンジョンがこの村を食い潰すことをな」
「……」
「彼は酒場の主人で顔も広い。ゆえにダンジョンコアを破壊できそうな旅人が居たら斡旋してくれと頼んだわけだ」
「そ、それって」
「だが彼には守るべき一人娘がいた。酒場を畳んでしまっては、それしかできない不器用な男は守る手段を失ってしまう。だから彼は、村とダンジョンの共生関係を続けられる方法を模索したのじゃ。そこで企てた計画がケイブバットの大掃討。肉食であり人を襲うモンスターを優先的に排すれば、村への侵攻を食い止められると判じたのじゃ。人脈を駆使してビッグモスを乱獲し、吸音鱗粉を集めては小規模の討伐隊を組織した。新米冒険者ばかりじゃったが、鱗粉さえあれば苦もなく倒せるからな。そして、彼の指揮のもと何日もかけて中層に留まり、その数を減らしていった結果、」
「い、いや、聞きたくない!」
「ケイブバットを餌としていたグラスドラゴンが上層に訪れ、討伐隊を全滅させたのじゃよ」
サカナの顔は、聞いてはいけない言葉を聞いてしまい――知ってはいけないことを知ってしまい――血の気が引いていく。
「それが三年前の話――おぬしの父、シュコウの最期だ」
少女は、膝から崩れ落ちて、
「う、うそでしょ…、だってお父さんは、仕入れの途中で病に倒れたって」
「まだ幼い頃のおぬしに、真実を伝えるのは酷じゃった」
「……どうして」
目を赤く腫らしながら、蚊の鳴くような声で、
「どうして本当のこと、言ってくれなかったの」
と言った。
★ TIPS ★
「揺蕩う水面亭」――施設
ライツ村に存在する唯一の酒場であり、白黒の給仕服の少女が切り盛りしている。駆け出しの冒険者で賑わい情報交換も盛んであるが、小さな村であるために冒険者ギルドの支部などは存在しない。持ち込んだ竜肉を渡しドラゴンステーキを注文することがダンジョンボスの討伐証明とする習わしがある。
(酒の肴にするには、オレちゃんには向かねえなこりゃ)
苦い顔を浮かべながら、ザッツはそれでも酒を呷り続けている。そうでもしていなければ、この重苦しく居た堪れない空気に耐えられないからだ。
むせび泣く少女は徐々に泣き止んで、調子の戻らない声で言葉を紡ぎ始める。
「お父さんが死んじゃったの、わたしを守るためだったんだね」
「そうじゃ。…お主の無鉄砲さは見てるとあいつによく似ておるよ」
「そして、わたしもお父さんも、ダンジョンを甘く見てた」
サカナは指で目を拭ってから、ゆっくりと立ち上がる。
「分かった、もう、十分に」
少女は店内を見渡し始める。在りし日の記憶が蘇ってくる。父親の後を継いで、店主となってすぐは本当に大変だった。村人の助けもあってやってこれたが、息つく暇もなかった。余裕が出てからは、冒険者たちの話を聞いたり、酒と食事でもてなして喜ぶ顔を見たりと、その仕事が楽しいと思った。いつしかそれがサカナにとっての生きがいだった。…しかし、かくも残酷に、この酒場は早すぎる終わりを迎えてしまった。ちくちくと胸が痛み、また涙が溢れてきた。だけど、それでも、
「それでも、わたしは生きている」
ダンジョンに殺されるはずだったのに、奇しくもこの男に生かされてしまった。
ダンジョンに死を告げる、死神じみたこの男に。
「わたしの酒場は駄目になっちゃったけど、わたしはまだ駄目じゃないから…、ちがう生き方を探そうと思う。それがお父さんの望みだと思うし、生き抜くことがずっと守ってくれたこのお父さんの残してくれた酒場――揺蕩う水面亭に対する、礼儀だと思うから」
「そうかい」
村長はようやく穏やかな表情を浮かべて、サカナはもう大丈夫だ、と判じた。
そして、顔が赤みがかっているザッツへ顔を向ける。
「すまんな、長々と話し込んでしまって」
「アフターケアも仕事のうちさ、オレちゃん何もやってねーけどな」
「お前さんが居たからこそ、サカナに真実を告げることができたんじゃ。…本当にあんがとな」
「なんか照れくさくなっちまうなあ。…あ、ところでよじーさん」
ザッツは乱雑に懐から取り出した小さな麻袋を丸テーブルの上に置く。ジャラジャラと崩れるような音が酒場の中に響いた。どうやら中身は金貨や銀貨に違いなかった。
「このダンジョン殺しの報酬な、これじゃなくてこっちの女でもいいか」
「えっ」
「ん……」
サカナは呆気に取られたような表情を浮かべる。
「な、なんでわたしが、あなたに対する報酬になるのよ!」
「じいさんも食えねえやつだ。すでに村の再興計画を練ってるんだろう。知ってるぜ、冒険者との競合がなくなったビッグモスとその幼虫を村に集めてることはな」
村長は目を細める。
「ほっほっほ。見ておったか。…そうじゃな、幼虫が作る繭を利用すれば糸が作れるんじゃないかと何年か前から考えをあたためておいたのじゃよ。東国のほうを巡っていたときに見た養蚕業ってやつを取り入れてみようと思うてな。生態系を崩しかねんからなかなか実行に移せなんだが、今回の件でやっと踏み切れたわい」
「そいつはオレちゃんも見たことあるが、あれは専用の機具がそれなりに必要なはずだ。こんな馬の骨とも知れねえ旅人に金を渡してたら、資金が足りなくなるだろ? だからこれは返す。んで、こいつを貰っていく」
それを聞いたサカナが、また声を荒げる。
「だからなんでよ!」
「オレちゃん、仕事のアフターケアはしっかりやるんだぜ」
ザッツは少女に手を伸ばして、包帯をずらしてしまった。
「ちょ、村長が見て――」
「…ワシはシュコウに聞いておったよ、お前さんの病のことはな」
そして、指先で癒えていない傷を撫で始めた。
赤みのかかった錆色のそれは、鉱石のようにざらついている。
「この鉱血病を治す方法があるっつったら、どうする?」
「ッ!」
血が空気に触れると凝固した鉱石のようになる、原因不明とされる鉱血病の治し方を、この男は知っているというのか。父親があまたの冒険者から情報を集め、八方手を尽くしても治すことができなかったこの奇病を。
「お前はその呪いじみた病気を治せる、オレちゃん鍛冶式で鉱石素材使い放題、ウィンウィンなカンケーってやつじゃん」
「血を流さないと、使えないんだけど」
「そこは出血大サービスで頼むわ」
「ふざけないで!」
老人テオドアは微笑ましくそのやり取りを見つめるさなか、バーの向こう側に居るはずもない人物が立っていることに気づいた。…彼はずっと、ここで娘を見守り続けてきたのかもしれない。
「シュコウよ、ようやくお前さんの願いが叶うときが来たかもしれんな」
そうつぶやくと、先代の主人は目を細くして、そのまま虚空に融けるようにして消えていった。
「ほっほっほ、わしも少しは呆けたかのう」
窓の外を眺めながら、老人は己の老いに対して感慨にふける。
どこまでも今夜は、いい酒が飲めそうだった。